月と獅子

星杜 @hosimori025

この街を発つに当たって、ヒーローとして活動する許可を返上申請を出しに、俺は一人で昼下がりの司法局まで出かけた。ほんとはアポロンメディアの法務の仕事なんだろうけどあんな騒ぎがあった後でCEO逮捕とあっちゃそれどころじゃないだろうし。クライアントが変わるのは俺の都合だしな　#月と獅子

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お役所仕事がたらいまわしなのは、万国共通みたいで結構待たされたが、正味俺に降りていた許可は本契約前の仮のものだったらしくて割合あっさり書類は通った。途中なんやかんやと感謝されたり、励まされたりで、ほんとこの街の人間はヒーローが大好きなんだななんて思い出し笑いしつつ。　#月と獅子

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ちょっといい気分になった俺は、最後に管理官に挨拶にいっとくかって余計な気を起こして、ユーリ・ペトロフを尋ねた。ヒーローTv創世記の伝説的ヒーローを父に持ち、病の母を看護しながら時間を惜しまず働く非常に生真面目でお堅い人物。前評判は大体そんな感じだ。#月と獅子

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俺が大した遠慮もなく許しをもらって部屋に入ると、当の管理官殿はささっと何かを書類の下に滑り込ませた。なんだ？何か見ちゃ不味い資料か？何の御用ですかと温度低めの口調に頬をなでられて、いつもの対人専用の営業用スマイルを浮かべて挨拶しようとして俺は少し顔をゆがめた。#月と獅子

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そういや唇が切れて、頬には打ちつけた痣があったなぁと今頃思い出す。思わずいててと頬に触れると、管理官殿が動揺したそぶりで立ち上がり近づいてきた。えっと思うまもなく俺の痣に触れて顔を歪める。「管理官さん？」俺の言葉にはっとしたように目を見開きペトロフ管理官は動きを止めた。#月と獅子

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「ああ･･･失礼」 あげた右手を握りこみ、動揺を押し隠すように唇を引き結ぶ。 「大したことないんだ･･･ちょっとドジっちまって。顔は仕事に影響するからやめてくれなんて言うわけにもいかねーからさ」 「･･･先日の怪我でしたか･･･」 なんだか少し様子がおかしいな。　#月と獅子

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俺はふっと、違和感の正体に気がついた。管理官殿さ、何か隠そうとしてファンデーションを使ってたんじゃないか？微妙に両頬の色合いが違うんだ。訊いても応えないことを悟った俺はそれこそ殴られる覚悟で管理官の頬に手を伸ばして親指でぐいと拭いてみた。やっぱりだ。なんだこの痣。#月と獅子

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「･･････初対面の相手に随分な振る舞いだ」 ペトロフ管理官は、諦めたのか振り払いもせずに、そのまま青い炎を纏ったような瞳で俺を見上げている。 「･･･一言いっていいか」 「触れるのに許可は取らないくせに話すのには許可を求めるのか君は」 #月と獅子

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「ファンデーションの色があってない。あんた色が白いし、肌の肌理も細かいから、ちゃんと下地使って塗らないと浮いちまってかえって目立つぜ」 「言うに事欠いてそこか」 「痣、誤魔化す時は注意しねーと上手く隠れねーよ。仕事に触るんだろ。ちょっと待ってな」 「･･････」 #月と獅子

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俺は黙って部屋を出て、手近な百貨店に向かいカウンターのお姉さんをくどきつつ一そろいのベースメイクを買い込んだ。今回限り捨てられちまってもいいんだ。自分にあったものは自分で探すのが基本だから。だけど言われなきゃわかんないこともあるしな。　#月と獅子

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もしかしたら逃げられちまってるかもなんて杞憂は執務室の中で、所謂お粉と呼ばれる化粧品を弄んでいた管理官の姿を見て消し飛んだ。案外素直なんだな。応接セットに座らせて、俺は脇に跪いてまずメイクを落とすようにいうと、たじろぎながらティッシュでこすり落とそうとする。#月と獅子

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「ちょちょ、いっつもそんな風に落としてんのか？それじゃ肌が痛むって。やっぱメイク落とし買ってきてよかったわ。アレルギーないか、管理官殿」 「ペトロフでいい。アレルギーは多分ない。落ちればいいだろう。」 「後で痒くなったり、痛んだりしたくないだろ」 「････････」 #月と獅子

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使い方もわからないだろうかと俺はふき取りタイプの乳液状のメイク落としをそっと管理官の頬に塗りつける。なんだこの肌すっごい柔らかいな。浮いてきたファンデーションは彼がつけるには少しオークル気味。明るい女性の肌向けの色合いだ。しかもかなり古いもののようだ。#月と獅子

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「････あのよ。ここまで踏み込んじまったから言うんだけど、そのファンデーション母親のじゃないか？」 言った途端にペトロフ管理官は髪を振り乱す勢いで俺の方を向いた。眦が裂けそうに目を見開いている。お前は何を知ってるんだとかみ締めた唇から今にもこぼれそうだ。#月と獅子

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「ちょいちょいちょいまち。俺は何も知らないし、あんたの触れて欲しくないとこにずかずか行こうとは思ってないから、そんなに凄い顔しないでくれ。俺も昔人に殴られてたことがあって、誤魔化すのにお袋の化粧品借りてたことがあるだけだよ」 「････あ････くっ･･･」 #月と獅子

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目の前でペトロフ管理官が戦慄き始めた。口許を押さえてがくがく震えている。不味い。どうもトラウマにドストライクしたみたいだ。過呼吸の発作を起こしかけてるみたいだ。なんか俺物凄くタイミングが悪かったんじゃないか。俺はとりあえずペトロフ管理官の体を抱きかかえた。#月と獅子

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このままだと床に倒れこみかねなかったからだ。大体20分もすると呼吸がおちついてきた。背中をさするとふうっと倒れこんでくる。 「･･････失態だ」 「･･･俺がな。すまねぇ。なんかタイミング悪かったんだな、俺。苦しい思いをさせちまって、最悪だ」 #月と獅子

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ペトロフ管理官が不思議なものでも見るような目で俺を見る。 「････変わっている」 「俺？」 「･･････初めて会った相手のファンデーションや痣を気にしたり、抱きかかえたり･･･なんなんだ君は」 「俺？俺はゴールデン・ライアン。そういや名前も言ってなかったな」 #月と獅子

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「では、ライアン。そろそろ離してくれ、もう問題ない、ありがとう」 「･･･まぁまぁ、ここまでお近づきになったんだし、ついでにベースメイクやっちまおうぜ？」 「･･････図々しいといわれることは？」 「割とある」 くすっとペトロフ管理官が薄く笑った。 #月と獅子

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「こんなに色々なものを使うのか？」 「メイクか？そうだよ。でなきゃ隠したいものが上手く隠れないんだ」 「これはそれなりに敬意を払うべきだな」 「敬意？」 「女性たちに。かなりの技術だ」 「はは！あんたほんと面白いな」 #月と獅子

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落としかけていたファンデーションを綺麗にふき取り、ついでに洗顔代わりにもなるので顔全体をやんわりとなでるようにぬぐう。本当に男の肌なんだろうかと思う位に肌理が細かく滑らかだ。多分あまり日の光を浴びてないんだろう。恐ろしいほど色が白くて病的なほどだ。#月と獅子

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すっかり落としてみると右の頬骨の下にできたての青く黒いあざがくっきりと見えた。これは確かに隠したくなるな。 「君は･････････････････虐待を････」 「俺？あーまーそーね。くっそ生意気だったしな。サンドバックにするにゃー調度良かったみたいでさ。」 #月と獅子

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「･････････すまない」 「まぁまぁ、昔の話だよ。」 「･･････痛みに今も昔もない。少なくとも私はそうだ」 俺は無言で手を止め、ひょいと手を伸ばしてペトロフ管理官を抱きしめた。 「あんたみたいな人がいてくれたからさ。痛くたって平気さ」 #月と獅子

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ぎゅっとペトロフ管理官が自分の両手を握り締めたのがわかった。 「俺達は大人になって、速く走って逃げ切れる足も、殴られない知恵も、戦える力ももうこの手にもってる。だから怖くない。俺は過去の痛みに怯えない。鏡見てみりゃわかる。俺は殴られてるだけのなす術もない子供じゃない」#月と獅子

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「今日は･･･父の命日なんだ･･･荒れ始めてからずっと私と母を殴ってきた男だった。今でも思い出すと小さな子供に戻ってしまう。あれだけ酷く殴られたのにまた会いたいとも思ってしまう。」 「憎むことと愛していることとは似てるから、時々混ざっちまって困るよな」 #月と獅子