高島章弁護士による論考「悪法」と市民ための法哲学

話題の高島章弁護士が神原元弁護士の「だいたいの正義」という法哲学に対して投げた論考についてのあれこれを少しまとめて見ました。
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まとめ 市民にとっての「正義論」~野間易通さんの「だいたいの正義」論に示唆を得て 基本的に自分用のメモ。在野の運動家の示唆を得て、在野法曹が呟いたもの。まさに「実践知」に基づくものですので、「学問」のレベルではありません(笑)。学者・研究者の方々からのご意見、訂正等は歓迎しますが、ネトウヨの「荒らし」には対応させて頂きます。 58255 pv 1415 51 users 225
高島章 @BarlKarth

「だいたいの正義」などと言ったへんてこ法哲学を賛美しRTしている人たち(「闇の勢力」)は私の論考を読んで目を覚ましてほしい。 facebook.com/groups/7104106…

2015-11-15 00:46:05
リンク twitter.com 高島章(弁護士)(@BarlKarth)さん | Twitter 高島章(弁護士) (@BarlKarth)さんの最新ツイート 93年、新潟県弁護士会登録 2000年、新潟県弁護士会副会長 キリスト教原理主義者 新潟水俣病第3次訴訟弁護団長 朝鮮総聯新潟県本部顧問弁護士 にいがた東響コーラス団員(バス) 日弁連刑事法制委員会幹事 朝まで生テレビ「激論!ド~なる?!裁判員制度~」に出演 新潟

普通に原稿をダウンロードして読んでもさっぱりだと思うのでまとめ主による要約を書きます。

特集▼悪を神学する―それ抜きに語れるのか

カッコ内はまとめ主による適当な見解ですw

●自然法

法哲学史をみると、元々カトリック法思想。ホッブスなどの自然権論を基本とした「悪法は法ではない」という自然法論が主流だった。
19世紀に入り、「悪法も法である」という法実証主義が主流になる。背景には論理実証主義、法と道徳の分離、善や悪など道徳的判断に対する価値相対主義があった。

その法実証主義は、悪法を現実化したナチズムにより打撃を受ける。要するにナチの法に従った者に罪はあるのか?という裁判所の法実務面から問題が露わになった。


●法実証主義

「悪法も法である」は間違いなのか?
実際にナチスのドイツキリスト者運動にいち早く取り込まれたのは、キリスト教でも法実証主義的なルーテル教会だった。(ルター派は、宗教改革の原理主義的な所があり、聖書・成文化された法には従うべしみたいなところがある)

●バルトとブルンナーの論争

ブルンナーの自然神学→「人は、神に似せて創られた。そうである以上、人は神が有している理性を分有しているはずである。その理性、善性により人は何が善で何が悪かを判別できる。それは、ある程度聖書の特別啓示から独立した能力である」

コレと同様の論理で、人間は法律以外の善悪(自然法)を判断できるという話になる。

それに対してカール・バルトが批難→人の背負う原罪は、人の理性にも及ぶ。特別啓示がなければ罪人は善悪の判断さえつかない。
(特別啓示ってのが、立法・法の成文化に繋がるわけやね)

●悪と善

人は善悪を判断できるのか?
特にキリスト教は、聖書という文章化されたものなくして基準がなりたつのか?

オッカムの思想→自然的な理性ではなく、主権者たる神の意思が善と悪とを制定し定義づける。

ケルゼン→法実証主義者で自然法を批判。法律の妥当性根拠を「理性」ではなく「意思」に求めた。(この場合、主権者が国民である場合、国民の意思に従えということになる。主権者がナチスになった場合は…)

●悪法は法か、悪法に従うべきか

ここまでの話を鑑みると、法実証主義がナチス容認だと見える。しかし、歴史を振り返ると、自然法主義の伝統を持っていたカトリック教会の方がナチスに抵抗出来ず。ケルゼンとかの方がナチスに抵抗して亡命している事実もある。

「自然法論=悪法は法ではない」・「法実証主義=悪法も法である」という図式がそもそも事柄を単純化しすぎている。

「悪法」という言葉も、「悪」と「法」に分けると、悪に従うべきか・法に従うべきか、という二つの命題に分解できる。自然法論なら「法には従うべき」という命題を疑わない。法律に従うというのは最低限の道徳だから。

しかし、法実証主義は「法には従わなくても良い」という結論もあり得る。
(元々宗教改革してきたルター派だから、道徳的権威にも疑ってかかるためこういう結論にもなるだろうとは思いますが)結局のところどうなるかはわからない。

(最後の方は高島氏本人が言うように、なんだかよくわからないですねw)

fuyu @fuyu0

@BarlKarth 結論は非常に明快。ただ法実証主義が価値の問題をどう扱っているか、権威云々のあたりが、わかりにくい。法実証主義では、あつかわないのかもしれないがそれも含めてわかりにくい。

2015-11-15 12:41:40
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 実は最後のほうで重大な誤植(命題が正反対)が一箇所あります。

2015-11-15 12:52:22
fuyu @fuyu0

@BarlKarth ? 「従わざるべきでない」ですか?

2015-11-16 11:58:26
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 論考の「悪法は法か、悪法に従うべきか」はまぁ,精密な分析なのでしょうが,しかし,一般教養層(リベラル派クリスチャン)からみると分析的過ぎて煩瑣な議論になってしまいました。自分でもどこが誤植だったかわからなくなりました。

2015-11-16 12:11:06
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 実証主義=価値根無し草主義でないことは皆さん分かっているとは思うのですが(「だいたいの正義論」賛美者は除く)、まぁ、「価値の問題」について断定的なことを言わない、というウェーバー以来の伝統でしょう。

2015-11-15 12:54:02
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 存在から当為は導き出せないと言っているだけで、存在から独立して価値・当為を考えることはできるでしょうし、むしろそれが新カント派(伝統的自然法の対極)の考えでしょう。

2015-11-15 12:55:32
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 ある神学者は「カントは神の首をちょん切った」と述べていて、なるほどと思いました。

2015-11-15 12:56:10
fuyu @fuyu0

@BarlKarth その辺が、法哲学など考えたこともないものにはよくわからないのですが。法実証主義は、価値・当為の問題などなしで済ますのならわかりやすいのですが、別に考えるのなら、その理論はどこから持ってくるのでしょう。どんな価値・当為理論でも、接続可能とは思えないから。

2015-11-16 12:02:15
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 「証明不要の公理」みたいにして,一定の価値を自明のものとして扱うしかないでしょう。

2015-11-16 12:26:28
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 この辺は,最近「市民的法哲学」で「悪法論」を語りだした神原元 弁護士@kambara7がどう考えているのか,聞いてみたいとは思いますね。

2015-11-16 12:32:28
fuyu @fuyu0

@BarlKarth (つづき)また、もし、法実証主義が法の妥当根拠を神の意志に持ってきたとすると、それは必ず守らなければならないはずですから「自然主義的誤謬」どころではない誤謬に至らないのでしょうか。  存在と当為を分けられないというのも、かなり有力な考えのように思えます。

2015-11-16 12:06:14
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 この点は、よく分かない。その辺はなお考察中である。 と「逃げを打った」部分です。

2015-11-16 12:16:14
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 そこは考え中ですし,論考でもは 「存在と当為をそうすっぱりと分離できるのか」異論のあるところだろう。その辺はなお考察中である また、カトリック信徒から見れば私のような考え方 在論の立場からの批判もあり得ようが、

2015-11-16 12:15:37
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 「聖書原理主義」「意思主義」(反トマス的理性主義)の立場の私としては,そういう結論になりますね。

2015-11-16 12:17:29
fuyu @fuyu0

@BarlKarth お答えありがとうございます。ということは、法実証主義で「法には従わなくてよい」「悪法には従わなくてもよい」という結論をとりうるためには、法の妥当根拠を神の意志に取れなくなりますね。

2015-11-16 16:07:00
fuyu @fuyu0

@BarlKarth 他で述べておられるように、実用的には憲法あたりで「意志」なるものを探せばよいのでしょうが、理論的には神までさかのぼらざるを得ない気もします。ありがとうございました。

2015-11-16 16:09:31
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 「神は悪をなし給えない?」これも矛盾でしょう。

2015-11-16 16:14:28
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 私は「神が意思し給うがゆえにそれは善である」という立場を最近まで取っていましたが,こういう立場に対するラッツィンガー(正統的トマス主義自然法論)に接し,この考えは揺らいでいます。

2015-11-16 16:12:23
高島章 @BarlKarth

@fuyu0 トマス主義とオッカム主義の対立でしょう。現代神学で言えば,バルト対ブルンナーですね。

2015-11-16 16:10:58