栄光の打線史 第四回『ビッグレッドマシン』

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コイに恋する鯉千歳@ハートに炎を! @Chitose_carp

広島東洋カープ。1970年代後半~1980年代前半にかけて機動力を武器に投手力と堅守で黄金時代を築きました。 古くは『鬼の金山』こと金山次郎選手、『鬼軍曹』大下剛史選手、現カープ監督の緒方考市選手など、 盗塁王を数多く輩出してきたチームです。

2015-06-20 23:21:16
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また、『ミスター赤ヘル』山本浩二選手、『鉄人』衣笠祥雄選手を中心に長距離砲も控えており、 これぞ強豪チーム!という布陣でした。が、しかし……(画像) pic.twitter.com/3qyDw2InUK

2015-06-20 23:22:26
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1986年に山本浩二選手が、翌年に衣笠選手が引退すると、当然のことながら打線が一気に弱体化してしまいます。 球団もそれに備えてドラフトで地元出身の小早川選手を獲得、 若手の長内選手を起用するなどして後進の育成を図っていましたが、 レジェンド二人の穴を埋めるまでには至りませんでした

2015-06-20 23:24:02
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そんな中でもカープのウリである投手力と機動力を武器に善戦、1991年には優勝を果たします。 ですが、両翼91.4m、中堅115.8mの広島市民球場をホームグラウンドにしながら、 この年のチーム最多HRは3年目の江藤選手の11本という有様でした。

2015-06-20 23:25:36
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打線の強化が課題に挙げられる中、翌年1992年に一筋の光が差し込みます。 当時3年目の若武者、後に2000本安打を達成することとなる『孤高の天才』前田智徳選手の台頭です。 pic.twitter.com/0Ht6lSQFX9

2015-06-20 23:26:58
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1992年は自身初の全試合出場を果たし、打率.308、19HR、89打点を記録。 翌1993年も好成績を残すなど、完全に打者として一人立ちを果たした2年となりました。

2015-06-20 23:28:27
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また、同様に若手のホープだった江藤選手の台頭や、それまでは代走要員の様な立ち位置だった緒方考市選手の打撃面の開花、 今まで打線を引っ張ってきたチームリーダー野村謙二郎選手の安定した活躍などで打線は活発化。 生え抜き選手の成長により、補強無しでの打線の強化に成功したのです。

2015-06-20 23:30:02
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そして迎えた1996年。この選手らが成熟し、カープの歴史の中でも最強に近い打線と呼ばれる『ビッグレッドマシン』が完成する事になります。

2015-06-20 23:31:44
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シーズンが開幕した4月こそ10勝11敗と負け越しますが、翌月は16勝7敗。 6月は16勝6敗と2ヶ月で貯金を19作るという独走っぷりを披露。 もちろんその原動力は『ビッグレッドマシン』にありました。

2015-06-20 23:33:00
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中でも存在感を示していたのは、この年カーディナルスから入団したある助っ人外国人選手でした。

2015-06-20 23:34:04
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その選手の名は、ルイス・ロペス。 状況によって強打を巧打をうまく使い分け、今でもセリーグではロペス選手一人しかいない 「来日から2年連続で3割100打点・打点王」という記録を持っています。 pic.twitter.com/UqBgDJA5XH

2015-06-20 23:34:50
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そんなロペス選手も春季キャンプでは散々な評価でした。 足は遅い、大リーグでの実績もない、おまけに期待されていた打撃では練習でも打球が前に飛ばない…… ファンからも「なんでこんなハズレ外人連れてきたんじゃ!」 「アレン呼び戻そうや……」と言った声が聞かれていました。

2015-06-20 23:36:44
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ですが、キャンプが始まって6日後にロペス選手にある転機が訪れます。 打撃練習を見た当時の山本一義チーフ兼打撃コーチからスイングの矯正が入ったのです。

2015-06-20 23:38:13
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外国人選手にありがちなアドバイスに耳を貸さない……といったことはロペス選手には無く、 徐々にですが打撃が改善。シーズンが始まるころには立派な強打者へと変貌を遂げていました。

2015-06-20 23:39:14
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ロペス選手自身が真面目で実直な性格だったこと、山本コーチが辛抱強く打撃指導をしたこと、 そして、ロペス選手の持論である「タイトルや個人成績よりも、僕はチームが勝つために仕事をしているんだ」 というフォア・ザ・チームの姿勢も日本で成功した要因ではないでしょうか。

2015-06-20 23:40:49
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その後は一度カープを退団しホークスへ移籍、2000年から再びカープに入団し2002年まで在籍していました。 2006年にイーグルスの駐米スカウトに就任し、現在はベイスターズの国際担当スカウトの職に就いています。

2015-06-20 23:42:30
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もう一人、この年のビッグレッドマシンに欠かせない存在となっていた選手が居ます。 そう、後に『アニキ』『鉄人』の愛称で親しまれることとなる背番号10の名選手です。

2015-06-20 23:43:49
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金本知憲選手。1992年に東北福祉大学からドラフト4位地元広島のカープへと入団。 当時は非力で俊足がウリの選手だったと言います。 pic.twitter.com/IW1ep2LVsv

2015-06-20 23:45:31
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その非力さからコーチからも「転がして足を活かせ」と言われたり、 守備では送球が上手くできず『モグラ殺し』と言われるほどの送球難で、 金本選手曰く「クビを覚悟していた」とか。

2015-06-20 23:46:52
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そんな中、自身への不甲斐なさ、悔しさなどもあり、当時の球界ではまだ一般的ではなかった筋力トレーニングを取り入れ肉体強化を図ります。 そして、同時に山本一義コーチがロペス選手の時と同様に、金本選手の打撃改造に着手します。

2015-06-20 23:48:53
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地道な肉体強化、山本コーチの打撃指導の効果が現れたのは3年目の1994年のこと。 後半からレギュラーに定着し17HRを放つ活躍を見せます。

2015-06-20 23:50:01
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翌年の1995年には自身初となる規定打席に到達。 ベストナインに選ばれるなど一気に球界を代表する外野手へと成長を遂げます。

2015-06-20 23:51:02
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そして、ビッグレッドマシンの一員だった1996年には主に7番打者として126試合に出場。 打率、本塁打、打点などの全ての項目で自己最高の成績を残すなどその力が完全に花開きます。

2015-06-20 23:51:55
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また、特筆すべきは出塁能力の高さです。 この年はリーグ最多となる77四球を選び、出塁率は7番打者ながらも.407を記録。 最高出塁率こそ同僚の江藤選手に譲ったものの、チャンスメイクとポイントゲッターになる選手が7番にいるのは、 他球団からすればこれ以上ない脅威だったことでしょう。

2015-06-20 23:52:48