1995年についての考察

宮沢章夫さんがその日の授業で話す95年サブカル論について漏らした呟きに、演劇人などが反応した・・・ひとつのテーマで演劇の人とか、クリエイターさんとかが考察するのって、面白いよ。 追伸:このまとめに対する反応(2日分)をまとめてみました。題して「RE:1995年についての考察」http://togetter.com/li/92153
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ケラリーノ・サンドロヴィッチ @kerasand

潜在下で無根拠に対して怯えてる人たちにナンセンス(ある種の)はキツかった。今もそれは続いてます。RT @sakuraikeisuke この指摘重要 @kerasand くだらない舞台を連発してた自分ですが、俄かに観客の反応が鈍くなっているのに気づいたのが95年「ビフテキと暴走」

2011-01-20 16:49:45
みーちゃん @depression_cats

@aki_u_ench 80sを幸福に生きた方々の「差異化のゲーム」の最末期の88年に大学入学。「学生でもお洒落は最低限のマナー」とDCブランドを同級生たちは一斉に買い始めました。不思議なことにファッション界隈のお仕事に「今」関わっているのはこの輪にいなかった人間ばかりです。

2011-01-20 16:49:58
桜井圭介 @sakuraikeisuke

正直に言います。阪神・淡路大地震の起きた直後、午前中のニュースで、そこで暮らしていた人々の惨状を詳細に知る前、ヘリの空撮による高速道路の倒壊のジグザグな形状を見て、「うわ!これこそ究極のデコンストラクション建築じゃん!」とか咄嗟に思ってしまった自分でした。酷過ぎますが事実です。

2011-01-20 16:54:20
松本謙一郎 / Matsumoto Kenichiro @thinkhand

RT @sakuraikeisuke: .@aki_u_ench なにしろオウムをオモシロ集団として“消費”してたら、、、ということがわれわれ自身の自己批判をも招いたのでした。能天気なデタラメ万歳が言いにくくなった、というか。

2011-01-20 16:54:31
いとうせいこう @seikoito

@aki_u_ench 一昨年ネットに書き始め、中断し、今年また書き継ぐ「我々の恋愛」という小説舞台も94年で、クライマックスを95年に迎えます。20世紀のテロリストの倫理が地下鉄サリン事件で終わる頃、主人公たちの恋愛もノスタルジックな均衡を失います。

2011-01-20 16:54:55
桜井圭介 @sakuraikeisuke

そうだね。今もなお。RT @kerasand 潜在下で無根拠に対して怯えてる人たちにナンセンス(ある種の)はキツかった。今もそれは続いてます。RT @kerasand くだらない舞台を連発してた自分ですが、俄かに観客の反応が鈍くなっているのに気づいたのが95年

2011-01-20 16:58:32
中のひと @penguaholic

@aki_u_ench 黙々と仕事しながら、"答え合わせ"のつもりで橋本治を、『自分には実がない』と思いながら中上健次と森鴎外の歴史もの、とお三方の本ばかりを繰り返し貪り読んでいました。"外"の重さに対抗しようとしたかったのかもしれません。

2011-01-20 16:58:52
saito @9saito

@aki_u_ench サリン事件のとき“まさか”と驚愕した、教団の攻撃的側面には完全に無知で面白おかしく揶揄するだけだったのを思い出します。そうした視点が集団の孤立感や団結力、集団外への攻撃性にどんな影響を与えたのか。無関心ではいられません。

2011-01-20 16:59:53
サトーマリコ @mr3laugh

@aki_u_ench 95年。高二の春休み。学校に出向く用事のあった私は、おそらくですが、地下鉄サリンの電車に乗っていました。ひとつ手前の駅で降りたため無事でしたが、電車の遅延で来ない友人を、人気のない校舎で待ってた景色を今でもハッキリ覚えています。

2011-01-20 17:09:30
@kigch

@sakuraikeisuke 同年春のオウムについてはどのような感想を持たれましたか

2011-01-20 17:17:24
鴻上尚史 @KOKAMIShoji

95年の阪神大震災とオウムサリン事件以降、難解への拒否が主流と感じています。アンケートもガラリと RT @kerasand: 潜在下で無根拠に対して怯えてる人たちにナンセンスはキツかった。今も。俄かに観客の反応が鈍くなっているのに気づいたのが95年「ビフテキと暴走」

2011-01-20 17:20:52
桜井圭介 @sakuraikeisuke

倒壊した高速道路と同じ意味では、教団本部のハリボテのシバ神が「超ウケるーー!」とは思いました。サリン事件後、強制捜査の時ですから今思うと「おまえ無神経過ぎるよ」なわけですが。@kigch 同年春のオウムについてはどのような感想を持たれましたか

2011-01-20 17:22:07
中田文 @nakatabun

@sakuraikeisuke 実際、震災3日後に現地入りした時、地割れして蛇行する道路や斜めに傾いだ建物や屋根に柱が落ちたBMWを迂回しながら、真暗になるまでなかなか目的地に辿り着けなかった時でさえも「デコンストラクション建築」な感じがしました。まるで夢を見ているみたいだった。

2011-01-20 17:23:02
みんみん @mingpresso

@aki_u_ench 95年といえばスチャダラパーの『サマージャム'95』ですね。

2011-01-20 17:31:32
ケラリーノ・サンドロヴィッチ @kerasand

現実が不条理ならばせめて虚構は理解したいという生理はわかりますが・・・・RT @KOKAMIShoji 95年の阪神大震災とオウムサリン事件以降、難解への拒否が主流と感じています。 RT @kerasand: 潜在下で無根拠に対して怯えてる人たちにナンセンスはキツかった

2011-01-20 17:35:38
@kigch

@sakuraikeisuke あのハリボテ、印象深いですね。あれを見て、ボロは着てても心は錦 みたいな言い訳の仕方は、まあ、ありえると思い、そして自分でも未だに使うことがあります。ボロはボロなのに。

2011-01-20 17:36:17
@asa_co

演劇周辺の人たちが1995を語っている(主に宮沢章夫さん @aki_u_ench のTLで)。95年は私もすごく印象的、流れが変わったという感じがある。

2011-01-20 17:38:15
犬のジョン大佐或いはサルガッソー @johndoghouse

確かにあの頃オウムをおもしろだと思っていななあ。一方おもしろ集団になる前は、仏教への興味からふつうに書店でマハーヤーナーを立ち読みしたりもしていました。 RT @aki_u_ench: 「オウムをおもしろ集団」と言っていたわれわれの自己批判についてきょうの授業で話そう。

2011-01-20 17:54:57
桜井圭介 @sakuraikeisuke

.@kigch オウムは神殿がプレハブとかね。実はカオスラウンジのインスタレーション見たときも、上九一色村の教団本部の内部をチラっと思い出したの。反リア充、来世/サイバー空間中心の生活空間および空間表象の相似。

2011-01-20 17:55:29
@kigch

@sakuraikeisuke あの当時建築まわりで「オウム・震災」はセットで語られ、「〇〇は終わった」的な言説が頻出したんですが、ダンスや演劇でもそういうのあったりしたのでしょうか

2011-01-20 17:58:14
@takkyou

わ。@aki_u_ench @KOKAMIShoji @kerasand 三方が95年問題語ってて興味深い。その頃に物心ついた自分が数年経って演劇的な表現に求めたのは、不条理な世界を肯定するための幸福な不条理だったのだと思う。今はままごと的な感性がその要求を掬いとってくれている。

2011-01-20 18:05:24
桜井圭介 @sakuraikeisuke

うーん。そのへんのこと僕のなかで実感として明白じゃないんだよね。記憶がボーっとしてます。@kigch あの当時建築まわりで「オウム・震災」はセットで語られ、「〇〇は終わった」的な言説が頻出したんですが、ダンスや演劇でもそういうのあったりしたのでしょうか

2011-01-20 18:16:05
@kigch

@sakuraikeisuke '95年あたりだと個人的には山本直樹「ありがとう」なんかが時代の一作、って感じなんですが、一方演劇に関してほぼ無知だった(ていうか今も)俺はジョビジョバの公演に通っておりました

2011-01-20 18:20:23
桜井圭介 @sakuraikeisuke

@kigch もちろんそれ以前から活動してたわけだけど、大人計画なんかが一番、「決定的にオウム以降」という感じかも。あ、そうだ、松尾スズキの「宗教が往く」は素晴らしい小説だよ。

2011-01-20 18:30:32
しけたろう @ke_m344

久々のtwitter、宮沢さん(@aki_u_ench)の95年周辺ツイートを読む。小学1年生だった。震災もオウムも全くリアリティがなかった。97年の酒鬼薔薇も。世の中に対して目が開いたのは2001年だった。

2011-01-20 18:51:39
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