【Blendy 特濃ムービーシアター「旅立ち」篇】と「出会い」篇ブレンディwebCMについて

時系列での雑感です。表現の自由は子供と境界例に侵害されるべきか否か?
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新指導要領の美術科教育(仮.bot @art_education_

ふと思ったのだが、「出会い篇」の豆が良いだけの人生を送ってきたコーヒー豆と手をつないでいたリクルートスーツの女性は、牛の擬人化ではなく牛乳の擬人化だったのではないだろうか?

2015-10-09 02:13:17
新指導要領の美術科教育(仮.bot @art_education_

まいりました。この視点は無かったなぁ。 女子高生を乳牛に見立てて炎上したブレンディのCMに足りない唯一のもの。藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』と比べてみる。 - マンガHONZ honz.jp/articles/-/419…

2015-10-15 10:04:06
新指導要領の美術科教育(仮.bot @art_education_

ブレンディCMの件、他者から認められるために必要なのは能力じゃなくてアピールなんだけどね。 >そして、そんな“思い”を他者にわかってもらえたとき、少しだけホッとできる。 容姿差別?セクハラ?「牛の擬人化CM炎上」のワケ wol.nikkeibp.co.jp/atcl/trend/15/…

2015-10-19 01:17:46
新指導要領の美術科教育(仮.bot @art_education_

観点が性的な嫌悪感の趣向返しのみで情報量なし。無料登録の解除を要求したい。 ブレンディCMで喜んでいるジジイ達にはリビドーが足りない|May_Roma @May_Roma cakes.mu/posts/11132

2015-10-21 01:31:43

まとめ ブレンディCMはディストピアか?元長柾木氏の見解とその考察 フィクションを現実に服属させる見方への批判と、ディストピア(SF?)の構造 自由意志と過酷な競争社会 20422 pv 103 16 users 3

における論点についての雑感

 (1)~(3)に関しては「よい牛乳を訴求するためにウシ子が努力し認められる過程を描いた」ので製作側もAGFも問題を感じなかったが「自分が思うほど他者から認められていない人たちへの配慮を怠った」と言えるかもしれない。(格差が広がるにつれて増えていっているのかも?)
 (4)~(5)に関しては、「フィクションの上でも現実の風刺においてもウシ子は幸せであり、実は矛盾していない」「現実の風刺が不快なのであって、ウシ子はその中で勝ち組」
 不幸だったのは発達課題をクリアできなかった田中ビーフ君やカルロス闘牛場君および彼らに共感した現実の鑑賞者になる。

 (6)~(10)に関しては、フィクションで言うならシノハラ氏に同意できるが、この作品に関しては現実の就職活動の風刺が「われわれの価値観を揺さぶっている」ために自文化を省みざるを得ない。元永氏の主張はここがおかしい。

元永氏は作家であり、他者認知ではなく、製作と自己認知の一致によって自己同一性を確立できる例外であることを考慮する必要あり。「フィクションを現実に服属させる見方への批判」は作家故のものである可能性が高い。

ただ、出会い篇の話に関しては、ウシ子はフィクションにおいても現実の風刺の意味においても幸せであり、元永氏の読解が正しい。

ブレンディCMはディストピアか?後半の自由意志と過酷な競争社会についての雑感

あすかい氏の自由意志を表明してそれが社会にきちんと尊重されるからディストピアではないとの見解は評価されるべきだと思う。
一方で過酷な競争社会はディストピアであるとするしんかい氏の見解も理解できるし両者ともこの社会に生まれたくないとする部分で一致している。

これらを踏まえて、製作者が意図しなかった擬人化の結果の現代日本の風刺であることを鑑みると、非正規雇用でモラトリアムを強要され少子化し内戦でもないのに絶滅危惧されている日本はすでにディストピアなのか否か問われるべきなのではないかと感じる。