とらドラについて

3
たつざわ さとし @tatsuzawa

とらドラの最後のほうはちゃんと消化できていないけど、二人の世界に没入していく感じがあまり好きではない。

2009-11-27 02:19:01
ココネ @_kokone

@tatsuzawa 自分としてはアニメのとらドラは「最後のほう」(最終話)がないと全く共感できませんでした(!)。ただ、それは「二人の世界に没入していく感じ」とは違う理由なのですが。とらドラは反成長物語が基調になっていて、最終話で(無理矢理?)成長物語に旋回させた感があります。

2009-11-27 02:32:06
たつざわ さとし @tatsuzawa

@_kokone たしかに最後の成長速度は速かったですね。原作アニメ共もう少しゆっくりやってもよかったような。

2009-11-27 02:39:38
ココネ @_kokone

@tatsuzawa 最終話以外のとらドラはどうも、反大人というマイナス感情にドライブされていて、主人公たちを肯定するためのダシとして大人がことさらにインチキに描かれている感じがして共感できないのです…。大河は成長しませんし。どうにも人物が平面的にみえてしまう。

2009-11-27 02:50:26
たつざわ さとし @tatsuzawa

@_kokone (とらドラ) 私はインチキな感じはしませんでしたが、出てくる大人はロクな大人ではない(つまり子供)ですね

2009-11-27 02:56:28
たつざわ さとし @tatsuzawa

とらドラの大人は最後のほう以外、子供が反抗する対象ではなかったのが、最後のほうで急に反抗する対象になったような印象あります

2009-11-27 03:00:26
ココネ @_kokone

@tatsuzawa ×インチキに→○インチキな存在として、と書いた方がよかったですね。ことさらに「ロクな大人ではな」く、「子供」として描かれているのが気になったのです。

2009-11-27 03:03:04
たつざわ さとし @tatsuzawa

.@_kokone さんに真っ向反論ですが、とらドラの人物は平面的ではないと思います。きちんといろんな要素を持ち合わせている。逆に要素がありすぎて簡単に理解できないのが問題。

2009-11-27 03:05:10
たつざわ さとし @tatsuzawa

@_kokone そこは私も気になります。大人になれていなくても、大人として振舞うことができるにもかかわらずそうしていない。

2009-11-27 03:08:14
なつき @na_tsu_ki

RT @tatsuzawa 最終話以外のとらドラはどうも、反大人というマイナス感情にドライブされていて、主人公たちを肯定するためのダシとして大人がことさらにインチキに描かれている感じがして共感できないのです…。大河は成長しませんし。どうにも人物が平面的にみえてしまう。

2009-11-27 03:09:00
なつき @na_tsu_ki

なんかちっと分かるかも。とらドラの大人たちの描写がインチキっぽいって感覚。てか全体的に人がものすごくリアルのようでリアルじゃないみたいな。なんと言っていいかわからないな。

2009-11-27 03:10:56
ココネ @_kokone

@tatsuzawa そうですね。きっとそうなんだろうなとは思っています。たんに自分が読めていないだけのような気はしているので、あらためてちゃんとみないとなと考えてはいます。反抗の側面ばかりに気をとられてしまっていました。

2009-11-27 03:11:18
なつき @na_tsu_ki

いや、でもこれはただの私の反抗心だな。こんなやつらいねぇだろ。っていう。もしいるとしたらすごくリアルだけど、いないだろっていう。

2009-11-27 03:12:50
たつざわ さとし @tatsuzawa

@_kokone いえいえ、きついこと言ったのに受け止めてくださってありがとうございます。

2009-11-27 03:13:03
たつざわ さとし @tatsuzawa

(とらドラ) あの大人あって、あの終盤の子供とのやりとりあるからこその「とらドラ」ではある。

2009-11-27 03:20:57
ココネ @_kokone

@tatsuzawa むしろ、大河の平面的で《なさ》はぜひ捉えたいところです。自分には大河が「人形」(登場時にそう形容されます)にみえてしまう。一方亜美にはダイナミズムがあり成長しているように「みえ」ますが、それも実態はスタティックな大河を肯定するための方便にみえてしまうのです。

2009-11-27 03:21:24
なつき @na_tsu_ki

とらドラってすごいアニメっぽいアニメだったと思う。だから親しみやすかったし、分かりやすかった。ただアレをリアルドラマでやられたら私は断じて見ない。という、なんだろうね。このアニメとリアルの段差。

2009-11-27 03:26:33
平田@のぶ @sakasa_don

大人を「大人」として描くと竜児と大河はそれを突き破れるだけの信念や論理もあるといえる状況でないわけで、この穴は意図的ではないかと。 @tatsuzawa: @_kokone そこは私も気になります。大人になれていなくても、大人として振舞うことができるにもかかわらずそうしていない。

2009-11-27 03:27:07
たつざわ さとし @tatsuzawa

@wtnbhrt そうですね。終盤で子供が大人に並び立つことができなくなりますね。そのへん以外では大人を排除してしまっても子供たちにはさして影響ない。読者は三十路・泰子が出てこないと物足りないと言うのはありますが。

2009-11-27 03:31:41
たつざわ さとし @tatsuzawa

@_kokone 大河は私自身捉えられていません。大河に感情移入しないと見えないものがあるような気がします。

2009-11-27 03:33:16
ココネ @_kokone

@wtnbhrt そうだろうと思います。ですが、相手(大人)のレベルをいたずらに下げることで乗り越え(たかのようにみせ)る、というのはトリックのようにも感じられます。

2009-11-27 03:34:15
平田@のぶ @sakasa_don

@tatsuzawa やっちゃんを絡まされると彼女の子離れ=彼女自身の主要な物語をも内包してしまうという主題の二重性を嫌ったのかもしれませんね。そういう重層構造こそを観たかったというのも私自身もあるのですが、中盤にその主題が見えるのならともかく終盤はやはり削って正解かと思います

2009-11-27 03:38:48
ココネ @_kokone

アニメのとらドラをみたとき(原作未読)、最終話を除いて、人間的・人格的にダイナミズムがあり「成長」しているのは亜美だけのようにみえました。ただ、おもしろいのは、どうもこれが成長しているように《みえる》だけで、実態はそうともいえないということです。一種の錯覚。

2009-11-27 03:44:14
ココネ @_kokone

亜美は確かに変化するのですが、そのベクトルは成長のそれではないようです。モデルで処世術にたけた亜美は、はじめから大人の世界にいます。亜美が変化して《大河のように》「ほんとの自分」になることは、むしろ大人の否定としてあります。成長とは正反対。

2009-11-27 03:45:40
@niraman

とらドラといえば、後半で亜美ちゃんとみのりんが殴り合ってたのが意味わからなかったな。なんか青春? を表現してるの? 亜美ちゃんがみのりんの偽善性を指摘してみのりんが切れたってことなのか。

2009-11-27 03:46:23
1 ・・ 6 次へ