- senjuin1010
- 122761
- 3241
- 129
- 1373
フルネーム初めて知りました!!!!!!!!おおおおおお、ありがとうございます!!!!キチンとファイリングして後世に残したいと思います!!!! twitter.com/kaunaya/status…
2016-03-27 22:55:34@senjuin1010 富小路友学康珍という名前の仏師(七條仏師傍系?)で、初代?は寛文5(1665)年ごろ生まれ、没年未詳のようです。
2016-03-27 22:52:55@senjuin1010 このひとが江戸時代仏像のやわな表面をあつかうのが得意なので、 どうでしょう?npo.butuzou.net/index.html
2016-03-27 23:00:08@senjuin1010 江口正尊師の御高説に随って訂正します。 初代友学、姓源、清水氏、諱康倫(康輪トモ)、法橋。寛文五(1665)年生、没年未詳。東寺大仏師七条中仏所二十六代左京法印康祐三男、長兄二十七代康伝、次兄康永。
2016-03-28 21:23:05@senjuin1010 富小路に在所有るよりにや富小路を号すらん、歴代富小路友学を称す。 千手院千手観音座像を造せるは時に康倫三十九歳なり。
2016-03-28 21:27:51@senjuin1010 ええと、台座上面真ん中左の「(墨書スレテ見エズ)六癸未年」は、文政六年(1823)の可能性もなくはないですが、伽藍焼失の年から考えて遅すぎると考えて除外しました。ほかには明治十六年もありますが、こちらは問題外かと。
2016-03-28 21:49:46@senjuin1010 台座上面墨書、ちょっとわかりました。元禄十六年の当時の住職、「泰■」という道号の人が友学に新造させたことがわかりました。台座光背、本体の金箔が造像当時のままの可能性があるので、下手に洗濯しないほうがいいです pic.twitter.com/o3wwicCBko
2016-03-29 10:08:01@senjuin1010 うわー解っちゃったですね。おめでとうございます。 市指定文化財になるとおもいます。 教育委員会の担当の方にお話しすれば如何でしょう?
2016-03-29 11:14:57@senjuin1010 古い仏像を指定文化財にするプロファイリングしてましたけど、ここまで劇的なのはあんまり無いですね。
2016-03-29 11:17:36@kaunaya 確認致しました。延享四年(1741年)に79歳で示寂されております。一番頑張っていたころでしょうか。
2016-03-29 11:42:41@senjuin1010 いやー完全合致です。二世和尚、 寛文二年(1663)生、千手観音像造立時は四十一歳(数え歳)、これでほぼ解けました。
2016-03-29 11:50:03@kaunaya 一つ気がかりなのは、禅宗のお寺の場合開山さんは拝請(お名前を借りる)するのみにとどまり、お寺の実務や実際は二世さんが行うという事も多いのです(つまり開山さんと二世さんが同時代の人物)。しかし二世さんは17世紀後期の方、当院が曹洞宗に改宗したのが1570年。続
2016-03-29 11:58:26@kaunaya 同時代の方とは思えないですし、かといって開山さん(曹洞宗に改宗した時期)と二世さんの間には200年ほどの隔たりがありますし…。改宗したもののいきなり無住と考えるなら辻褄があいそうですが。
2016-03-29 12:00:21@senjuin1010 室町時代後期に曹洞宗は他宗派寺院を改めて自宗派に転じる攻勢に出るんですけど、実際に辿れる歴住は江戸中期からで、その間の動向が全くわからないのはけっこうあります(自分が知れるのは宮城県の場合)。そこをどうとるのか、無住だったのか。ちょっとよくわかりません。
2016-03-29 12:05:21@senjuin1010 思いつきなんですけどね。江戸前期に新規開山が禁じられるので、廃寺や無住寺を取り立てる時に、室町時代に既に転派していたという方便を立てて、許可を得ていた可能性がありますね。
2016-03-29 12:12:00@kaunaya なるほどー、うちの開山さんは地域でかなり大きいお寺さんの17世さんなんですが、在世時代は恐らく16世紀後半。江戸になる直前ですので、確かにそういう事はありえますね。
2016-03-29 12:18:15@senjuin1010 失礼な言い方かもしれませんが、当該地方で有名な高僧の開山に仮託して、元禄取り立ての正当性を裏付けて寺社奉行への許認可手続きを円滑にしていた可能性はあります。でも、これ研究しきれたら博論ものですね。
2016-03-29 12:23:51