“社会の為の芸術”の無効化
千坂氏の一連のツイートは
・「美学校」における中ザワヒデキ氏の講座「文献研究」2015年度第7回 @misonikomioden 氏によるまとめ http://togetter.com/li/874622
及び講義で言及された、
・『人民の敵』11号 東野大地/山本桜子/外山恒一鼎談 http://www.warewaredan.com/jinteki11.html
及び、
・「文献研究」受講者であるみそにこみおでん氏による考察 http://togetter.com/li/875150
が含む、“芸術の為の芸術”と“社会の為の芸術”という問題に対するご批判であろう。
“芸術の為の芸術”と“社会の為の芸術”は、近年ことに盛んな「地域アート」から2020年五輪に向けての「国策芸術」、美大芸大等教育課程を通じて生産されるアーティストの卒業後の自活システムまでを貫く問題である。
東野大地/山本桜子は
・『メインストリーム』 http://mainstream.6.ql.bz/
・『L'art pour l'art』
http://mainstream.6.ql.bz/lapla.html
・『人民の敵』3号
http://www.warewaredan.com/jinteki03-02bassui.html
等を通し数年来“芸術の為の芸術”と“社会の為の芸術”問題を考察したり頭抱えたり怒られたりしている。
アート業界がデザイナー化していることは、文学の世界がコピーライター化し、政治が政策化し、思想がマニュアル化しているのと並行した現象で、各界にはそれぞれ個別の問題が内在的にあるが、問題を作り出した構造は共通しており個別と同時に構造全体を撃つことなしには問題は如何ともしがたいだろう。
2015-09-24 01:44:09というのも各界の個別問題のみを問い、構造全体を問わないならば、どれほど批判的になろうと、所詮は構造改革という改良主義にしかならず、結果的には現状の批判的ではあるが追認となってしまうからだ。@Chisaka_Kyoji
2015-09-24 01:46:38とはいえ構造全体が、そのものとしてあるわけではない。具体的に存在するのは、個別的なものであり、ハイデガー風にいえば、存在に対する現存在であり、それはこの場合でいえば、アートや文学、政治、思想などの各界に内在する問題に該当する。@Chisaka_Kyoji
2015-09-24 01:49:36身も蓋もない話をすれば、アートも文学も政治も思想も、食い扶持の問題に直面しているのだ。そして食うために、デザイナー化し、コピーライター化し、また政策化し、マニュアル化しているのだ。芸術のための芸術では食えないから、社会のための芸術となってしまうのだ。@Chisaka_Kyoji
2015-09-24 01:53:00つまり、作品とか表現とか思想というような問題ではないということだ。なぜ、どれもこれも20世紀前半のテーマや問題の延長に今なおあるのかということだ。それらが過去のものとなりきらないのは、第二次大戦の体験により、存続の問題に直面し、戦後はそれが食い扶持問題となったからだ。
2015-09-24 01:58:32食い扶持問題を突破出来ない限り、デザイナー化やコピーライター化、政策化、マニュアル化は批判しえず、突破出来ないだろう。実は、これこそが、アートや文学、政治や思想が、近代において体験した現実問題であり、近代ではまだ、それは部分動員であったのだ。@Chisaka_Kyoji
2015-09-24 02:03:13ユンガーのいう「労働者」の前身は、最前線の兵士だ。兵士は、死と隣接しているが、その死が社会化されると、食い扶持の問題となり、その構造全体が形態として取り出される。これは、アートや文学、政治や思想の存在に関連した問であり、一つの回答でもあるだろう。@Chisaka_Kyoji
2015-09-24 02:08:45美術手帖の再刊の経済的事情を一瞥すれば明らかなようにアートの世界は益々、商業化していくだろう。文学も芥川賞の受賞内容から、文学幻想は露骨に商業化し、政治や思想も例外ではない。まさに万物の民営化でもある。@Chisaka_Kyoji
2015-09-24 02:19:21「美術手帖」の美術出版社、CCCグループ会社の支援を受け事業再建へ(マイナビニュース)
http://news.mynavi.jp/news/2015/05/20/460/
ARTの出版社から、ARTで動かす会社へ!美術出版社が生まれ変わります(美術手帖社)
@chisaka_kyoji 喰ってゆく為の芸術ということで言えば古今東西昔からあったと思います。ただ本物と偽物の見極めが出来ない、或いは本物が出てきた時の受け入れ間口が狭いというのがこの国の実情で、これは今に始まったことではないと思います。⇒
2015-09-24 02:23:18@carmen__maki 食い扶持問題は、そもそも最初からあったと思います。ただ、グローバリズム以前においては、様々な世界があり、それがまだしも救済手段となっていたと思いますが、グローバリズムにおいて汎商業化し、本物と偽物の違いが現象的に消滅したのだと思います。
2015-09-24 02:30:37千坂さんの仰っていることは大意においてよく理解できます。一音楽家として。政治や思想と芸術は決して無縁ではない。その意味で日本は文化レベルが低くとても先進国とは思えません。社会はそこに住む人民あってのもの。「個」としての概念の欠如にもってきて⇒@chisaka_kyoji
2015-09-24 02:31:31驚くほど感性が劣化しているのを日常の様々な局面において、現場で、感じます。あと、大衆芸能という世界はあっても、芸術の為の芸術、などありません。芸術と呼ばれるものはそれを創った人間が意図するものではなく後から付いてくる曖昧な名称であります@chisaka_kyoji
2015-09-24 02:39:02つまりそれを芸術とするか芸術ではないとするかは個々の感性が判断するもので、それこそが「個」の感性によるものだと私は思います。とまれ、そうした価値観が成熟していないのがこの国の弱点であり、それが政治や思想にも反映しているのではないかと思う次第です..?@chisaka_kyoji
2015-09-24 02:47:03@carmen__maki 私は今でも「時には母のない子のように」を聴いていますが、それはともかく、芸術のための芸術は、芸術が市場化したことに対して、20世紀前後に、それへの抵抗として登場したものですが、しかし食い扶持問題から自由ではなかったことはいうまでもありません。
2015-09-24 02:54:08はい。それはあると思いますが(私は自分がやっている事が芸術などとはゆめゆめ思ってはいませんが一表現者としては)それを一概に芸術と呼ぶことには抵抗があります。そう呼称して一般的に認知されてはいけないと思います@chisaka_kyoji
2015-09-24 03:07:48@carmen__maki 社会のための芸術というのは、昨今の地域アートの世界で、社会的有用性ということで、地域から経済的な支援を受け、食えない若手芸術家を取り込み、芸術を衛生無害な方向に持って行こうとする傾向です。
2015-09-24 02:58:59エルンスト・ユンガーは、芸術家は、犯罪者となるべきだと言った。この「犯罪者」という言葉は、扇動的にではなく、本質的に捉える必要がある。@Chisaka_Kyoji
2015-09-24 03:03:04つまり、そこには、食い扶持問題を突破する、兵士の社会的な現存在として、本質としての犯罪者という問題があることだ。@Chisaka_Kyoji
2015-09-24 03:07:18「芸術と犯罪」については@nagasek 氏のこちらのまとめも参照→「千坂恭二氏による、芸術と犯罪(あるいは戦場にいかない芸術家)」http://togetter.com/li/533916
@carmen__maki それはカルメン・マキさんの自己認識として当然だろうと思います。第二次大戦後、所謂芸術とされるものと大衆的表現とされるもの(文学の賞でいう芥川賞と直木賞のようなものですが)の区別が実質上なくなりましたが、表現する側の自己意識としては残っていると思います。
2015-09-24 03:14:47ということで、グローバリズムによって消失する芸術とか衛生無害な方向に持って行こうとする傾向に乗る芸術など芸術とは言えないのではないのか?犯罪者は極端としても、どんな時代においても喰うに困るのが芸術家でありそれを引き受けるのが芸術家と呼ばれる者なのでは@chisaka_kyoji
2015-09-24 03:30:45いや、先にもツイートしたように千坂さんに反論しているわけではないのですよ。だから勿論、芸術家も食える時代、社会になるにこしたことはない。ただ、どうなのかな?大衆には理解されないからこその才能というのもあるしね.....大金持ちの芸術家なんて胡散臭い。@chisaka_kyoji
2015-09-24 03:35:07