@tatsuzawa 自分としてはアニメのとらドラは「最後のほう」(最終話)がないと全く共感できませんでした(!)。ただ、それは「二人の世界に没入していく感じ」とは違う理由なのですが。とらドラは反成長物語が基調になっていて、最終話で(無理矢理?)成長物語に旋回させた感があります。
2009-11-27 02:32:06@tatsuzawa 最終話以外のとらドラはどうも、反大人というマイナス感情にドライブされていて、主人公たちを肯定するためのダシとして大人がことさらにインチキに描かれている感じがして共感できないのです…。大河は成長しませんし。どうにも人物が平面的にみえてしまう。
2009-11-27 02:50:26@_kokone (とらドラ) 私はインチキな感じはしませんでしたが、出てくる大人はロクな大人ではない(つまり子供)ですね
2009-11-27 02:56:28とらドラの大人は最後のほう以外、子供が反抗する対象ではなかったのが、最後のほうで急に反抗する対象になったような印象あります
2009-11-27 03:00:26@tatsuzawa ×インチキに→○インチキな存在として、と書いた方がよかったですね。ことさらに「ロクな大人ではな」く、「子供」として描かれているのが気になったのです。
2009-11-27 03:03:04.@_kokone さんに真っ向反論ですが、とらドラの人物は平面的ではないと思います。きちんといろんな要素を持ち合わせている。逆に要素がありすぎて簡単に理解できないのが問題。
2009-11-27 03:05:10@_kokone そこは私も気になります。大人になれていなくても、大人として振舞うことができるにもかかわらずそうしていない。
2009-11-27 03:08:14RT @tatsuzawa 最終話以外のとらドラはどうも、反大人というマイナス感情にドライブされていて、主人公たちを肯定するためのダシとして大人がことさらにインチキに描かれている感じがして共感できないのです…。大河は成長しませんし。どうにも人物が平面的にみえてしまう。
2009-11-27 03:09:00なんかちっと分かるかも。とらドラの大人たちの描写がインチキっぽいって感覚。てか全体的に人がものすごくリアルのようでリアルじゃないみたいな。なんと言っていいかわからないな。
2009-11-27 03:10:56@tatsuzawa そうですね。きっとそうなんだろうなとは思っています。たんに自分が読めていないだけのような気はしているので、あらためてちゃんとみないとなと考えてはいます。反抗の側面ばかりに気をとられてしまっていました。
2009-11-27 03:11:18@tatsuzawa むしろ、大河の平面的で《なさ》はぜひ捉えたいところです。自分には大河が「人形」(登場時にそう形容されます)にみえてしまう。一方亜美にはダイナミズムがあり成長しているように「みえ」ますが、それも実態はスタティックな大河を肯定するための方便にみえてしまうのです。
2009-11-27 03:21:24とらドラってすごいアニメっぽいアニメだったと思う。だから親しみやすかったし、分かりやすかった。ただアレをリアルドラマでやられたら私は断じて見ない。という、なんだろうね。このアニメとリアルの段差。
2009-11-27 03:26:33大人を「大人」として描くと竜児と大河はそれを突き破れるだけの信念や論理もあるといえる状況でないわけで、この穴は意図的ではないかと。 @tatsuzawa: @_kokone そこは私も気になります。大人になれていなくても、大人として振舞うことができるにもかかわらずそうしていない。
2009-11-27 03:27:07@wtnbhrt そうですね。終盤で子供が大人に並び立つことができなくなりますね。そのへん以外では大人を排除してしまっても子供たちにはさして影響ない。読者は三十路・泰子が出てこないと物足りないと言うのはありますが。
2009-11-27 03:31:41@wtnbhrt そうだろうと思います。ですが、相手(大人)のレベルをいたずらに下げることで乗り越え(たかのようにみせ)る、というのはトリックのようにも感じられます。
2009-11-27 03:34:15@tatsuzawa やっちゃんを絡まされると彼女の子離れ=彼女自身の主要な物語をも内包してしまうという主題の二重性を嫌ったのかもしれませんね。そういう重層構造こそを観たかったというのも私自身もあるのですが、中盤にその主題が見えるのならともかく終盤はやはり削って正解かと思います
2009-11-27 03:38:48アニメのとらドラをみたとき(原作未読)、最終話を除いて、人間的・人格的にダイナミズムがあり「成長」しているのは亜美だけのようにみえました。ただ、おもしろいのは、どうもこれが成長しているように《みえる》だけで、実態はそうともいえないということです。一種の錯覚。
2009-11-27 03:44:14亜美は確かに変化するのですが、そのベクトルは成長のそれではないようです。モデルで処世術にたけた亜美は、はじめから大人の世界にいます。亜美が変化して《大河のように》「ほんとの自分」になることは、むしろ大人の否定としてあります。成長とは正反対。
2009-11-27 03:45:40とらドラといえば、後半で亜美ちゃんとみのりんが殴り合ってたのが意味わからなかったな。なんか青春? を表現してるの? 亜美ちゃんがみのりんの偽善性を指摘してみのりんが切れたってことなのか。
2009-11-27 03:46:23