『アニメ作家としての手塚治虫 その軌跡と本質』(津堅信之)を批判する --- その3
- ElementaryGard
- 1738
- 0
- 0
- 0
>『アトム』をきっかけとしたマーチャンダイジング展開と、海外への作品販売は、いずれも手塚の発案だという。(p134)
2015-04-11 16:14:09マーチャンが「儲けよう」ではなく「累積必至の赤字を少しでも減らそう」という守りの発想でしかなかったこと、手塚もまわりの人間も法理論からマーチャンダイジングを冷徹に眺める思考はかけらもなかったことは何度も論じたとおりです。
2015-04-11 16:16:58原作者がアニメ会社の社長という、とんでもないやり方だったからこそ、原作者のポケットになだれ込んでくるマーチャン収入がそのまま会社の会計で処理され、帳簿の上では超優良企業になった。手塚原作では当たらないとなれば外部から原作を買うしかなくなった。
2015-04-11 16:19:13『アトム』二年目のぶんをアメリカNBCが買ってくれたのも先方の好意からでした。実は二年目を購入する気はなかったのです。
2015-04-11 16:22:49『アトム』は四年放映されたけれど、三年目からはアメリカには買われていない。白黒番組ではもう時代にそぐわなかった。そもそも一年分あればNBCにすれば地方局に売りこむには十分だったのだから。
2015-04-11 16:24:04カラー制作の『ジャングル大帝』は、NBCに事前に脚本や絵のチェックを受けての制作でした。そうしないと放送コードに抵触してしまうおそれがあったから。そもそもアフリカのジャングルを舞台にした権力闘争の物語なんて血なまぐさい企画、NBCは当初嫌がっていた。
2015-04-11 16:26:10主人公の子どもライオン・レオが続編ではおとなになっています。この続編は買ってもらえなかった。原作は大河ドラマで、レオが次第に成長していく姿が見どころでしたが、一話完結をNBC側が希望したので、子どもレオ篇とおとなレオ篇の二部作として制作。
2015-04-11 16:28:28おとなレオ篇は買ってもらえなかった。「レオはやっぱり子どものままでないと」という理由で。
2015-04-11 16:28:59アメリカ輸出はこんな風に行き違いがいろいろあって、期待したほどドルは稼げなかった。安定的にドルを稼ぐことはできなかった。
2015-04-11 16:29:44拙訳『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』の訳者解説でも論じたように、『アトム』が秀作だから輸出できたのではなく、たまたま当時のアメリカのテレビ界が子ども番組不足だったのです。
2015-04-11 17:01:52かつては夜の7時代に子ども向けアニメ番組を流していたのですが、子どもは子どもの時間枠を作れとPTAやらなんやらが言い出したので、土曜朝を子ども番組アワーとした。これは当たった。お菓子やおもちゃのCMを子どもにぶつけられるのでスポンサーもほくほく。
2015-04-11 17:03:46それで子ども番組の需要が伸びた。そこに偶然、日本でテレビアニメやってると報がNBCに入り、色々あって話がまとまった。それが『アトム』でした。
2015-04-11 17:04:57日本からのアニメ輸出は五年間で終わった。なぜならアメリカ側が「もういらない」と言い出したから。なぜか。独占禁止法が絡んでいます。
2015-04-11 17:05:43まず大手のテレビ網が日本から格安でアニメ番組を買い入れます。いきなり全米ネットワークに流すのではなく、全米各地の局にパックで売りつけるのです。『アトム』だと全52話のパック。そして各局が買い入れて放映する。
2015-04-11 17:07:05これをシンジケーションといいます。日本製アニメに限ったやり方ではなく、あの国ではごくオーソドックス。ところがこのやり方は独占禁止法に抵触すると指摘された。大手局が各地の局にコンテンツを売りつけるのは系列化ではないのかと。
2015-04-11 17:09:16違法だと判断されたわけです60年代の後半に。大手局はシンジケーション販売から撤退。となると日本のアニメ番組を輸入するメリットもないわけです。
2015-04-11 17:10:44もうひとつは放送コードが厳しくなっていったこと。1964年にケネディの暗殺事件がありました。あれからさらに厳しくなった。ところが日本ではアニメ番組が過激化。過激といっても日本ではこれといった叩きも起きなかったのですが、アメリカの基準だと言語道断の過激化。
2015-04-11 17:13:08