7月24日 三笠の昔話

海軍大将日高壯之丞提督没(1932) 太平洋戦争:第三図南丸と米潜ティノサの戦い(1943) 太平洋戦争:呉空襲(1945) #三笠の昔話
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戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

今日は海軍大将・日高壮之丞提督の命日(1932)です。 東郷元帥の連合艦隊司令長官就任に際し一悶着あったことで有名になってしまいましたが、軍歴めざましく日清戦争でも活躍された、優れた提督でありました。 #三笠の昔話

2014-07-24 19:25:22
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

東郷元帥の連合艦隊司令長官就任の件は、中央を軽んじる姿勢のあった日高提督を避けて比較的従順な東郷元帥を登用したという説が語られていますが、実際には既に病を得て過酷な軍務に耐えられなかった日高提督を休ませるための措置だった、とも言われています。 #三笠の昔話

2014-07-24 19:29:33
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

ちなみにこの逸話の出所は齋藤實海軍大将なので、たぶんこっちが正解。 世間的には、更迭説のほうがインパクトがあるので、こっちが広まってしまったのでしょう。マスコミは今も昔もくちさがないですからね。 #三笠の昔話

2014-07-24 19:33:50
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

今日2回目。 今日は呉軍港空襲の日(1945)です。 呉軍港は1945年に入ってから複数回の空襲を受けていますが、今日の空襲は4日後の空襲を含め非常に激しく、多くの艦が沈められています。 #三笠の昔話

2014-07-24 21:58:12
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

有名どころはまあともかくとして。 日露戦争を戦い、太平洋戦争時も現役で頑張っていた出雲級巡洋艦の出雲・磐手ちゃん姉妹、条約を生きながらえ多くのパイロットを育てた標的艦攝津ちゃんもこの空襲で大破・着底。 #三笠の昔話

2014-07-24 22:04:08
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

加えて工廠などの陸上施設、呉市街も破壊された上、あちこちに機雷をばらまかれて、呉は軍港としての機能を完全に喪失。 誉れ高き東洋一の軍港・呉は、こうして一時代の終焉を迎えたのでした・・・ 合掌。 #三笠の昔話

2014-07-24 22:07:14
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

今日は、先日のソーリーちゃんの話のウケとなる話題。 今日は、輸送船第三図南丸ちゃんが米潜ティノサ(SS-283)ちゃんに襲撃された日(1943)です。 正しい位置から魚雷15本を放ち、13本が命中したにも関わらず2本以外は不発という珍記録を残しました。 #三笠の昔話

2016-07-24 19:47:33
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

ティノサちゃんはまず4発(2本命中)、爆発音が聴こえなかったため再度2発発射し、これが第三図南丸ちゃんの推進器を破壊。行き足の止まった獲物にとどめをさすべくさらに魚雷を発射しましたが、これが全て不発。 そのうちに駆逐艦が寄ってきたためティノサちゃんはやむなく退散。 #三笠の昔話

2016-07-24 19:54:26
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

第三図南丸ちゃんは救援に来た五十鈴ちゃんに曳航されてトラック泊地入りしましたが、調査すると船腹には多くの不発魚雷が刺さったまま。誰言うともなくその様子を花魁のかんざしに見立て「花魁船」なんて呼ばれてしまいました。 その後、明石ちゃんが気長に直しましたが。 #三笠の昔話

2016-07-24 20:00:22
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

一方、憤懣やるかたなかったのはティノサちゃん艦長。 彼は潜水艦隊司令部に猛抗議。これがニミッツ提督(この人も潜水艦畑)の知るところとなり大規模な調査が入った結果、信管機構に酷い欠陥があることが判明し、早急に対策がとられることになりました。 #三笠の昔話

2016-07-24 20:06:17
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

こうして ・恥ずかしがりやな深度調整機構(潜りすぎる、ソーリーちゃん他の実験で実証) ・へっぽこ磁気信管(既に判明) ・チャンスに弱い接触針(今回の原因) ・他国に比べ弱い炸薬(仕様) というMk14魚雷の欠陥が、これで明らかになり… #三笠の昔話

2016-07-24 20:11:12
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

普通だったら後継品を、となるところなのですが。 米海軍は、新しい魚雷を開発するよりMk14魚雷を改良することを選択。結局1943年末から投入された改良Mk14魚雷は飛躍的に信頼性が向上して撃沈スコアが激増、日本のシーレーンを大いに苦しめることになりました。 #三笠の昔話

2016-07-24 20:17:03
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

振り返ってみれば、Mk14魚雷は1980年頃まで配備され続けるという、かなりのロングセラーとなりました。 一方の第三図南丸ちゃんですが、トラック空襲で一度沈むものの戦後浮揚されて復帰。捕鯨母船として活躍した後、1971年に解体されています。 #三笠の昔話

2016-07-24 20:25:44
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

ところで、どうして米海軍はポンコツMk14魚雷をそのまま投入したのか? 理由は簡単。「高価で実地実験が禁止されていたから」。 単純に、使ってみるまでそんなにポンコツだと分からなかったのです。 #三笠の昔話

2016-07-24 21:37:41
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

結局はアク出しがうまくいき、ロングセラー魚雷になれたMk14魚雷ですが 最初に露見した磁気信管の不具合は、当初現場の実感と中央部の見解とが一致せず、「こんなの外しちまえ!」という現場と、外させまいとする中央部とでいたちごっこがあったと伝えられています。 #三笠の昔話

2016-07-24 21:45:33
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

魚雷は大変高価でした。なぜならば、飛ばされたり投げ落とされたりするだけの当時の砲弾・爆弾と違い、自走しなくてはいけないので非常に高度な精密機械をたくさん積んでいたからです。 また当初の生産は60本/月。訓練でホイホイ浪費できる代物ではありませんでした。 #三笠の昔話

2016-07-24 21:56:12
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

それは日本でも同じ。 日本では持ち前のドケチ根性で訓練後の魚雷を再利用できるようにして作り込みを行っていたので多少はマシだったものの、方向安定化機構や信管管理に問題がありました。必ずしも「酸素魚雷完全無欠」ではないことにご注意あれ。 #三笠の昔話

2016-07-24 22:09:11