シンポジウム「批評 前/後ーー継承と切断」Critical Archive vol.3 [メモ]

シンポジウムを拝聴し聞書きしたメモをtwitterへ修正しつつアップしたのでそのまとめ
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@misoni_2013  美術批評はかろうじてありえたかもしれないが御三家はあくまでも新興芸術の批評家を代表していたのであって美術批評はむしろ 今出ていた名では土方たちのほうが代表していた。音楽批評での吉田秀和/鎌倉文士のような存在がなかった(だからセザンヌを吉田が書く)

2015-10-04 13:33:04
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

実はその欠落を埋める存在になりうる可能性がいちばんあったのは宮川淳だったかもしれない。(が彼の顛末は知られている通り)フリード、クラウスあるいはクラウスと同年のド・デューブより宮川は6〜7歳年長だけど、彼らの仕事につなぐ仕事にはなっていた。

2015-10-04 13:38:53
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

1938の李王家美術館建築は陸屋根で帝冠様式(31年コンペ37竣工東京国立博物館本館が代表)でないのも要注目か。37年パリ万博は各国家様式競争だったが坂倉準三日本館 goo.gl/llXg2vが受賞。帝冠様式は唯一の国家様式ではなくなった。その坂倉が鎌近を設計

2015-10-04 14:11:04
土屋誠一 @seiichitsuchiya

そう、吉田秀和の『セザンヌ物語』も重要。あとは『日本のアウトサイダー』でいち早く岡倉を取り上げた河上徹太郎とかね。小林グループは無視できないし無視してきたからこうなった。

2015-10-04 13:45:18
土屋誠一 @seiichitsuchiya

さっきの続きだけど、『季刊思潮』(『批評空間』)を立ち上げる際、江藤、高階、遠山の『季刊芸術』をモデルとすることは、柄谷氏自身が明言していることであり、全部つながっている。

2015-10-04 14:00:16
gnck @gnck

昨日は近美でシンポジウム「美術批評の批評」を聴いた。神奈川県立近代美術館の李美那による、日本の近代美術館の起源について、1930年代は空白の期間ではなく、「日本当代美術の常設展示」が併合時代の朝鮮半島にあった(李王家美術館)という話がとても面白く

2015-10-04 14:02:00
gnck @gnck

ある意味No museum〜展の批判的補足としてもとても興味深く。

2015-10-04 14:02:44
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