- nao_komeiji
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プラトンは後世で「無彩色」と呼ばれる「白」と「黒」について、こう定義しました。 「すなわち、視線を拡張させるものを『白い』と呼び、その逆のものを『黒い』と名づけるのです」
2016-04-20 17:55:54また、彼は「光」についてこう述べています。 「別の種類の火の、もっと急速な運動が視線にぶつかって、これを分離拡張させながら眼までさかのぼり、さらに、眼の通路そのものを無理に押し開いて溶かす場合には、この作用者は、一方では目の通路から、
2016-05-06 14:16:20火と水を一緒に――これが『涙』と呼ばれているものなのです――流れ出させることになり、他方では、自分自身が火にほかならないこの作用者が、反対側から来る火(眼から出る火)と出会うことになります。
2016-05-06 14:17:45そして、この場合、後者はちょうど稲妻から発するように跳び出し、前者は入って行って、湿気のところで消えるというわけで、この攪乱(かくらん)状態の中でありとあらゆる色が生じるのですが、この状態を、われわれは『眩い(まばゆい)[状態、あるいは感じ]』と名づけ、
2016-05-06 14:19:06つまり、涙を流すほどの強い刺激を眼に与える様な光の粒子を発する物質を見ると「眩い状態」になり、そうした物質の色のことを「輝く色」「光った色」と呼んでいた、ということになります。
2016-05-06 14:22:06「この両者の中間(『白』と『輝く色』の中間であろう――※訳者注)に、火の一種類があって、これもやはり、眼の水分のところにやって来て、それと混ざりはしますが、光ることはありません」
2016-05-06 14:24:27「ただし、この火が[湿気に]混ざると、その湿気に通した火の光は、血の色を呈するのでして、われわれはその光に『赤』という名を付しています」
2016-05-06 14:24:56「輝く色が、赤および白に混ざると、『黄金色』が生じます。 しかし、どれだけの割合いでお互いに混ざり合うのかということは、仮に誰かそれを知っている人があるとしても、これを言うのは賢明なことではありません」
2016-05-06 14:26:12「赤が、黒および白に混ざると『深紅色[?]』になり、この混合物がもっと焼かれ、その上になおも黒が混じると『暗紫色』になります。 『火色[橙色または黄褐色?]』は、黄金色と灰色の混合から生じ、『灰色』は、白と黒の混合から生じ、また『淡黄色』は白が黄金色に混じると生じます」
2016-05-06 14:27:25「そしてまた、白が輝く色と一緒になって、濃黒色の中へ落込むと『濃藍色』をつくり上げ、濃藍色が白と混じると『青緑色』が、また火色が黒に混じると『韮色[緑?]』が出来上ります」
2016-05-06 14:28:31「白」「黒」「輝く色」「赤」「黄金色」「深紅色」「暗紫色」「火色」「灰色」「淡黄色」「濃藍色」「青緑色」「韮色」など、現在の研究者が訳す上で一部様々な困惑を招いた表現があった「ティマイオス」でしたが、プラトンはこの中で「新しく色を作ることについて」次のように述べています。
2016-05-06 14:29:39「そこで他の色についても、それらが、いったいどのような混合になぞらえられれば、とにかくありそうな話をまっとうできるか、それは以上言ったことからほぼ明らかです」
2016-05-06 14:31:33「しかし、もしも、この考察を実地に試してみようとする人があるなら、それは、その人が、人間と神の本性の相違に無知なためだということになるでしょう」
2016-05-06 14:32:41「つまり神のほうは、多くのものを一つに混ぜ合わせたり、また逆に一つのものを多くのものへと分解したりすることに、十分通暁(つうぎょう)してもいれば、またそれをする能力もあるのですが、
2016-05-06 14:33:41つまり、プラトンは、 「新しい色を作ることは、混ぜ合わせたり分解したりして色々な事柄を創造することが可能な神にはできても、人間には決してできないであろう」 という事が言いたかったのではないでしょうか?
2016-05-06 14:35:05よく日本の色彩学の本には 「プラトンが混色して新しい色を作ることは『神への冒涜行為』と述べている」 と書かれていますが、ニュアンスが少し違うような気がします。
2016-05-06 14:36:18