- HayakawaYukio
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人骨が出た金井東裏遺跡だけでなく、1500年前の2回の噴火の痕跡を巡って榛名山麓をうろうろする見学会したらおもしろいだろな。季節は3月後半から5月前半までが最適。希望がまとまれば、いまどこが見やすいか1日下調べに行くのにやぶさかでありません。
2017-02-05 08:39:41二ッ岳溶岩ドーム/伊香保軽石(522年)//渋川熱雲(497年)。DJI Phantom 3で2016年3月22日に撮影 pic.twitter.com/jKwrknbyp5
2017-02-05 08:46:442000年5月26日に実施した榛名山日帰り巡検の記録があった。 hayakawayukio.jp/volcanoes/haru…
2017-02-05 08:53:15@akikoitoyama では、絲山さんほかのみなさんを案内する企画を立てましょう。私は3月16日から4月5日までのどこか1日がよいです。絲山さんの都合が良い日を3日くらいあげてください。渋川駅集合で車3台のイメージ。いまからついぷらします。
2017-02-05 09:28:54甲太郎を殺した火砕流の前に降ったあずき色火山灰を金井東裏遺跡では(観察制限のため)よく確かめることができなかったが、吾妻川を渡った子持村北牧の発掘現場に2001年11月に露出した断面には厚さ2センチで積もっていた。甲太郎が死ぬ直前に灰が降るのを経験したのは間違いない。 pic.twitter.com/DoZCBO1H67
2017-02-07 07:52:30火山噴火から逃げるという発想それ自体が現代のものかもしれない。古墳人にとって、火山噴火とは何だっただろうか。それから逃げるという考えがあったかどうか疑わしい。
2017-02-07 08:07:12甲太郎があのように完全に近いかたちでみつかったのは、溝の中にいて火砕流の後日、流れ込みで埋まったからだと考えられる。甲が人体を保護した効果もあったろう。他所で人体がみつからないのは、火砕流のあと地表に露出したままだったから風雨で朽ち果てたのではないか。
2017-02-07 08:10:25噴火は497年の6月に起こった。田植えの時期だ。灰が2センチ降り積もって水田がだめになってしまうのではないかと気がかりだったろう。
2017-02-07 08:14:06気がかりでも、2センチもの灰が積もったなら昼でも外は真っ暗だったはず。丸一日か二日、真っ暗な闇の中で、古墳人はなにもできなかっただろう。なすすべもなく竪穴式住居の中に留まっていたのではないか。
2017-02-07 08:16:05