erisogaiの輪るピングドラム考察

輪るピングドラム(アニメ)の考察です。未完成のメモですので足りない所も多々あるかと思います。誤字脱字はご容赦ください。随時編集・追加予定。
アニメ
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いそがいえり @erisogai
ところで、輪るピングドラムの最重要アイテムとされているピングドラム、現時点ではプリクリさま曰く苹果の日記とのことだけど、あのストーリーの間伸び具合や雰囲気からして、日記はただのマクガフィンなんじゃないかとわたしは思ってるんだけど、さてはて…。
いそがいえり @erisogai
運命もの(の“演劇”)ならば、“日記”というマクガフィン、みたいな。最終的に、ほんとうのビングドラムって、抽象的な概念に拡散あるいは収斂されるんじゃないかなと思ってる。いち視聴者としての感覚では、ウテナの時の“世界の果て”とほとんど全く同じく構造だと思って、今のところ観てる感じ。
いそがいえり @erisogai
ピンドラの話題ばっかしであれやねんけれども。先程から、1話からあらためて観直してみてて、いま2話視聴中なんだけど、プリクリ様(陽毬)の「生存戦略しましょうか」って、ぜったい冠葉だけに向けて言ってるよね。言う前に晶馬はボッシュートされててあのワールドから消されてるし、
いそがいえり @erisogai
今のところわたしは、生存戦略=セックスとして考察して観てる派。
いそがいえり @erisogai
ワールドへワープ→プリクリ様より本日のミッション→晶馬が文句→晶馬だけボッシュート→プリクリ様が正面アングルで「生存戦略しましょうか」、のバンクなわけだけど、ワールドから醒めたあと、1話では冠葉は寝てる陽毬にキスしてブラックアウトだし、2話では疲れて寝てるし(賢者モード?)
いそがいえり @erisogai
なので、冠葉と陽毬は近親相姦していると考察。1話のラストのモノローグ(冠葉が寝てる陽毬にキスするシーン)で、「遺伝子に組み込まれた生存戦略に忠実な動物たちの方が美しい。(…)もし人が運命も遺伝子も無視して誰かを愛してしまったとしたら、神様、それはほんとに人なのか?」っていうのが
いそがいえり @erisogai
あって、この文脈からするとふつうに生存戦略=生殖となってるわけだし、あとは作中に散見されるメタファー。
いそがいえり @erisogai
プリクリ様の熊から伸びるジョイントが双子兄の乗ってる熊に合体=セックス、お腹がふくれる熊=妊娠、プリクリ様の決め台詞「イマーージーーーン」=「想像」妊娠
いそがいえり @erisogai
りんごちゃんが遂行してるのはプロジェクトM(=マタニティ)なわけで、家族の(再生)計画(=子供作ってコミュニティを作る)。りんご=果実=子供だし(そもそもりんごちゃんは「計画して」作られた子供かもしれないし)、りんごは要するに知恵の実(アダムとイブがセックスする原因)だもんね。
いそがいえり @erisogai
少女革命ウテナの時も、幾原監督はモロに近親相姦(鳳暁生と姫宮アンシー、桐生冬芽と桐生七実)を追究してたってこともキー。というか、ウテナで追究しきれなかった近親相姦をピンドラでさらに十一年越しに追究してるんじゃないかと。
いそがいえり @erisogai
ウテナとピンドラでは共通項がたくさんあるから、先行作品のウテナを参考に読み解くのは十分有効だと思ってる(ピンドラの制作ネタ本の「試運転マニュアル」でもウテナに触れられてるそうだから、ウテナを持ち出すのは説得力あるし)。
いそがいえり @erisogai
ウテナの「革命」≒ピンドラの「運命」、兄妹神話、貴種流離譚あるいは貴賎流離譚的な物語、先行テクストへのオマージュ(ウテナは『デーミアン』、ピンドラは『銀河鉄道の夜』)、なかなか物語のキー(ウテナなら世界の果て、ピンドラならピングドラム)を明かさないところ。
いそがいえり @erisogai
なかなか物語のキーを明かさないで物語それ自体を進める・円環的な物語世界、という点に関しては村上春樹的な手法といえばそうだけど、幾原邦彦が村上春樹と異なるのは、ラストまで観た時それまで考察しながら生まれたそれぞれの「答え」に対して、最終的に「答え合わせ」が可能だというところ。
いそがいえり @erisogai
村上春樹のカタスカシ、あるいは「中心にある何か大切なもの」という物語全体のボカシ(ダマシ)=中心が存在しない、というのは文学業界では周知なわけだけれど、なぜ村上春樹を持ち出してきたかというと、
いそがいえり @erisogai
村上春樹的構造のアニメ作品として庵野秀明監督の新世紀エヴァンゲリオンがあって、ほぼ同時期に幾原邦彦監督の少女革命ウテナが制作放送されたから。つまり、村上春樹を媒介項として、エヴァとウテナの対立を考えてみたというわけ。
いそがいえり @erisogai
ちなみにこれも周知だけれど、なぜエヴァ(庵野)とウテナ(幾原)を比べたかというと、二人は盟友であるし、渚カヲルのモデルは幾原監督とのこと。しかも二つの作品には共通の声優が出演していて、そして何より90年代セカイ系アニメの二大作品(中二病をモチーフにした&大量生産した)。
いそがいえり @erisogai
二つとも、それぞれの作品の重要なテーマのうちのひとつとして「父性から逃げ出し、中二病から脱出しましょう」というものを掲げているにも関わらず、なぜか当の作品を観るやたちまち中二にとりつかれてしまう、中二的になってしまう、といったパラドキシカルな作品なわけだよね。
いそがいえり @erisogai
例えばわたしが支持するのはウテナの方なのでウテナの中二うんぬんの例を挙げると、「暁生=王子様=兄=父性=作者=大きな物語」の支配する「学園=選ばれし絢爛華麗天才デュエリスト達(近親相姦なり男装女子なりバイセクシャル要素なりを持った)=中二世界」から抜け出そう、っていう。
いそがいえり @erisogai
*抜け出すのはヒロインのアンシー(妹)ね(主役であるウテナは革命する側なので。最終回→ウテナは王子様として暁生からアンシーを救ってそのさだめとして消滅する、アンシーはウテナに救われて意識革命して兄の支配する学園から旅立つ)
いそがいえり @erisogai
でもそれ観た視聴者は、ウテナに出てくるデュエリストに自分を加わらせたり(妄想)、二次創作はじめちゃったり、どんどんどんどん中二になって暁生の学園に浸りきってしまっちゃうわけでしょう。
いそがいえり @erisogai
まあそれについてはひとまず措くとして。
いそがいえり @erisogai
村上春樹を媒介にしたエヴァとウテナの比較に戻ると。
いそがいえり @erisogai
二つの作品は、どちらも多種多様な解釈の可能な、解釈の幅の広い作品であるのだけれど、正反対である点は、エヴァ(庵野)は最後まで観ても結局「答え」はない作品であり、一方ウテナ(幾原)は最後まで観ると最終的に「答え」のある作品だということ。
いそがいえり @erisogai
エヴァが最後まで観ても「答え」のない作品であるというのは、例えばラストシーンを思い返してみればわかる。シンジ(=自分のことがよくわからない自分=「答え」なし)を主要脇役キャラが囲んで「おめでとう」と言って笑顔で手を叩く、というあれはまさにそういうことと捉えることが可能。
いそがいえり @erisogai
そういう意味では、エヴァ(庵野)と村上春樹の作品構造はひじょうに親和性があると感じられる。
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コメント

桜野時生 @TokioSakurano 2011年9月9日
そういう意味で使うなら、「マクガフィン」じゃなくて「ミスリード」じゃね?
いそがいえり @erisogai 2011年9月10日
コメント下さった方ありがとうございます。 いえ、日記についてのつぶやきについては、確かにマクガフィンのつもりで考察しました。ミスリードではありません。 ミスリードですと間違った方向(答え)への解釈という意味になってしまいますが、日記は、間違った方向への見せかけとしての存在ではない、とわたしは思っています。 交換可能な(ピングドラムへの)動機づけ・仕掛け=「日記」と、ミスリードでは、全く意味が異なってしまいますので。
桜野時生 @TokioSakurano 2011年9月10日
こちらこそ返答ありがとうございます。 でも「本当のピングドラムは別にあって日記帳は動機づけ」とういなら やっぱりミスリードであってマクガフィンではないですよ。 「結局日記帳がピングドラムだったのかどうかはわからないけどストーリーを進行させる役割をした」 ならマクガフィンでしょうけど。
桜野時生 @TokioSakurano 2011年9月10日
追記。 今のところ作中でマクガフィンの役割を果たしているのは「ピングドラム」であって、日記帳は「ピングドラムかもしれない小道具」でしかない、というのがボクの見方です。