ガラス作家ルネ・ラリックが手がけた香水瓶- 「私は戻って来る」

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ノーパル @nnopal_vamp

ルネ・ラリックが手がけた香水で最高のヤツがあるんだよ…!香水5種類の名前を繋げると「夜をさまよい、暁を目指す、別れなどありえない、私はもどってくる、君のもとへ」という愛の詩になる。とくに「私はもどってくる(Je Reviens)」は戦場へ行く兵士たちが恋人へ贈るために買い求めたんだそうな。 pic.twitter.com/DI2R4IUBHR

2018-03-12 18:18:57
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ノーパル @nnopal_vamp

ラリック美術館の展示で知った香水です(lalique-museum.com/common/data/pr… …) 今思うと、吸血鬼が定命の恋人に贈ってほしい香水達だな…。

2018-03-12 18:24:25
リンク パンデモニウム 『『美の壺 №201 香水瓶』 ルネ・ラリック』 本日の 『美の壺』 (再放送)は、「香水瓶」でした。世界で年間 数兆円規模の市場が有る香水。昔から女性の心をとらえてきた身近な芸術品、それが香水瓶です。「香水…
リンク 曇のち晴れのち幸せ 「私は戻ってくる」魂の贈り物 ■目次・「ジュルビアン」。。・作者ルネ・ラリック。。・その後、香水瓶は。。 …

リンク SPICE(スパイス)|エンタメ特化型情報メディア スパイス 『北澤美術館所蔵 ルネ・ラリックの香水瓶-アール・デコ、香りと装いの美-』展レポート 冬にぴったりの、香りたつイマジネーションの世界 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス 化粧の仕上げは香りである。髪を整え、肌をいろどり、最後に香水を添える。香りから想起されるさまざまなイメージを纏うのだ。薔薇の朝露、シダのさわやかな葉陰、ロータスの神秘的な花。香気の中から生まれたような気分を求めて……。 そんな香りのイメージを創った人がいる。ガラス工芸家、ルネ・ラリックだ。 この冬、渋谷の松濤美術館では、『ルネ・ラリックの香水瓶』展が開催されている。ガラス芸術作品コレクションで名高い、長野県諏訪市の北澤美術館の所蔵品に、アール・デコ時代のドレスやファッション 20

◆ ルネ・ラリックとは?

リンク Wikipedia ルネ・ラリック ルネ・ラリック(René Lalique、 1860年4月6日 - 1945年5月1日)は、19世紀~20世紀のフランスのガラス工芸家、宝飾(ジュエリー)デザイナー。アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍した作家。前半生はアール・ヌーヴォー様式の宝飾(ジュエリー)デザイナーとして活躍し、その分野で名声を得ていた。宝飾デザイナー時代から、ガラスをパーツに用いていたが、ガラス工場の経営者に転進するのは50歳を過ぎてからである。1860年、フランス、シャンパーニュ地方マルヌ県アイ村に生まれ、パリ

◆ アールヌーボーとアールデコという美術様式について

リンク Wikipedia アール・ヌーヴォー アール・ヌーヴォー(フランス語: Art Nouveau)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたった。第一次世界大戦を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインが普及するようになると、アール・デコへの移行が起き、アール・ヌーヴォーは世紀末の 19
リンク Wikipedia アール・デコ アール・デコ(仏: Art Déco)とは、一般にアール・ヌーヴォーの時代に続き、ヨーロッパおよびアメリカ合衆国(ニューヨーク)を中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向。原義は装飾美術。幾何学図形をモチーフにした記号的表現や、原色による対比表現などの特徴を持つが、その装飾の度合いや様式は多様である。アール・デコは1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開いた。博覧会の正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale 1

◆ 同時期を生きた有名作家たち

リンク Wikipedia エミール・ガレ シャルル・マルタン・エミール・ガレ(Charles Martin Émile Gallé、1846年5月4日 – 1904年9月23日)は、アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アートディレクター、企業経営者。1846年5月4日、ファイアンス焼きと家具の工場の息子としてフランスロレーヌ地方ナンシーで誕生。1858年にナンシー帝立高等中学校(リセ)に入学。修辞学、文学、哲学、植物学、に優れた成績を修めた。1865年の秋から67年までドイツのヴァイマルに留学し、ドイツ語の 26
リンク インターネットミュージアム インターネットミュージアム インターネットミュージアム 1
リンク Wikipedia ドーム兄弟 ドーム兄弟(Daum Frères)は、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したフランスのガラス工芸家。兄オーギュスト(Auguste Daum, 1853年 - 1909)年と弟アントナン(Antonin Daum, 1864年 - 1930年)の2人。ガラス工芸メーカーのオーナー一族として「ドーム兄弟」の呼称が定着しており、工房名にもDaum Frères を付していたので、本項でも「ドーム兄弟」と称することとする。オーギュストとアントナンのドーム兄弟は、フランス、ロレーヌ地方のビチュの出身である
リンク Wikipedia アルフォンス・ミュシャ アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, チェコ語: アルフォンス・マリア・ムハ、1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。「ミュシャ」という表記はフランス語の発音によるものであり、チェコ語の発音を日本語表記すると 「ムハ」または「ムッハ」となる。多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴で 37
リンク Wikipedia グスタフ・クリムト グスタフ・クリムト(ドイツ語: Gustav Klimt, 1862年7月14日 - 1918年2月6日)は、世紀末ウィーンを代表する帝政オーストリアの画家。グスタフ・クリムトは1862年にウィーン郊外のバウムガルテン(ペンツィング)に生まれた。父エルンストはボヘミア出身の彫版師、母アンナは地元ウィーン出身であり、クリムトは7人兄弟の第2子であった。ウィーン7区(ノイバウ)の小学校で学んだ後、1876年に博物館付属工芸学校に入学した。後に弟のエルンスト・クリムトとゲオルク・クリムトもこの学校に学び、それぞ 20
リンク Wikipedia オーブリー・ビアズリー オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley [ˈɔːbri ˈvinsənt ˈbiəd͡zli], 1872年8月21日 - 1898年3月16日)は、イギリスのイラストレーター、詩人、小説家。ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表する存在でもあり、悪魔的な鋭さを持つ白黒のペン画で鬼才とうたわれた。病弱ゆえに25歳の若さで夭折した。ビアズリーは1872年、イギリス南部のブライトンで生まれる。父ヴィンセント・ポールは金銀細工師の息子、母エレン・ピットは軍医ウィリアム・ 2
リンク Wikipedia 杉浦非水 杉浦 非水(すぎうら ひすい、1876年5月15日 - 1965年8月18日)は、近代日本のグラフィックデザイナー。本名、杉浦朝武(すぎうら つとむ)。 1876年愛媛県松山市に生まれる。東京美術学校(現東京藝術大学)日本画選科卒(1901年)。当初日本画家を志し四条派の画家松浦巖暉に師事。1897年の上京後は川端玉章に師事し東京美術学校(現東京芸術大学)日本画選科に入学。この東京美術学校在学中に洋画家の黒田清輝より洋画や欧風図案の指導を受け、図案家へ転向する。同校卒業後は大阪三和印刷所に勤め、図案部主 1
リンク Wikipedia 小林かいち 小林かいち(こばやし かいち、1896年11月-1968年)は、日本の木版絵師、図案家である。本名は小林嘉一郎。大正後期から昭和初期にかけて京都で木版絵師として絵はがき・絵封筒などのデザインを手がけた。作風はアール・デコスタイルで叙情性をもち大正ロマンを感じさせるものである。雅号もしくは作品のサインには「嘉一」「歌治」「うたぢ」「う多路」「Utaji」もある。数度の転居はあったが、本籍を京都市東山区祇園町に置き、生涯京都で活動する。確認されている作品は木版刷りの絵はがき・絵封筒・カレンダーなどが約700点
リンク www.artnet.com Emmanuel Villanis | artnet View Emmanuel Villanis's 808 artworks on artnet. From exhibitions to biography, news to auction prices, learn about the artist and see available sculpture for sale.