枡野浩一、歌壇に向けて語る(斉藤真伸氏による『みぎわ』二月号「時評」を機に、田中槐氏に宛てて)※更新終了
- masayaokamoto
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@toiimasunomo その考えが全く甘かったことはほどなく知るわけですが、今思うと、俵さんの短歌のつくりかたは枡野さんと近いところにあるようにも見えます。俵さんは、一見さらっとつくったと見える歌でも、ものすごく推敲されると聞いたことがあります。それは、読者に正確に届けたい→
2011-02-03 17:43:48@toiimasunomo そういう思いが強いからなのだと思うのです。だからこそ、多くの共感を得てあのようなベストセラーになったのでしょう。俵さんもはじめは歌壇では批判的に見られていました。シンポジウムで先輩歌人に苛められて泣いてしまったという有名な話もありました。→
2011-02-03 17:48:36@toiimasunomo わたしの話に戻ります。それからわたしはNHK学園の通信添削の短歌講座を受け始めました。基礎コースではなく、直接添削講師を選べるコースがありました。ただ、投稿が遅れると他の(当時は)知らない歌人に添削を受けることがあり、変な文語に直されたりしました→
2011-02-03 17:52:02@toiimasunomo その頃わたしはカルチャーセンターで働いていたので、岡井隆や森岡貞香という歌人の担当者でもあり、いろいろと話を聞いたり、たまに歌を見てもらったりもしていたんですね。今思えば贅沢なことです。「短歌」や「短歌研究」の新人賞にも応募をはじめました→
2011-02-03 17:54:27@toiimasunomo 結果はたいしたことはなかったんですが、新人賞に応募していると言うと、岡井さんが「賞をとったあとでもいいから、どこか結社に入るといい」と言ってくださいました。わたしは入るなら岡井さんの「未来」がいいと思ったのですが…→
2011-02-03 17:56:02@toiimasunomo そう伝えると岡井さんは「まず『ゆにぞん』に入りなさい」と言いました。「ゆにぞん」は、「未来」の結社内同人誌のようなもので、岡井さんは当時「未来」を出て「ゆにぞん」のひとたちと新しい結社をつくろうと思っていらしたのかもしれません(これは想像です)。→
2011-02-03 17:57:50@toiimasunomo ところが、「ゆにぞん」に入会希望を出しても返事がなく(いろいろな事情で「ゆにぞん」は空中分解していた時期だったようです)、結局「未来」に入りました。「未来」入会は1991年11月で、東直子さんと同時期です。→
2011-02-03 18:01:48@toiimasunomo 岡井選歌欄の前のほうに歌が載るとうれしかったのですが、加藤治郎さんくらいしか知っている歌人はいなかったので、一年くらいはただ岡井さんに向けて歌を送ることが楽しかっただけでした。初めて「未来」の新年会に参加したのが93年。→
2011-02-03 18:04:26@toiimasunomo 初めて会うひとたちから「あなたの作品を読んでいる」「面白い短歌をつくるね」というようなことを言われて驚き、あちこちの勉強会への誘いを受けました。そんなことからわたしは「歌壇」的なものに自然に取り込まれていったのだと思います。→
2011-02-03 18:06:36@toiimasunomo ただ、「未来」は他の結社と比べて比較的自由な結社で、勉強会も超結社のものが多かったです。そこで穂村弘さんとも出会います。そのあと94年に「未来」の若手たちと合同歌集『ネクサス』を出し、その頃から「へるめす歌会」が始まり、『短歌パラダイス』(97年)→
2011-02-03 18:12:21わたしもチラチラ見ちゃって仕事ができない! RT @tankana 枡野さんと田中槐さんのやりとりが、とても興味深い。夢中で読んで電車の乗り換えを忘れそうになった。
2011-02-03 18:12:57@toiimasunomo へとつながるわけです。その最中、95年に短歌研究新事象を受賞して、98年に第一歌集『ギャザー』を刊行します。と、書いてみるとすごく順調な歌人街道を歩んでいるようにも見えます(笑)。同時期、「zo・zo・rhizome」という同人誌をやっていて→
2011-02-03 18:16:34@toiimasunomo それのシンポジウムか勉強会に枡野さんをお誘いしたことがあります。諾否の返事はなく、かわりに枡野さんから自作の絵はがきをいただきました。枡野さんなりの誠意だったと理解しましたが、当時関わっていたとしても決裂していた可能性のほうが高いですね。→
2011-02-03 18:18:49@toiimasunomo 次からが枡野さんへの返信の核心になりますが、長くなるので一旦中断します。連投失礼いたしました。続きは夜分に。
2011-02-03 18:20:25@toiimasunomo 再開します。まず、技術論の話から。斉藤真伸さんの「みぎわ」二月号の時評では、<枡野に失敗があったとすれば、「口語短歌における表現技術」というものを確立できなかったことにある>とあり、『かんたん短歌』などの著作でもそれができていないという見解のようです。
2011-02-03 23:03:57@toiimasunomo 枡野さんはそのことに対して「技術論として弱いとは思っていない」と言ってらして、それは、『かんたん〜』などの著作だけでなく、ブログなどを通して多くの歌人に対して確実に成果を上げているとわたしも思います。技術的に枡野さんの影響を受けている歌人は多い。→
2011-02-03 23:08:29@toiimasunomo むしろ、歌壇との対立は別のところにあると思います。現代歌人協会の公開講座を聴講して、そのことがわたしにははっきりしました。それは枡野さんもお書きになっているように、読者の問題です。歌壇派(と仮に呼びます)の歌人たちも読者を広くしたいとは思っています。→
2011-02-03 23:13:20@toiimasunomo でも、枡野さんが言うような<「人気」を参考にしている>や<通りすがりの気まぐれな読者を振り向かせる>ところまで徹底して広範な読者を意識している歌人は少ないと思います。(斉藤斎藤さんは今でもそういう気持ちは持っていると思いますが、この話はまたのちほど)→
2011-02-03 23:18:04(2010年9月の現代歌人協会の公開講座、わたしには、結社派VSネット派ではなく、自費出版派VS商業出版派、のように見えました。)
2011-02-03 23:20:06@toiimasunomo 広い読者を設定すると、言葉をぎりぎりのところまで削ぎ落とし、誰にでもわかる表現へと言葉を選別しなくてはならない、短歌という表現形式が伝えられるものはもっとずっとシンプルなものではないかと、現代歌人協会の公開講座で枡野さんは言ってらっしゃいましたよね?→
2011-02-03 23:22:09@toiimasunomo 一方、歌壇派の歌人たちは、穂村弘さんが「圧縮と解凍」という言葉を使われたように、一首のなかにたくさんの情報を盛り込めることこそこの詩型の特長と信じ、その圧縮の部分を解凍して読み解くことに短歌を鑑賞する喜びも感じているわけです。→
2011-02-03 23:25:03