【資料提供(夫婦別姓問題)】さて…、『民法Ⅳ』内田貴P51~52「…制度論としての論点は2つある。第1に、夫婦の氏が戸籍上も異なる家族があるという事態をどう評価するか。第2に、子供の氏の問題である。第1の問題について、賛成論は、選択的夫婦別氏制は別氏を矯正するものではなく、」
2010-12-26 17:31:57(2)選択したい人にそれを認めようというに過ぎず、夫婦同氏を強制することは特定の価値観の押し付けだと批判する。これに対して、反対論は、家庭のあり方は個人の自由の領域の問題ではなく、その社会の基本原理の問題だから、選択の自由を持ち出すだけではすまない、という。この対立については、
2010-12-26 17:36:27(3)私は後者のほうが説得的だと思う。なぜなら氏の問題は、単なる個人の自由の問題ではなく、公的制度の問題であり、夫婦別氏が自由の抑圧であるか否か自体が論争の対象だからである。そこで、公的制度として、選択的夫婦別氏制を是とするか否かが問題となる。別氏制を支える論拠は、
2010-12-26 17:40:33(4)大きく分けると3つあるように思う。第1は、男女平等の思想である。現状は制度上は完全な平等だが、実際には約98%の夫婦が夫の氏を選択する。この事実上の不平等を法的介入によって是正すべきだとの議論である。私はこの議論は説得的だと思う。しかし、男女平等の思想からは別氏制は
2010-12-26 17:44:45(5)しない。夫婦は同じ氏を名乗るが、どちらを名乗るかは結婚の際に確立5割のくじを引いて決めるという制度も平等思想には反しないからである。同氏制がすでに平等原理に反しているという議論があるが、夫婦が氏(名称)をともにする共同体だという思想が当然に平等原理に反するとはいえない。
2010-12-26 17:48:24(6)第2の論拠は、女性も自分の家系の氏を残す権利があるというものである。しかし、この主張は復古主義的に見える。自分の家の名を残したいというのは、戦前の家制度の思想でもあったからである。ちなみに、儒教思想の強い韓国だは、「姓不変の原則」がとられ、夫婦別姓であるが、その理由は、
2010-12-26 17:52:34(7)姓は父系血統を表示するものとして不変のものとされ、女性は結婚しても自分の父親の血統を示す姓を名乗り、夫の血統の家には入れない、という思想による。もっとも、以上の議論をオーストラリア人の友人にしたところ、オーストラリアのような多民族・多人種国家では、自分の民族的出自を示すもの
2010-12-26 17:57:05(8)として氏を保存したいという要請があるとのことであった。興味深い発想ではあるが、日本ではあまり強い論拠になりそうにない。第3の論拠は、氏は個人のアイデンティティを示すものであり、個人はそれを維持する権利があるというものである。この論拠は、家族の共同体としての性格を氏という
2010-12-26 18:01:27(9)表示の側面においてどこまで重視するかという問題にかかわる。個人のアイデンティティを維持するために別氏を選択しようとする夫婦が生じているのは事実であり、そのような選択を尊重することにも十分な正当性がある。しかし、問題が家族のあり方の根本問題に触れるだけに、容易には合意が形成
2010-12-26 18:05:12(10)できないのである。第2の論点は子の氏の扱いである。法制審議会の議論の中では、兄弟の氏がばらばらでもよいとの意見もあったようであるが、結局、子の氏は統一し、しかも別氏を選択した夫婦は結婚の時に子がどちらを名乗るかを決めることとした。このような制度は、子を持つ可能性のない夫婦
2010-12-26 18:09:07(11)にまで選択を強いるという問題点も指摘されているが、子が生まれた時に夫婦が選択するのでは意見が一致しない場合のリスクがある。意見が不一致の場合にどうするかのルールを作ることも、その社会の家族観の反映であるから容易には合意を形成できない。また、子が一定年齢に達した時に氏を
2010-12-26 18:13:31(12)選択するというのも問題がある。いかにも意思を尊重するようでいて、子に無理を強いることになりかねないからである。氏のあり方についての理解や意思は文化と教育によって植え付けられるものであり、単に子の意思を尊重するだけでは解決にならない。子の氏は、安定した家庭を子に提供する
2010-12-26 18:17:43(13)という観点から社会が公的制度として議論を尽くすべきである(父母がそれぞれ子を説得しようと対立するようでは安定した家庭を提供できない)。」(完) ふぅ…
2010-12-26 18:20:31