ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』東京公演 私選まとめ
- chaghatai_khan
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ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』①前作『闇』でも感じたけれど、前世代がつくった社会の皺寄せに、全身で「NO」を表明しつつ、それでもこの社会に生まれ落ちた責任を引き受けようとする姿勢に胸打たれる。強さのマックスと繊細さのマックスが奇跡的なバランスで成立している希有な劇団。
2016-03-13 02:11:42ドキドキぼーいず『じゅんすいな〜』②チェルフィッチュが成し遂げた、身体と言葉を引き離すメソッドを踏襲はしているが、人物ごとに異なる感情、話法、しぐさ、動線を課しているのが、他のフォロワーにはない大きな一歩。
2016-03-13 02:13:59ドキドキぼーいず『じゅんすいな〜』③そこには当然、不協和音が生まれる 。けれどもその下に、武満徹よろしく、緻密にコントロールされた美しいメロディが隠れていることがやがてわかる。作・演出の本間広大は、思いつきで社会問題を取り込んだり、雑に現代の気分を持ち込んだりしたのではない。
2016-03-13 02:15:03ドキドキぼーいず『じゅんすいな〜』④それは、オープニングとエンディングに流れる同じ字幕が、まったく違う意味をもって響く一点だけでもわかる。本間も出演者も、その若さに似合わない冷静さと覚悟で立っている。もうこんな時間だけど、多くの人に観てほしい。今日13日(日)14時で千秋楽。
2016-03-13 02:17:31観ながら興奮しつつ、すごく不思議だったのは、Twitterで散見した前半に観た人達の反応がすごく薄かったこと。いやこれ、すごい作品ですよ!
2016-03-13 02:20:32ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』冠に違わず9.11や3.11の影響下で生まれた人間による舞台だった。面白さよりも演出論・方法論が透けて見えてしまうのが逆に好印象で、関西発作劇独特の毒とユーモアが静かに脈打っていたのが魅力的。明日(今日)まで仙川で上演中なので興味ある方は是非
2016-03-13 02:53:23昨日観たドキドキぼーいずの「じゅんすいなカタチ」とても良かった。昨年せんがわコンクールで上演した短編が一撃必殺的なものだと思っていたら一年後にすごい長編作ってきた。何かが生まれる不気味な瞬間に立ち会えて嬉しい。本日14時千秋楽だって。@せんがわ劇場
2016-03-13 11:51:06@nomotozigoku ご来場いただきありがとうございました。 出演しておりました、片岡春奈と申します。 ご感想ありがとうございます。とても励みになりました。フォロー/リツイートさせていただきました。 はやくも千秋楽ですが、残り一ステージもがんばってまいります。
2016-03-13 12:17:11@neco_na 丁寧にありがとうございます^ ^見ている時は父親や兄弟に気持ちが引っ張られるのですが、後から反芻すると、加害者である意識を持ちながらも新しい家族を作ろうとする片岡さんの役にぐっときました。クリスマスのシーンが今とても印象に残ってます。お疲れ様でした!
2016-03-13 18:14:36ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』。今に対峙する真摯な姿勢、特に前半の脚本の構成の巧みさ、演出における攻めの姿勢、そして演出の目指すところをおそらくは極めて高い精度でリアライズしたであろう俳優たち、と好感を持ったポイントはけっこうあるのだが、→
2016-03-13 16:32:03それでも俺は今回の作品はそれほどいいとは思えなかったのだ……。「身体・言葉・意識を解離させる演出技法」と、特に今回の脚本のスタイルがマッチしてないんじゃないかというところが大きいのだけど、そもそも「身体・言葉・意識を解離させる演出技法」自体への「だから何?」感もあり。→
2016-03-13 17:14:02ちからさんの言う「黒白つけられない世界」がたしかにリアライズされたと感じる瞬間もなくはなかったのだけど、大半の時間は発話方法も含めた身体のうるささに言葉が負けて、乱暴に塗り潰されてしまっているように感じた。まあ正体不明ではあったのだけど……。→
2016-03-13 17:20:32チェルフィッチュや岡崎藝術座、範宙遊泳の作品における挙動や発話のあり方はそこで発せられる言葉の形式(ダラダラしたしゃべりや非口語的言語の導入、てにをはの脱臼など)とセットで存在するものだと思うんだけど、ドキドキぼーいずの言葉は(少なくとも今回は)基本的に口語体で構成されている。→
2016-03-13 17:25:25だからこそ「言葉と身体の解離」なのだということもできると思うのだけど、しかし「黒白つけられない世界」は口語とナチュラリズムの演技でもリアライズ可能である(むしろそれこそが現実なのだ)ということは、これもちからさんが名前を挙げているように平田オリザがすでに示している。→
2016-03-13 17:32:42さらに、今回の『じゅんすいなカタチ』は時間が巻き戻っていく形で脚本が構成されていて(クリストファー・ノーランの映画『メメント』の形式)、冒頭で示される出来事がなぜ起きたのかが作品が進むにつれて少しずつ明らかになっていく。謎の提示(宙吊り)とその解決(解消)。→
2016-03-13 17:43:05この『メメント』形式の脚本、特に前半で観客に様々なことを錯覚させる手際は極めて巧みな部分があったのだけど、一方でこの形式は最終的には宙吊りの解消を強く要請するし、徳永さんの指摘している最初と最後の字幕の巧さも作品を収斂させるのに一役買っている。→
2016-03-13 17:52:07もちろん脚本上、すべてが説明されている(=黒白つけられている)わけではないのだけど、しかし全体としては事件の顛末を納得するに十分な情報が与えられているし、それでもなお「割り切れない」ことがあるのがこの脚本の「強さ」だと思う。→
2016-03-13 18:01:45でもこの脚本を上演するのにあの演出技法は必要か。俺は普通にナチュラリズムで上演した方がいいんじゃない?と思ってしまった。声も身体もかなり「うるさい」のでともすれば言葉が入ってこない(途中で帰るお客さんがいたのはそういうことだと思う)。→
2016-03-13 18:08:06やまけん氏(@yamakenta )にリプライしようかと思ってるんだけど、いつ終わるとも知れぬ連投を待っているあいだに劇場に行く時間となりそうです。
2016-03-13 18:18:54怒鳴られたら言葉の内容より怒鳴られたことそれ自体の方が印象に残るのと同じ。そういう効果(ある種の嫌悪感を観客に与えること)も狙った演出だという気もするのだけど、そうするとやはり脚本の巧さとの食い合わせが悪いんじゃないだろうか。→
2016-03-13 18:19:21言葉にはならない切実さ、みたいなものは表出していた、のかもしれないと思う一方、街頭演説に耳を傾けることの難しさと同じものを感じた。最後、話がいきなり飛んだけどとりあえずここまで。
2016-03-13 18:50:55普段は面白いと思えなかった作品について言葉を発することは基本的にしてないのだけど、今回は劇団として「批評の言葉の必要性を強く意識している気がします」という徳永さんの言葉とオススメに押されて(しかも招待までもらって)観に行ったので俺なりの誠実な対応として。
2016-03-13 19:02:49ドキドキぼーいずは、はじめの字幕見て一瞬、すごいかぶった!!と思ってかなりどきどきしてしまった(犬)。一種のガラスの動物園だった、と思う。アフタートークがとてもよかった。異常発話、というのか、ああいうの得意でも好みでもないのだけど、最近すこし平気かつわかるようになってきた
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