交通機関としての「車」と「馬」にまつわる想像力の歴史

king-biscuit氏の書き込みが個人的にたいへん興味深かったので、備忘にまとめました。
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【参考】第4回 馬車鉄道の時代 | 東京都市交通史~半径一時間の世界(小久保せまき) | 東京史楽
《文明開化と共に馬車や乗合馬車は導入されていたものの、未舗装かつ狭く折れ曲がっていた江戸の極めて悪い道路事情では、乗り心地が悪いだけでなく輸送力そのものとしての真価を発揮できずにいました。ところが、大通りに敷設された馬車鉄道は、抵抗の少ない鉄のレール上を鉄輪の客車が転がっていく非常に効率のよい乗り物です。》
《運賃は馬車や人力車に比べて格段にやすく、庶民にとっては荷物があるときや、風雨の時には身近に利用されるようになりました。》

セリスコ・ゴジョジョスキー@秋例大祭こ45a @cellisco

@kingbiscuitSIU 他国では、馬を去勢して調教させて、輸送手段としていたらしいです。一方日本では、家畜は去勢せず、自然の状態にしていた関係で、去勢した状態よりも調教が難しかったから、馬車が広がらなかったという話を聞いたことがあります。

2016-01-21 00:06:26
king-biscuit @kingbiscuitSIU

@cellisco みたいですね。「去勢」をしない「未調教」(欧米の目線からすると)の馬がそこら中で暴れてる、だからよく噛みつくし、何より日本人は馬を恐れてる、といった記述が外国人のものには頻出してますね。

2016-01-21 00:08:37
セリスコ・ゴジョジョスキー@秋例大祭こ45a @cellisco

@kingbiscuitSIU 牛も良い輸送手段のはずなのに、去勢しなかった影響で、平安時代の牛が描かれた絵巻は、ほとんどが牛の暴走だったという。去勢することが良いことかどうかは私には判断できませんが。

2016-01-21 00:14:20

【参考】小佐々学,2011,「日本在来馬と西洋馬——獣医療の進展と日欧獣医学交流史」『日本獣医師会雑誌』64(6): 419-426.(PDF)
《このように、去勢法とその目的や効果を知る機会は多かったにもかかわらず、不可解なことではあるが、日本で去勢が実用化されることはなかった。》(424)

king-biscuit @kingbiscuitSIU

「円タク」もあれ、乗客ひとり当たりいくら、という交渉をしてたりするんですよね、記録類をゆっくり拾ってゆくと。市内一律1円、という記述で何となく理解&納得してるような気になってますけど、結構いろんなケースがあったような印象は持ってます。

2016-01-21 00:02:35

【参考】大宅壮一,1929,「円タク助手の一夜」『新潮』26(10).(再掲:1981『大宅壮一全集第2巻』蒼洋社.)
《「市内一円、一人増二十銭」の赤符を掲げ、それを豆電灯で照らしながら、地下鉄工事の敷板の上から、万世から上野に向って進む。》(145)
《彼は、このあたりの地図はよく心得たもので、交番の近くへ出ると、流してゐるのではないことを知らせるために「市内一円」の符をちょっと外して、通りすぎるとまたかける。》(146)
《「錦糸堀の停車場まで三人一円で行ってくれる?」
 「よろしい」
 たねはよくないが、初めての客だから引き受けた。》(147)
《「どちらへ?」
 「駒形まで。一円でいゝだらう」
 「はねですから、もう二十銭奮発して頂きたいんですが」
 「まあ、いゝや、行ってくれ」》(150)

king-biscuit @kingbiscuitSIU

明治の高官などが2頭立ての馬車で、とか書かれてますし、絵図なんかにもありますけど、そもそも2頭立ての馬車なんて馬の運用&調教法って、幕末まででそんなに明確にあったのか、というとどうもあやしいような。

2016-01-21 00:03:47
king-biscuit @kingbiscuitSIU

駕籠に乗る乗り方と、馬に乗る乗り方に結構共通項があったような印象もあるんですよねえ。鞍じゃなくて座布団みたいなのを敷いてその上に半ば「坐る」ようにして乗ってたり。「またがる」のとはまた別の乗り方ですわなあ、あれは。

2016-01-21 00:05:04
king-biscuit @kingbiscuitSIU

人力車の車輪のモジュールがインチになるのはだいぶ遅れたみたいなのは、おそらく近世以来の「車大工」が車輪こさえてたからなんじゃないか、と。だからゴム輪になかなか移行しなくて、鉄輪のまんまで、「無法松」なんかの描写でも明らかに鉄輪の時期になってますわなあ。

2016-01-21 00:06:31
king-biscuit @kingbiscuitSIU

自転車はもちろんタイヤで、スポークも使ったものが輸入で入ってくるわけですけど、でもそれは当時全盛期だった人力車とはかなり「別のもの」として認識&運用されていたような。自転車倶楽部なんかが都市部でそれなりに流行していたにも関わらず。

2016-01-21 00:07:38
king-biscuit @kingbiscuitSIU

「車夫」「馬丁」の類、ってもの言いが自然に受け入れられていたことって、実はいろいろと奥が深いんだと思うんですわなあ……「馬丁」と同じ属性のものとすんなり認識されていたわけで、人力車という新たに登場したブツに関する案件であるにも関わらず。

2016-01-21 00:13:23
king-biscuit @kingbiscuitSIU

例の箱根の鉄道人車にしてもあれ、単に労働力として家畜より安価だったからということだけでもなく、「牛馬」とそういう「路上の衆」とが意味として地続きだった「民俗」的心性wが介在してたんでないかいな、とかねがね。

2016-01-21 00:14:25
king-biscuit @kingbiscuitSIU

「乗合」という交通機関の運用形態は、どうだったんですかね、それこそ川越えの輦台とか輿なんかとも違ってたような気もしますし。

2016-01-21 00:15:41
king-biscuit @kingbiscuitSIU

誰の記述だったか、いますぐにはちょっと思い出せないのですが、小さな田舎の乗合馬車で、乗り合わせた娘っ子にコナかけて、御者のオヤジに因果含ませて後ろ見ないようにしてもらって、馬車の中でやっちゃった、みたいなハナシはありましたなあ。

2016-01-21 00:18:19