[中村政人個展]再考:90年前後の東京のアートシーン。そのとき何が起こっていたのか?[実況]
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[補足] 70年代とあるが70年代末を指しているのかもしれず、また80年代の聞き間違いかもしれない。 twitter.com/misoni_2013/st…
2015-10-18 18:43:40出原「イメージをどうするかが80年代頃にでてくる。 アゲインストネイチャーでは舟越桂、具象で伝統的美術から美術をやり直す。さらに記号・文字を使った平林、そしてテクノロジーを使った宮島達男。当時圧倒的な力のあった美術手帖でも宮島、川俣、大竹伸朗など出てきた
2015-10-18 15:27:14出原「80年代は私と同世代の30代が出てくる。 90年代にはヤノベケンジが出てきて更に若い世代、他には村上隆とか。 そしてレントゲン藝術研究所では池内が新しい作家を紹介。 美術手帖もポップ・ネオポップの紹介をしてる
2015-10-18 15:28:18出原「アゲインストネイチャーやそれ以前はスタイルが重視されたが、アノーマリーはそうでなく物事をストレートにだしてきた。そして美術は芸術の頂点にある価値を持っていたが、文化全体の中で美術を位置づけている感じが90年代にはした
2015-10-18 15:29:53出原「60~90年代を繋げる歴史を考えてたが、ここではもっと断絶を考えるように指摘したのが椹木野衣の日本・現代・美術。以前の歴史を否定し90年代を位置づけるもの。これはゼロ年代の美術へ結実する
2015-10-18 15:30:56出原「断絶について。90年代にはアジア美術が評価された。渋谷国際交流基金のASEAN文化センターがあり、美術前線北上中で紹介された。それは政治的美術が多く、日本のフォーマリスティックな美術や欧米もそうだが、そのPCアートとアジアにより日本を相対化するような感じを受けた
2015-10-18 15:32:42[補足] 「日本のフォーマリスティックな…受けた」とは欧米同様日本もフォーマリスティックな美術のみ追求していたが、そのPC(ポリティカル・コレクトネス)アートとアジアという視点により日本を相対化させるようにみえた、ということ twitter.com/misoni_2013/st…
2015-10-18 18:49:29出原「世田谷美術館で行われたパラレルビジョン。これはアウトサイダーアートとインサイダーアートの比較だが、これがアウトサイダーアートが日本で大きな意味を持ち始める。これも90年代前半
2015-10-18 15:33:55出原「90年代後半にはビデオアートが出てくる。プロジェクターが出現するため。それ以前は造形性が強くフォーマリスティックだった。ここからどうするかで中村や村上もでてくるのだが。
2015-10-18 15:35:20[補足] 「ここからどうするか…」とは造形性が強くフォーマリスティックだった状況に対しここからどうするか、という意味 twitter.com/misoni_2013/st…
2015-10-18 18:50:52出原「90年代後半には見ることのアレゴリー展がありこれはフォルマリスティックな展示で、広島市現代美術館は広島という主題が強く、そのためフォルマリスティックの強さに驚いたりした
2015-10-18 15:35:35出原「90年代になるとギャラリーが増え、画像は「ハイネケンビレッジ」の中原浩大展。そして「SOKO」新木場でここは東京画廊と南天子共同に借りたスペースによる巨大スペース。またアキライケダギャラリー。P3、ここは宗教団体によるスペースで芹沢さん中心運営。
2015-10-18 15:46:13出原「青山周辺にもでき始め、Skydoor。ギャラリーでないが都市型スペースとしてスパイラル、画像は椿昇、人間の条件展。 東高現代美術館、これは実質二年。
2015-10-18 15:49:00出原「私立の現代美術紹介としては、原美術館は当時から現代の日本美術家を紹介してた。ハラアニュアル。そしてセゾン。 公立では現代美術は紹介されていなかったが、栃木でアートドキュメントがあり、パフォーマンス・ビデオ・インスタレーションの公募展であった
2015-10-18 15:50:31