東北関東大地震後、公務に就いている友人が呟いた一連のツイート

(今、起こっていることのひとつの側面です)
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ペペルモコ @KUFUinRS

震災から十日目、ようやく休みが貰えた。なので、茨城県日立市職員として、十日間の災害について、つらつら書きたい。とりあえず、書いてまとめておきたいのだ。誰かのためでなく、自分のため。自分が何の中にいるのか実感するため。

2011-03-20 10:33:56
ペペルモコ @KUFUinRS

金曜日。その日は調査で朝から現場に出ていた。外で昼飯を食べ、つらつら現場を回る。その途中、地震にあった。僕と先輩はその時、とある建築会社の事務所にいて、驚いて外に出た。足元が崩れる感覚。なにか、重要なものが壊れていくような感じがした。壁が崩れたが、家は崩れなかった。

2011-03-20 10:37:55
ペペルモコ @KUFUinRS

家が崩れなかったか、を特に重点的に確認したのは僕が建物の税金に関する業務に就いているからで、この時点まで僕の中にそういう部分がのこっていたからだ。いや、実際はそういう職業的な部分を残そうと必死だった、んだろう。ハイになる気持ちを、必死に抑えようという機能が働いたのだと思う。

2011-03-20 10:40:43
ペペルモコ @KUFUinRS

日立市の庁舎は、震度五以上の地震には耐えられない設計だと言われていた。僕と先輩は、自宅や同僚と連絡を取ろうと必死になりながら、庁舎に急いだ。信号はほとんどなかった。ついていたのもあった。後から知ったのだが、新しい信号機の中には、停電時に使えるものもあるらしい。まだ混乱はなかった。

2011-03-20 10:45:42
ペペルモコ @KUFUinRS

混乱はなく、唖然としていた。これは以後、結構長く続いた。混乱ではなく、唖然。庁舎はあった。ところどころ崩れつつも、あった。みな外にいた。職員の何人かは、公用車で津波警報について広報に走った。僕らは待った。何かを。唖然としたまま、ひびの入った庁舎の近くで、寒空の下。

2011-03-20 10:48:25
ペペルモコ @KUFUinRS

一時間ほどで、僕らは消防本部に向かった。そこが災害対策本部になる。しかし、命令は無く、待っているものは訪れない。何もない。地震の直後は、本当に何もなかった。かいろ、懐中電灯、軍手、蝋燭を求めて、外に出た。街はだんだん暗くなる。車が増えたが、信号機は動いておらず、警官もいなかった。

2011-03-20 10:51:29
ペペルモコ @KUFUinRS

(警官がいない、というのはあくまで僕の主観だ。僕の見る限りいなかった。少々遅すぎるかもしれないが、これから先の文章も、僕の主観しかないし、僕の知っていること、見たことしか書かないとここに書く。僕は神のごとき万能の語り手ではないことを記しておく。)

2011-03-20 10:53:41
ペペルモコ @KUFUinRS

僕らは次に小学校の避難所に回された。人数は五人。仕事は、避難してきた人たちのケア。とはいえ、何も僕たちは持たされなかった。……毛布はなく、情報もなく、何もなかった。助けを求める人に「僕らは何もできない、市役所も今は何もできない」と伝えに行くメッセンジャーが僕たちだった。辛かった。

2011-03-20 10:56:34
ペペルモコ @KUFUinRS

半身不随のおばあさんを、五時間椅子に座らせ具合を悪くさせた。お湯を求めてきた、母親に、水すらないことを伝えた。つらかった。つらかった。今も、つらい。体育館の板張りの上で僕らは座って、寝た。

2011-03-20 11:03:07
ペペルモコ @KUFUinRS

板張りの上で、僕はこの間読んだ本を思い出す。細かい中身は思い出せないけれど、世界は終わらない、世界は終わらない、と書いてある本。「切りとれ、あの祈る手を」だ。そして「バクチ・ダンサー」を口ずさんでいた。板張りは冷たく、辛く、でも、大丈夫だった。音楽と本があって、本当に良かった。

2011-03-20 11:06:55
ペペルモコ @KUFUinRS

一夜明け、避難所を後にする。ここから混乱が始まる。物資がようやく届き、運搬を始める。情報は錯綜する。水、電気、ガスが止まった世界で、人々だけがあわただしく動き出す。市役所が、普通業務を始める。ひびが入り、余震のたびに崩れそうになり、20メートルシャトルランのように逃げる。今もだ。

2011-03-20 11:10:28
ペペルモコ @KUFUinRS

そんな場所に、僕らはいる、市民をそんな建物に呼び、仕事をする。僕ではないが、職員の中には拒否し、暗に「なら公務員を辞めるか?」と言われた人もいるらしい。事実ではなく、噂話の一つだ、と一応記す。「非常事態だから」という言葉を何度も聞く。しかし、あえて言う。僕らも、被災者だ。

2011-03-20 11:13:45
ペペルモコ @KUFUinRS

僕は、五日間帰れなかった。冷たい廊下で、毛布一枚で、いつ呼び出しがあってもいいように、寝た。いや、寝ていない。五日間合わせて、十時間も寝ていないだろう。だがおそらく、その記録は無いし、非常事態という言葉で片づけられてしまうだろう。庁舎だってそうだ。非常事態だから。便利な言葉だ。

2011-03-20 11:16:55
ペペルモコ @KUFUinRS

福島県の方を受け入れることになった時、僕は避難所に行くはずだった。同僚には「職場を被曝させるな」だの、「なんでそんな奴ら受け入れる必要があるのか」だのと、言われた。何となく理解した。避難所の情報は一切入らず、ただ行くだけでいいとまで言われた。そんな仕事があるのも非常事態だからだ。

2011-03-20 11:20:02
ペペルモコ @KUFUinRS

いや、「○○だから仕方ない」の中に、今回非常事態とは言っただけだ。何も変わらない。僕は、なぜか知らないけれど、自分の服のポケットに重くなるだけなのに文庫本を一冊入れた。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+」。邪魔だったけど、とても助かった。確かに、僕の中の何かが助かった。

2011-03-20 11:23:59
ペペルモコ @KUFUinRS

そして今ここにいる。家の状態は良好だ。家は何もなかったらしい。どのつく田舎、携帯電話圏外区域の故郷は、何も変わっていなかった。「市役所の人は来ないんですね」と、水を配給に来てくれた自衛隊の方に言われた。

2011-03-20 11:26:09
ペペルモコ @KUFUinRS

十日たつ。混乱は続いている。僕は休んでいる。同僚の中には「休んでも仕方ない。今は働きたい」と、妙にぎらついた奴も多い。僕は休む。休む。休むんだ。

2011-03-20 11:30:06
ペペルモコ @KUFUinRS

混乱の極みみたいな文章はここで終わる。長々と、支離滅裂と、書いた。特に被災者の方に有益な情報は無かった。振り返っただけだ。ただの自己満足だ。だから、終わる。

2011-03-20 11:34:06