福音書の百人隊長のエピソードはイエスが同性間の性愛を認めている事を意味するか

カトリック信徒による、同性婚にも肯定的なサイト「LGBT Catholic Japan」にある記事の内容について反論しました。
3
CMTC @MontyGlycon0

ヘロデの命令で殺される男児にも複数形で使われてるようだ。paisやその格変化、普通に子供とかしもべの意味で使われてるな。このへんは記事の著者ジェイ・マイケルソン氏の記憶違いだろう。それか、主張の元になったドーヴァー氏の知見を誤解か拡大解釈したか。

2016-04-30 01:22:37
新約聖書~マタイによる福音書~より @BibleJP_Matt

さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。 (マタイによる福音書 2章 16節)

2015-08-07 18:00:08
CMTC @MontyGlycon0

paisが専ら「恋人」「同性の年少のパートナー」の意味なら、その変化形を、イエスが父なる神の「しもべ」という部分に使うわけがないだろう。

2016-04-30 01:44:25
CMTC @MontyGlycon0

ハフィントンポストの記事では、ルカ福音書における地の文での「しもべ」と百人隊長の発言の「しもべ(こちらだけpais)」が違う単語であることに注目して前者の「しもべ」に使われた「doulos(奴隷)」とは強く区別されるべきものでは、としているが、以上を踏まえれば、ルカの福音書記者、

2016-04-30 01:47:09
CMTC @MontyGlycon0

また福音書で参照された伝承における、「ここでの百人隊長の言うpaisってdoulosってことだろ」という認識が現れている以上でも以下でもない。

2016-04-30 01:52:04
CMTC @MontyGlycon0

百人隊長がこのあと原始キリスト教会に合流したかどうかは定かではないが、もし、合流した上で、彼が「しもべ」と性関係があったのなら、その是非については当然問題になる。もしイエスが是としているのなら、「正当な性関係」が設定された上で、そうでないものと区別されているだろう。

2016-04-30 01:57:46
CMTC @MontyGlycon0

ルカによる福音書2章43節の少年イエスの、「少年」は百人隊長の言葉にでてくる「しもべ」と全く同じpaisだ。性的な交わりのある関係を専ら意味するのなら、ここでも使わないだろう。

2016-04-30 02:10:47
新約聖書~ルカによる福音書~より @BibleJP_Luke

イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。 ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 (ルカによる福音書 2章 42~43節)

2016-04-02 09:00:17