『アニメ作家としての手塚治虫 その軌跡と本質』(津堅信之)を批判する --- その5
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『アニメ作家としての手塚治虫 その軌跡と本質』(津堅信之)を批判する --- その4 - Togetterまとめ togetter.com/li/807257 続きいきます。
2015-05-05 22:32:59国産テレビアニメ番組第一号『鉄腕アトム』の第一話について、当時のアニメ批評家はどう論じていたか。岡田恵美子と森卓也の評が紹介される。
2015-05-05 22:35:51著者の津堅はこのふたりの評をこう論評しています。 >ともに、海外事情を含むアニメーション通で、このふたりがいずれも今日言われるような「あまりにも粗雑な『アトム』の作画がうんぬん」という主旨の指摘を、少なくとも活字ではあらわにしていない点である。(p186)
2015-05-05 22:38:42>やはり当時、『アトム』の技術面が批判的に捉えられていたわけではないことを示唆するものである。
2015-05-05 22:39:48手塚が亡くなってかなりたってから、東映アニメ出身のアニメーター大塚康生は『アトム』の技術的杜撰さを指摘。第一話を見た同僚たちは「あれじゃ誰も見ない」と論評し自分もそう思った、と当時を回想。
2015-05-05 22:43:21>テレビアニメ制作の過酷さや、賃金・経営面を含む制作体制の脆弱さが問題となって、それがテレビアニメを丁寧に制作することができない要因となっている、といった論調は、アニメーターをはじめとする直接の製作従事者が、マスコミでのインタビュー等に答えはじめ、アニメ批評家やファンの間に、
2015-05-05 22:47:12>そして、アニメーターたちが明かした「内部事情」があまりにもセンセーショナルだったために、その後のアニメ批評が、内部事情によって引っ張られすぎたと言えそうである。(p187)
2015-05-05 22:49:31要するに労働環境の悲惨さがファン(というかマニア)や批評家のあいだで知られていくとともに、そういう惨状を招いた元凶として『アトム』が認識されるようになった、と。
2015-05-05 22:52:00これは正しいでしょうね。手塚が出血価格でテレビアニメを請けたばっかりに悪い先例となって後に続く者がみんなひどい目にあってしまった、と。
2015-05-05 22:53:25名著『日本アニメーション映画史』(1977年)でも、テレビアニメの過酷な内情について『アトム』に始まると論評。
2015-05-05 22:57:27>問題は製作期間が余りにも短かすぎることで、毎週30分番組を一本作って放映するという神技は外国では決して見られない。この功罪は、虫プロの「鉄腕アトム」からだろうが、アニメ労働者の労働条件などは事実上無視されているそうである。 以上は『日本アニメーション映画史』から引用。
2015-05-05 23:00:03>このあたりを境として、アニメ批評における『鉄腕アトム』の位置づけが、スケジュールの過酷さと制作予算の厳しさを生み出し、作品の仕上がりにも影響を及ぼし、さらにそれがテレビアニメ界、日本アニメ界全体に影響を及ぼしたという方向、すなわち功罪の「罪」に着目する方向へと
2015-05-05 23:02:59津堅は触れていませんが、70年代後半のアニメブーム(『ヤマト』が劇場公開されて若者を熱狂させた)の頃に手塚が綴ったエッセイで、「ぼくが『アトム』を安く請けたからめちゃめちゃになったって批判するひとがいるけど、冗談じゃない、あのくらい安く請けないと[続く]
2015-05-05 23:05:51スポンサーが付かなかったし、テレビアニメは生まれなかったんだよ。それにぼくのスタジオからは俊才がいっぱい出てるんだ。今のアニメ界を支えているのはみんな虫プロ出身者なんだよ」と怒りの弁明。
2015-05-05 23:07:10その十数年後、手塚が死去。偉人恩人先覚者の大合唱のなか、あれが飛び出すのです。宮崎駿による手塚アニメ批判。
2015-05-05 23:09:58宮崎は前年に『となりのトトロ』で国内の映画賞を総なめしており、『魔女の宅急便』の制作中だった。すでに日本一のアニメ監督と称えられていた彼の発言は衝撃的でした。
2015-05-05 23:10:04>アニメーションに対して彼がやったことは何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。
2015-05-05 23:12:17>昭和三十八年に彼は、一本五十万円という安価で日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」を始めました。その前例のおかげで、以来アニメの製作費が常に低いという弊害が生まれました。
2015-05-05 23:12:48>それ自体は不幸なはじまりではあったけれど、日本が経済成長を遂げていく過程でテレビアニメーションはいつか始まる運命にあったと思います。引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけで。
2015-05-05 23:13:03>ただ、あのとき彼がやらなければあと二,三年は遅れたかもしれない。そしたら、ぼくはもう少し腰を据えて昔のやり方の長編アニメーションの現場でやることができたと思うんです。
2015-05-05 23:13:12>全体論としての手塚治虫をぼくは”ストーリーまんがを始めて、今日自分たちが仕事をやる上での流れを作った人”としてきちんと評価しているつもりです。
2015-05-05 23:14:02