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lapis_and_honey
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昨今、自分の傷つきやすさを全肯定するのが素晴らしいことなのだみたいな言論がちらほら見られるので、今日は傷つきやすさの話をしようと思う。 by由加利
2017-11-23 19:54:50![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
傷つきやすいって、程度にも寄るけれども、「すぐ腐る」だとしたらこれほどめんどくさいものもない。 指先でつつかれたらそこから腐るみたいな過剰な傷つきやすさを受け入れてもらえるのは、やわらか戦車と桃ぐらいなのだ。 by由加利
2017-11-23 19:55:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
というのも、なぜ傷つきやすさを全肯定することが厄介かというと、当たり前だけれど最も傷つきやすいのは最も未熟な頃だからだ。 例えば勉強をしたことがない幼稚園児にはひらがなは書けない。当たり前だ。書いたことがないんだから。 by由加利
2017-11-23 19:57:04![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だからと言って、幼稚園児が「ひらがなに挫折した。もう書けないし書きたくない」なんて言ったら一生文盲だ。 幼稚園児はひらがなをいっぱい間違える。誰だってなんだって、なにかを正しく覚えるまでは間違いだらけだ。でもいちいち間違いを正して、覚えなければいけない。 by由加利
2017-11-23 19:57:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
とは言え、誰だって幼稚園の頃や小学生の頃の、何もかもが上手くいかなくて赤ペンばかりついていた頃の記憶を覚えていると思う。 ちなみに私はアスペルガーの特性が出まくったせいで、小学3年生ぐらいまで何にも上手くいかなかった。4年生になって急に殆どの成績がクラスでトップになった。 by由加利
2017-11-23 20:01:10![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
まぁそれはそうとして。上手くいかない時期に傷つきすぎることは何のプラスも産まない。ひらがななんかさっさと覚えれば世界が広くなると、大人になった私たちは当たり前に知っている。 by由加利
2017-11-23 20:07:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
幼稚園児や小学生がひらがなをきっちり読み書きできるまで教えてもらえないというのは、現代日本では虐待に当たるのかは知らないけれどもその子の未来を著しく制限することは確かだ。例え子どもが「もうひらがななんか覚えたくない!」と言ったとしても。 by由加利
2017-11-23 20:12:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
幼稚園児や小学生は、勉強ができるまで親に教えてもらえる。大人は、本人がもうやめたって思ったらそこでおしまいなのだ。どんな事情があろうとも、そこでおしまいだ。 by由加利
2017-11-23 20:14:20![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だから大人が何かを習得するに当たって、「過剰に傷付かない」というのはものすごく大切なことだ。 初めてやったことが上手くいかないなんて普通のことだし、上手くいかないと人間は傷つく。苦痛と習熟度というのはある程度のところまで比例している。 by由加利
2017-11-23 20:17:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
単純に、習熟度が上がると、そもそも失敗の数が減るし、その頃には多少失敗してもそれを補う自信が培われている。 適正な指導を受けている適正な環境では、習熟度はある程度経験量に比例する。 最初は下手でも、慣れれば上手くなっていく。 by由加利
2017-11-23 20:21:59![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「上手くいかない自分に過剰に傷つく」というのは、淡々と努力すれば上手くいくであろう物事の習得を阻害したり、習得そのものをおじゃんにしかねない行為なのだ。 by由加利
2017-11-23 20:25:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
とは言え、嫌なことがあれば傷つくものは傷つく。せやな。私も昔は傷つきやすかったよ。 絶対傷付かない方法なんてものはないけれど、無駄に傷付かなくなる方法というのはいくらかある。 by由加利
2017-11-23 20:30:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「悲劇のヒロインから脱却する」のが傷つきづらい心の重要な要。 悲劇のヒロインとまで行かなくても、「あなたが傷ついてるそれ、もしかして妄想かも!」はスローガンとして掲げていきたい。 by由加利
2017-11-23 20:43:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
本当かどうか知らないけど、鬱病患者の将来破滅するという妄想が「それが起こる確率はは客観的に検証して何パーセントほどで、その場合客観的に判断してあなたはどうなって、それに対してどのような対策が取れるのか」一緒に検証していくことで軽減するという話を読んだことがある。 by由加利
2017-11-23 20:46:22![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
客観的な情報を集めるって大切なんだ。 何かが不安な時も、「このままだと最悪どうなって、最高どうなって、それに対してどんな対策が打てるのか」検証していくうちに不安が軽減するというのは、自分一人でも出来る。 by由加利
2017-11-23 20:49:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
その時大切なのは、想定し得る最悪と最高と中央値だけを考慮すること。そうでないとキリがないからね。 「突然隕石が降ってきたら」みたいなことは言い出さない。 by由加利
2017-11-23 20:51:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
もうちょっと実践編を挙げよう。 ・過去の自分が経験したけどどうにかなったトラブルを思い出す。そして「なんだかんだどうにかなったし、今も生きてる」と言い聞かせる。 ・自分と同じぐらいの立場の人たちを観察する。みんな案外上手く行っていないし、困難はどこにでもある。 by由加利
2017-11-23 20:55:03![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
・「ここまでは失敗しても死なない」というデッドラインを設定する。デッドラインを超えない限りは深刻に考えすぎない。 ただし、これらはあくまで「習熟を妨げる、プライドや恐怖心や傷つきやすい心を懐柔する」方法なので、努力や素直さがなければ普通に詰む。 by由加利
2017-11-23 21:13:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
もっと突っ込んだら、「被害者・失敗者になることで充足感を得ることから卒業する」って話になってくる。 ここも基本的にはさっきまでと同じ方法で克服できるけれども、「自分は成功できない」という自信のなさが失敗に留まる理由になることは多い。 by由加利
2017-11-23 21:38:26