世羅高校校長死と報道

(マスコミ自らがオフサイド) 「なぜ、その闘いに勝てなかったかというと、基本的には、部落問題に関係があるために、これについて報道することが「差別発言」になるということを報道機関は常に恐れていて、このことを口にすることができない。共産党だけが実に勇敢に発言してきたが、それ以外はこれについて「差別発言」と批判されることを恐れ、世論の形成ができないということが一番の原因だったと思う。」(宮沢元首相)
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宮沢元首相の発言(実は国会答弁)紹介記事をみて思ったこと

ブロクに引用されてる文をみて

  • マスコミが報じて来なかったことが問題に思えた。報道の問題
  • 広島県東部の公教育状況と 同和勢力との関係の問題。どうなっていっているのか?
  • 国旗国歌法制定で状況はどうなった
…(?)␗🍥 @raycy

広島世羅高校の校長自殺事件(1999年) hiroshimastyle.com/blog-entry-1.h… 当時、宮沢元首相の広島県の教育現状の見解( 東京朝刊 より) 「…部落問題に関係があるため…共産党だけが実に勇敢に発言してきた…それ以外は…「差別発言」と批判…恐れ、世論の形成ができない」

2016-08-10 05:29:19
リンク 広島スタイル~時事・犯罪・事件・事故・問題 広島世羅高校の校長自殺事件(1999年) 全国的に有名な学校教育界の事件といえば、広島県立世羅高校の石川敏浩校長(当時58)が、県教職員組合から卒業式における国旗・国歌の実施に激しく反対され、平成11年2月28日に自殺したことだろう。そして、この事件が契機となり、同年8月、国旗・国歌法が成立した。事件の背景には、「部落解放同盟」による偏向教育の教育現場への異常な押し付けと、その偏向教育是正の課題を「日の丸・君が代」の教育現場への権力的な押し付けに...

○矢野哲朗君 岸元先生の前でもう一つ質問させていただきます。
 宮澤大蔵大臣、御地元の問題であります。先般、広島の教育問題を考える国会議員の会が発足をした模様でありますけれども、重鎮であられる蔵相、こういう地元の問題が、広くはこの問題が波及して日本の至るところに同じような問題提起をしている、そう思うと本当に黙ってはいられない話であります。何とかしていただきたい。
 ひとつ、校長協会会長の前で、せっかくここまで意を決して出席をいただきました、地元の話としてどう取り上げるか、覚悟をお伺いしたいと思います。 145 - 参 - 予算委員会 - 13号 平成11年03月10日

○国務大臣(宮澤喜一君) 予期しておりませんでしたお尋ねでございますが、実はこの問題はきのうきょうの話ではございませんで、四十年ほどの歴史がございます。それも、今、校長さんのお話からお聞きになりましたように、広島県のほとんど東部に限られた問題でございました。ですから、それは私がまさに選ばれてまいりました地域でありまして、四十年間たくさんの人が闘ってまいりました。こうやって今命を落とされた方の報道がございましたが、人の知ると知らないとにかかわらず、たくさんの人がいわばリンチに遭い、職を失い、あるいは失望して公職をやめる、それは無限にございます。
 しかし、何でその闘いが勝てなかったかといいますと、基本的には、部落という問題に関係がありますために、これについて報道することが差別発言になるということを報道機関は常に恐れておりまして、このことを口にすることができない。天敵は共産党であります。共産党だけは実に勇敢に発言をしてきましたが、それ以外は、これについての差別発言を批判されるために世論の形成ができない、これが一番の原因であったと思います。
 私自身も、そういう中にあって、このことについて、今日までこの事態の解決に十分な寄与ができなかったことを恥ずかしく思っております。
 今度こういう不幸な事件がありまして、初めてそのような事件として広く取り上げることができるようになった。今度の痛ましい世羅校長の死というものは、そういう意味で、この問題をようやく公に議論できるようになったというのが私の郷里の方の雰囲気でございます。
 したがいまして、国会がこういう機会を設けていただいて、また参考人もよく意を決してここにおいでいただいて、この問題が公に議論されるようになったということは、何十年うっくつしておりました問題に初めて国民の目を公のもとに集中させることになりまして、この点につきましては、国会の御配慮に私は心から感謝いたしますし、また参考人としておいでになった岸元さんの勇気に心から私は敬意を表します。
 率直な感じを申しますと、自分がこの中にあって何十年も解決できなかった問題について国会がこうやって取り上げていただきましたことに本当に勇気を感じますし、また自分として今まで果たし得なかったことに渾身の努力を尽くしたい、こう思っております。 145 - 参 - 予算委員会 - 13号 平成11年03月10日

平成11年8月2日 第4号
○亀井郁夫君 自由民主党の亀井でございます。
 国旗・国歌を法制化する、それについて審議するこの特別委員会で質問の機会をいただきましたことを心から感謝申し上げ、いささか緊張ぎみでございますけれども、いろいろとお尋ねしたいと思うわけであります。
 私の地元であります広島の世羅高校の石川校長先生がみずから命を絶つという痛ましい事件があり、それを契機にして国旗・国歌の法制化に小渕総理は踏み切られたわけでございまして、そういう意味では、その法案が今や成立間近ということでございますので、本当にうれしく存ずるわけでもございます。
 御案内のように、石川校長先生は、この春の卒業式に国旗の掲揚、国歌の斉唱をぜひやりたいということで努力されたわけでありますけれども、先生方の同意を得ることができなくて、とうとう最後に、卒業式の前日でございますが、二月二十八日の日に、何が正しいかわからない、管理能力はないことかもしれないが、自分の選ぶべき道はどこにもない、こういった遺書を残してみずからの命を絶たれたわけであります。
 この言葉は、解放同盟広島県連が事実上支配してしまっております広島県の教育の状況と、逼塞状況にある広島県の教育の状況を本当に率直に、また如実に物語っている言葉ではないかと私は思うわけでもございます。
 広島県の場合は、宮澤大蔵大臣が予算委員会で、四十年前から大変だったということを率直に申し上げられましたけれども、そのとおりでございまして、三十年前の四十三年に解放同盟と教職員組合とそしてまた同和教育研究協議会の三つが一緒になりましていろいろ動き始めました。それから解放同盟の糾弾活動が大変厳しくなったわけでございまして、多くの先生方がみずから命を絶つということでございまして、昭和六十年ごろまでに十数名の方々が命を絶たれたわけであります。これはわかっている方だけで]ありまして、言われない方が多いものですからもっともっとおられるんだと思いますけれども、そういう状況が続いたわけでございます。