1部 1章【芋嵐が吹く】

入江の魔人シリーズ第2弾
1
えみゅう提督 @emyuteitoku

それが幌筵へと来たのは秋口にしてはひどく冷たい風が吹く朝だった。まだ立ち上げたばかりで人の足りない泊地で、江見は直接それを出迎えた。本拠点のドアを叩いたのは不格好にコートを着込んだ女だった。背にはクレーンを備えており、ただの人ではないと判断できる。 1

2015-11-27 20:01:35
えみゅう提督 @emyuteitoku

女はひどく動揺していて、江見の顔を見て少し口を開けただけで、何も言わずに立っている。江見は頬を掻いて言った。「今日曇って寒いし、中入る?」女は小さく二回頷き、玄関をくぐる。江見は女を執務室に招き入れた。江見はさっそく正体を問いただす。「で、君だれ?とりあえず艦娘だよね」 2

2015-11-27 20:03:59
えみゅう提督 @emyuteitoku

女は首を傾げて江見を見た。「ほら、クレーンといえばー、私じゃないですか」工作機械というわかりやすい特徴を持った艦娘、江見はそれを知らなかった。「さあ?私は新米でね」「ええ…?新任でも一度は私の同型を目にしたことがあるんじゃ?」明石の問いに江見はかぶりを振った。 3

2015-11-27 20:06:30
えみゅう提督 @emyuteitoku

「私の畑は陸軍でね。しかも、今この立場にいるのも正規の手続きじゃない、内地の海軍のことなど知らんな」正規ではない、その言葉を聞いて明石の口元が吊り上がる。「裏から、というと、もしかして、危ないことにも興味をお持ちですか?」明石は本性を垣間見せた。 4

2015-11-27 20:08:53
えみゅう提督 @emyuteitoku

明石の邪な笑顔を見て江見はとぼけた顔で答える。「危ないことは嫌いだ。辺境の泊地とはいえ指揮を任されたのだ、できる限り危険は避けるよ」彼の至極まっとうな意見を聞いて明石は落胆した。提督の考えが安定を求めるからには、ここも自分の居場所ではないのだと。 5

2015-11-27 20:11:09
えみゅう提督 @emyuteitoku

落ち込む明石に江見が言葉を投げかけようとした時、執務机の電話が鳴った。江見は受話器を取る。「江見です…は?脱走兵、いや脱走艦ですか?」江見の言葉を聞いた明石は戦慄した。もう、辺境まで手を回してきたのだ。その実、彼女は海没処分対象、死刑を宣告された身であった。 6

2015-11-27 20:13:29
えみゅう提督 @emyuteitoku

泊地修理担当という立場を利用して彼女は自分が思いついた改造を、密かに担当した艦隊の艤装に施した。何も知らない艦隊はその装備を使い規格外の火力をもって敵艦隊を殲滅、見事完全勝利した。そして暴発と誘爆により一隻も残ることなく爆沈した。 7

2015-11-27 20:15:07
えみゅう提督 @emyuteitoku

主力を失った鎮守府は一時機能停止に追い込まれ、明石は見つかる前に逃げだした。大湊へ逃げ、単冠湾へ逃げ、幌筵へ逃げ込んだ。逃げて逃げて、どこかでやり直そう、彼女はそう決めていた。しかし、軍という組織はそれを許すことなく、最前線の幌筵島まで手を伸ばしてきた。 8

2015-11-27 20:17:01
えみゅう提督 @emyuteitoku

「クレーンですか、そうですねつい先刻見かけました」江見は受話器片手にさらりと答えた。危険なことは避けるといったばかりだ、これ以上北に行き場はない。明石は諦めるしかなく、大きく息を吐き出した。魂の抜けた明石に一瞥をくれてから、江見は電話に戻る。 9

2015-11-27 20:18:12
えみゅう提督 @emyuteitoku

「いやはや、海没処分対象でよかった!呼びかけに応じないから沈めてやったんですよ。資料で見ない深海棲艦だったもので、もしかして艦娘かと思って冷や汗かいていたところでした。いえいえ、こちらこそ、どこに報告すればわからず狼狽えるばかりで未熟さを痛感いたしました!」 10

2015-11-27 20:19:00
えみゅう提督 @emyuteitoku

江見は嘘をつき明石をかばった。明石は目を見開いて立ち上がり、江見に頭を下げようとして――彼の表情を目にし、凍り付いた。歪んでいるのだ、心象を表すかの如く、瞳孔まで捻じ曲がっていると錯覚する、狂った笑み。それでも江見の声色は何一つ変わらず電話に答えている。 11

2015-11-27 20:21:29
えみゅう提督 @emyuteitoku

「一件落着ですね。なんと報奨を?ありがとうございます駆け出しの身に染み入ります。はい、失礼します」江見は静かに受話器を置く。「これで君は死んだ。私なりの危険回避ってわけだ」彼にとって世間がいう重罪など些細なものだった、だから許した。明石の胸に感動が、敬意があふれ出した。 12

2015-11-27 20:24:09
えみゅう提督 @emyuteitoku

私は小者だった!こいつは比べ物にならないものを抱えている!もっともっと、想像ができないほどの面白いことができる!明石は膝を折り、大きな音を鳴らして額を床に擦り付けた。「私を――使ってください!工作艦、アカシ!どうか提督の下に就役させてください!」 13

2015-11-27 20:26:19
えみゅう提督 @emyuteitoku

江見はアカシの申し出の全てを許諾した。非正規の着任式と共にアカシは泊地の空いている倉庫を所望した。港湾部の空の倉庫についたアカシは両手を広げてくるくると踊りだす。「本当にいいんですね!全部、ここ私のラボにしていいんですよね!やった、やった!」 14

2015-11-27 20:28:10
えみゅう提督 @emyuteitoku

喜ぶアカシに江見も微笑んで答える。「もちろんだとも!この中なら自由に使ってくれ」アカシは両手を挙げて跳ねた。「やったー!じゃあ、駆逐艦用意できますか?できればフラグシップ以上が…って無理ですよね」文字通りに舞い上がっていたアカシはいきなり無理難題をこぼした。 15

2015-11-27 20:30:08
えみゅう提督 @emyuteitoku

彼女には理想があった、艦娘と深海棲艦の境界の解明。6隻が爆沈した事故の原因も深海棲艦の艤装の機構を参考にしたからであった。それもほんの入り口にすぎない、彼女の次の研究対象は『深海棲艦が艦娘へと変化する過程』その観察にあった。しかしそれは至難を極める。 16

2015-11-27 20:32:07
えみゅう提督 @emyuteitoku

艦種にはそれぞれ必殺の武装がある、たかが駆逐艦といえども魚雷による自爆に巻き込まれれば「あ、チクマ聞こえる?イロハニのどれか捕まえてきて、フラグシップ以上ね。10番倉庫にいるから。じゃよろしく」ただで済まないような事を江見はあっさりと了承した。 17

2015-11-27 20:34:10
えみゅう提督 @emyuteitoku

「あの…文句言われてますけど」江見が持つ端末からノイズ混じりに『ザケンナ!デキルカボケ!』とドスのきいた雑言が飛び出しているが、江見は気にする様子もなく笑っていた。「では、戻ってくる前に準備しよう!ハーハーハァ!」空の倉庫の中、江見の不気味な笑い声がこだました。 18

2015-11-27 20:36:15
えみゅう提督 @emyuteitoku

アカシが所望したのは記録用の撮影器具と電動ハンマーやワイヤーカッターなどの工具、そして海水で満たしたコンテナ。アカシは慣れた手つきで泊地に用意された重機を操り早々に準備を完成させた。その手際の良さに江見は感心する。「いやはや、すごいなこれが工作艦か」 19

2015-11-27 20:38:18
えみゅう提督 @emyuteitoku

目を丸くする江見に、アカシは艤装のクレーンを叩いて胸を張った。「ようやく尊敬できる人に会えたんです、全力全開でやらせてもらいます!」「それはありがたい!」にこにこと笑い合いながら器具の点検を進める二人の手を止めたのは倉庫のドアを激しく叩く音、誰かが鉄の扉を蹴飛ばしている。 20

2015-11-27 20:40:23
えみゅう提督 @emyuteitoku

江見は腰に手を当ててにやりと笑う。「驚きだ。向こうも早い」「こら!開けてくれ!両手塞がってんだ!」怒鳴り声に答えて、江見は倉庫の入り口に小走りで向かい、扉を重そうに押し開けた。隙間が開いた瞬間、つま先がねじ込まれ、勢いよく扉を蹴り開けた。 21

2015-11-27 20:43:04
えみゅう提督 @emyuteitoku

最初に倉庫に飛び込んできたのは曇りで弱くなった日の光、次に駆逐ハ級が投げ入れられた。「おらー!どうだぁ、捕まえてやったぞ!一本釣りだ!」最後に入ってきたのは得意げに大声で話す――艦娘?両の手それぞれに1tはありそうな鉄塊の如き艤装を手にした人型。 22

2015-11-27 20:44:11
えみゅう提督 @emyuteitoku

アカシは似た姿の艦を知っていたが、その名を思い出す前に江見がそれを紹介する。「この子がチクマ、我が泊地の筆頭重巡だ。アカシ、自己紹介を」江見に促されアカシは姿勢を正した。「今日というかさっき着任したアカシ…です」彼女は頭を下げている間に思慮を巡らせる。 23

2015-11-27 20:45:40
えみゅう提督 @emyuteitoku

な~に~が筑摩だっ!そりゃ重巡だけど!違うでしょこれ!幌筵はもう敵に占領されたってか?!内心でパニックを起こすアカシの前に、鉄塊が差し出された。「こんななりだが、チクマをやっている。よろしく頼む」チクマが出したのは左手の艤装、握手を求める動作だ。 24

2015-11-27 20:48:04