蛙の鳴く夕暮れ【2016加筆修正版】◆1
_ミケルは売れない行商人だった。彼が売れると思って仕入れても、いつも予想に反して売れない。 (今日の『ピコピコ蛙人形』も激しく売れなかったな……) 今日もがらくたを仕入れ街角で商売をしていた。擦り切れた麻のシートを広げ、珍品を並べている。雨の上がった6月の空。 1
2016-10-19 20:20:50_長袖の青いシャツもそろそろ汗ばむ季節になった。ミケルは帽子のずれを直し、笑顔を意識する。ただ、擦り切れたズボンがどこか物悲しい。 暇なので今日もナイフで木を彫り彫刻品を作りはじめた。動物や神像が得意だ。売れないことは無い。 彼は案外この暇つぶしの彫刻が好きだった。 2
2016-10-19 20:22:30_ミケルは木を削りながらいつも夢を見ていた。 (いつかこの彫刻が売れるようになって、彫刻家として食っていけるようになれたらなぁ……) しかし彼の夢とは裏腹に、彫刻はほとんど売れなかった。彫刻は彼の独学で、作り始めの頃はよく馬鹿にされたものだ。 3
2016-10-19 20:31:46_彼は悔しくて彫像を投げ捨てたこともあった。だが時が立つとまた作りたくなって、ナイフを握ってしまう。 今ではそれなりの腕になったかもしれない。いつの間にか日は傾き、赤く染まる空を蝙蝠が横切っていた。 4
2016-10-19 20:35:33_ミケルはこの時間になるといつも張り裂けそうな悲しみに襲われる。この売れ残りのがらくたや彫刻に自分を重ね合わせてしまう。 (ふがいないじゃないか……) 木を削る手が止まる。 (……幸せになりたい) 5
2016-10-19 20:39:33_不意に、蛙が鳴きだした。一匹ではない。何十匹もの大合唱だ。ミケルは、自分が池を背にして店を開いていることを思い出した。 (雨が降るのかな……?) そそくさと店をしまい始める。そのとき夕日が遮られミケルの店に影が差す。 6
2016-10-19 20:49:17_ミケルは自分の前に女性が立っていることに気付いた。 「もうおしまいなのですか……?」 「あ、いえ、ぜひ見ていってください」 女性はがらくたに目もくれず、彫像の一つを手に取った。その彫像は梟の彫像で、ミケルの自信作であった。 「羽が綺麗ですね」 7
2016-10-19 20:51:52_女性はにっこり笑って言った。 「これくださいな」 「ありがとうございます!」 ミケルは彼女から代金を受け取る。ずっしりとしたコインの重み。女性はそのまま軽やかに去っていった。 その後姿を、ミケルはいつまでも見ていた。 8
2016-10-19 20:56:53_いつの間にか蛙は鳴きやんでいた。 (綺麗な人だったな……) 白い大きなつばの帽子に、青いワンピース。ミケルは、また彼女が明日店に来て買物をしてくれたらどんなに嬉しいだろうと思い帰路についた。 その日は悲しみを全て忘れ、ぐっすりと眠りにつく。 9
2016-10-19 21:00:54_夢の中で蛙が鳴いていた。ミケルは自分がどこかの水底にいることを感じた。ぼこぼこと口から泡が出る。そこは、まさに彼の感じていた悲しみの底だった。 池のほとりからあの女の人が手を伸ばし、ミケルを引き上げる……そこで目が覚めた。一日が、すべてうまくいく気がした。 10
2016-10-19 21:07:39【用語解説】 【蛙】 灰土地域では主に南部森林地帯と聖河流域、そして北壁山脈の麓に生息する。大型のものは3メートルほどの怪物もいるが、ほとんどは5センチにも満たない小型種である。特に北壁山脈の周辺に住む者は猛毒を持ち、体液を吹き矢に塗る等して利用される。
2016-10-19 21:15:18