「遊び」について ~"café ludens"構想~
子どもと遊んでいると遊び終わるのにいつも苦労する。遊び終える時間をあらかじめ決めていても十分に遊んだと満足してないうちはことに大変だ。そんな中、うまく遊び終える方法を発見した。ある時点でいきなり「はい、終わり!」と言うのではなく、段階的に片付けることにすれば素直に遊び終えられる。
2016-01-12 22:57:56それどころか、片づけの最後の段階になると珍しく自分から率先して片づけ始めた。子どもにとって、遊ぶ作法もあれば片づけの作法もあるということなのだろう。これは何事についても応用が利きそうだ。
2016-01-12 23:09:04子どもは、自分が納得しない限り、大人の言うことにそう易々とは屈しない。子どもが納得していないうちに大人が何事かを無理強いしようとしても逆効果に終わることが多い。時間が来たからといって無理やり遊びを中断すればひと悶着起きるが、遊びながら段階的に片付けに入れば、子どもも納得しやすい。
2016-01-12 23:15:07この先の進路がどうなるにせよ、いつかコミュニティカフェのようなものを立ち上げたいという思いが募っているが、実際に本物の店舗をもつとなれば何かと難しい問題も生じてくるだろうということで、じゃあ、いっそのこと店舗なしの「カフェ」を創ってしまおうと考え、一昨日、とりあえず創業してみた。
2016-01-13 00:33:23名づけて"café ludens”。言うまでもなく、遊びの人類学者ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』にあやかった屋号で、ゆっくりとお茶でも飲みながら、老若男女が「遊ぶ」「奏でる」「演じる」といった"play"を通していろんな人々と交流のできる「サードプレイス」だ。
2016-01-13 00:37:49私もファンの一人である五味太郎のインタビューおもろい:「ガキからの反応がいけているわけさ。こいつらに受けたら大丈夫みたいな感じがあるわけさ。だって、あの人たちつまんなくなると捨てるからね。」mammo.tv/interview/arch…
2016-01-22 01:36:25「大人はもとを取ろうとか、あるいは文句、評論してやろうと思うけどさ。でもガキは単純だから一番きつい読者で、奴らに最後のページまで滞りなくめくらせたい。それだけは絶対にやりたいって思う」 これができる大人は大した人だと思う。
2016-01-22 01:37:26Bernie Sanders revisits his childhood Brooklyn hood jta.org/2016/02/11/new…
2016-02-12 11:29:58「十分なお金がないことは絶えざる緊張の原因でした。5歳か6歳のときに両親が罵り合えば、子どもはずっと思い悩むことになる。それはトラウマとなって克服しがたい」サンダースはこの界隈(ブルックリン)で親に監督されずに他の子供たちと遊んで過ごし、その経験が民主主義を教えてくれたと語った。
2016-02-12 11:40:29「ゲームはすべて大人の文化によって決められるのではなく、子供たち自身によって決められました。私たちはよくチームを選びました。何事かを命じるような者は誰もおらず、自分たちでルールを決めたのです。成長の仕方としては、とても興味深いものがありました」
2016-02-12 11:45:01前日の雨で公園の砂場がまるまる水浸しで池のようになっていた。そこへ、三人組の女の子たちがどこからともなく大きな石を見つけてきては水たまりに投げつけて水しぶきを飛ばして遊んでいた。あるお父さんは自分の子どもが一緒に石を投げるのを禁じていたが、私とうちの子は女の子たちと一緒に遊んだ。
2016-02-22 04:26:35女の子たちは競って大きな石を投げいれて大きな水しぶきを上げるのを見てはご満悦の様子だった。しばらくして、女の子たちは私に「一緒に遊んでくれてありがとう」と律儀にもお礼を言って帰って行った。このお礼には複雑な思いがする。ただ遊びたいから一緒に遊んだだけなのに感謝されるのは変である。
2016-02-22 04:38:56研究室での卒業パーティーの途中でなぜかキャンパスの中庭でケイドロをする羽目に。横浜ではドロケイと言ったがそれはさておき、大学生らと混じって約30年ぶりに興じたケイドロと缶蹴りはなかなかスリリングだった。考えてみると、我が人生において遊びほど真面目に取り組んだものはなかったと思う。
2016-03-15 22:40:18「私をして言わしめるなら、真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしないでもよいのです。ところで、最高の真面目さをもって事を行なうだけの価値があるのは、ただ神に関する事柄だけなのです」(プラトン『法律』〔ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』からの引用〕)
2016-03-30 23:23:44「いままでは人々は、真面目なことも遊びのためでなければならないと思っていますね。たとえば、戦争は真剣なことで、平和のためにうまく済まさなければなら ないと思っています。しかし、戦争のなかには、われわれが最も真摯、厳粛であると呼ぶに足るような遊びも、教育も、ありはしません」
2016-03-30 23:24:34「昔もなかったし、これからもありますまい。そこのところが一番大切なのだ、とわれわれは言うのですよ。で、人は平和の生を最も重要な、よいものと考えなくてはなりませんね」
2016-03-30 23:25:10「すると何が正しい道なのでしょう。奉献の式をするときも、歌い踊るときも、遊びをしながら生きてゆくのです。そうすれば人間は神々のみ心を和らげ宥めて恩寵を受け、敵を防ぎ、闘っては勝つことができるのですよ」
2016-03-31 00:37:05「保育施設は子どものための施設」とは、実はハッとさせられる言葉。「大人のための施設」「事業者のための施設」になってはいないかを考え、子どもの視線に立って、子どもを主体とした育ちの重要な時間を過ごす場として、保育施設を位置づけてhuffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/… …
2016-04-04 18:31:28息子の小学校第一日目。クラスが終わってから集団下校で家に帰るまでなぜか一時間ほども拘束される羽目にになり、とうとう「早くおうちに帰りたい」と泣き出したという。さらに、上級生の男子生徒らが(おそらくふざけて)乱闘を始めてさらに恐怖と不安がいや増した模様(これはよくある事例らしい)。
2016-04-12 00:12:424月から関学でも教えることになったのだが、校舎に囲まれた広大な中庭の芝生が、サークル活動に精を出す大学生たちに混じって、近所の子供たちの遊び場になっているのが気に入った。ラテン語のcampusの原義は「草原」だが、『ホモ・ルーデンス』でホイジンガはそれを「遊び場」と解釈している。
2016-04-12 00:24:29妻が近所のママさんから聞いた話では、小学校に上がりたての一年生というのは、上級生たちのエネルギッシュな活動(それにはふざけ合いの軽い殴り合いも当然含まれるだろう)を目の当たりにして恐れおののくことが多いのだという。不安のあまりに家に閉じこもって幼児返りをしてしまう子もいるらしい。
2016-04-12 01:43:56ちなみに、子どもが泣き出したので、集団下校班の担当の先生が上級生たちに慰めてやりなさいと言ったのか、泣いているうちの子を上級生たちがにわかに取り囲み、「名前なんていうの?」などと質問攻めにしたらしい。そして、子どもにはそれも恐ろしかったのだという(笑)。
2016-04-12 01:47:50幼いころからいろんな年齢の子と普通に接していれば、こういう悲喜劇的な状況は生まれないはずだが、近所づきあいもあまりなく、おまけに一人っ子世帯が増えてくると、小学校に上がって初めて上級生パワーの「洗礼」を受けてトラウマになってしまう子も増えるのだろう。
2016-04-12 01:54:33