東京大学総合図書館所蔵 田中芳男文庫『捃拾帖(くんしゅうじょう)』に関するツイートまとめ

・「電子展示『捃拾帖』[くんしゅうじょう]」 https://kunshujo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ の公開を祝して、2018-10-04以降のツイートを追加しました。(2019年1月19日) ・2018年10月9日のライブラリープラザ トークセッション (https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ja/library/general/event/20180919 )の開催を記念して、2018-10-04までのツイートをまとめてみました。 だいたい、モリナガ・ヨウさんの御著書に関するツイート→デジタル公開関係→佐藤賢一先生ほかの方々のピックアップ という流れになっています。 もしお気づきの点等ありましたらお知らせください。
5
Nori(情報ブロイラー) @bgnori

スクラップブックというと、みうらじゅんの自家製エロ本や仏像スクラップブック、或いは江戸川乱歩が自身に関するありとあらゆる記録を蒐集した貼雑年譜、近代日本の博物館設立に多大な寄与を果たし自身とてつもない蒐集家でもあった田中芳男の博物... http://ff.im/-yUInM

2011-02-27 00:07:27
攻撃やめろ、くたばれプーチン #нетвойне #standwithukraine 🇺🇦 @Schlieffen_Plan

掃除をしていて考えた。もう、「田中芳男」になろうと思うのはやめだ。居場所もなくなるし、死んだあとが大変なことになる。

2011-10-04 23:42:11
攻撃やめろ、くたばれプーチン #нетвойне #standwithukraine 🇺🇦 @Schlieffen_Plan

伊藤圭介とか田中芳男とか、おれの理想の人生。長生きしてコレクター。世事にあまり関心がないw

2011-11-09 16:30:06
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

この他に、田中芳男の収集資料もパラパラ見た。田中という男は、全くもって訳のわからない収集マニアの博物学者。幕末から大正まで、彼の目に触れて心動かされた印刷物が、100冊以上のスクラップブックにびっしりと貼込まれている。これは科研を取ってでも公刊したい資料群・宝の山。

2012-01-31 13:05:48
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

田中芳男が手当たり次第に集めた資料が参考になりそうなのは、今回の震災関係資料の収集方針。個人が集めた資料群はこうなることを見越して、組織的に集める段取りを設計できそうである。田中資料のどの一冊を見ても感じるが、圧倒される雑多な資料の情報量。現代ならばアーカイブ化できる。

2012-01-31 13:12:33
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今日も田中芳男のスクラップブック、『クン拾帖』を見てきた。幕末・明治初期の庶民資料から政府内部資料まで、一つにまとめてる資料群はこれぐらいだろう。何とかして、皆で使える形で公開できないものかなあ。アイディアはあるのだが、問題は資金だな。科研を出すか。

2012-02-07 12:25:15
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今日見た、田中芳男のスクラップブックの貼込資料あれこれ。(明治初期)青森県産ブランデーのラベル、陸前雄勝産硯の販売所ラベル、山梨産白ワインのラベル。上野公園開設時の軍楽隊(陸軍・海軍別々の)演奏プログラム。浜離宮午餐会のメニュー。→

2012-02-07 12:39:52
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

明治の博物学者・田中芳男のスクラップ・ブックに、現在の宮城県石巻市渡波地区で採られて製品化されたきんこ(ナマコの一種)の缶詰(?)のラベルがあった。そのラベルの英文表記では、渡波のことをTONAMIと書いている。昔は「となみ」と読んでいたのかな?。。。

2012-02-27 00:01:47
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

それにしても田中芳男といい、小中村清矩といい、明治初期の学者たちの資料収集量はハンパじゃない。博物学の田中、国学の小中村。小中村関係資料の中には全国の神社の由緒や縁起を集めた資料も紛れ込んでいる。一部研究者の間では著名であろうが、彼らの総合的な研究があると面白いかもしれない。

2012-02-27 17:22:54
かめふじ@ハイアイアイ臨海実験所 @kamefuji

附属図書館と情報基盤センターでは、このたび『(享保八年)紀州熊野浦諸鯨之圖』の電子版を公開いたしました。総合図書館所蔵の『(享保八年)紀州熊野浦諸鯨之圖』は、旧蔵者田中芳男氏が異なる三種の捕鯨図を貼り合せ、折本に仕立てた絵図です。 gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kujira/

2012-03-22 19:11:54
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

本郷での調査、終了。例のごとく、田中芳男関係資料を中心に。明治20年に田中が記録した「八戸煎餅」(南部煎餅)が秀逸。要は煎餅に紙を当てて鉛筆等で擦って模様を写し取ったもので、八戸の名所の絵柄もあった。田中はご丁寧にも煎餅を横にして「厚さ」も写している。今よりも若干薄い。

2012-05-01 12:16:02
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

田中芳男資料でもう一つ出てきたのは、田中宛・榎本武揚書簡(年不詳12月12日付)。読みやすい文字だったので、ササッと釈文を取って写した。内容は「大根」の話!人造肥料(過燐酸石灰)と人糞肥料を使って栽培した大根を比較し、農商務省で分析したから結果を知らせる、というもの。→

2012-05-01 12:43:51
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

先週、本郷の総合図書館で見た田中芳男関係資料に例の如く榎本武揚とのやりとりを示す文言があった。明治21年、榎本は朝鮮の釜山に渡り、そこで鯛の干物を発見。早速3枚ほど購入して田中の元に直送。田中はそれを見て、日本の干物との違いを分析。証拠として鯛の干物の魚拓を取って残しているww

2012-08-22 13:13:18
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【明治43年・貴族院晩餐会メニュー】(1)今日の午前中、いつものように本郷の東大総合図書館で田中芳男関係資料を調査。彼の作った明治43年のスクラップブックをパラパラ眺めていたら、貴族院閉会の翌日に華族会館で行われた晩餐会の案内とメニューが貼り込まれていた。

2012-09-04 13:20:25
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【晩餐会メニュー】(2)田中芳男宛、案内ハガキには次の文言。「拝啓 帝国議会閉会式御挙行ノ翌日 華族会館ニ於テ緩々御高話相伺度候間 午前十一時御来臨被下度 此段御案内申上候 敬具 三月廿日 貴族院議長 公爵 徳川家達」談話会のような集まりの後に晩餐会があったらしい。

2012-09-04 13:24:52
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【晩餐会メニュー】(3)明治43年3月22日に華族会館で催された貴族院関係者の晩餐メニューは次の通り。(原文そのまま)「一 肉汁/一 魚マヨネーズ注汁/一 牛肉蒸煮/一 花菜注汁/一 カレー飯添/一 鶏肉蒸焼 生菜/一 蒸菓 雑菓 果実 珈琲」→「カレー飯添」はライス・カレー?!

2012-09-04 13:29:27
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【晩餐会メニュー】(4)同じ冊子に別の日の晩餐会のメニューもあった。明治43年1月29日。「一 冷物/一 羹汁/一 鯛蒸注汁/一 鶏肉寄油煮/一 牛繊肉洋菌/一 洋独活/一 猪肉蒸焼/一 氷菓子 雑菓 果実 珈琲」→「羹汁」はシチュー?「牛繊…」は多分牛スジ肉とマッシュルーム。→

2012-09-04 13:38:22
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【晩餐会メニュー】(5)→「洋独活」は「西洋独活」で、アスパラガスのこと。珍しい野菜だったから単品で出されたのかなあ。。。ちなみに、日本で最初にアスパラガスを試験栽培したのが、まさに田中芳男その人。この晩餐会に出てきたアスパラを見て、どんな気持ちになったかなあと想像してしまった。

2012-09-04 13:42:37
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【晩餐会メニュー】(6)田中芳男のスクラップブックは、もう何と言うか、時代の産物全てを詰込んだような万華鏡。貴族院の晩餐会メニューが貼付けてあるかと思えば、多分、自分が食べた駅弁の包紙や割箸の袋まで貼付けている。「活鯛飯 代金弐拾五銭 国府津停車場内東華軒」という紙もその一枚w

2012-09-04 13:49:14
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【晩餐会メニュー】(7了)田中芳男関係資料はこれまで「物好きの収集品」扱いを受けてきたが、別の見方もできるはず。産業統計の完備していなかった明治初期の日本の農林漁業産物のサンプル、産地情報などがふんだんにあり、使い方によっては過去の生態系の様子を知る手がかりにもなるかもしれない。

2012-09-04 14:10:42
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今日も田中芳男資料。それで見つけた情報。明治初期、お雇い外国人のアドバイスも入れて、博物局周辺の面々はコーヒーの代用品を探していたらしい。あわよくばそれを輸出品にするという目論見で。それで見つけた植物が「イボタ」。。。この実を煎ると本当にコーヒーみたいになるのかな。。。

2012-09-11 12:07:54
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今日、本郷の総合図書館で見た田中芳男関連資料。『物産雑説』18(繊維類)を開いたところ、またまた榎本武揚の田中宛書簡が出てきた。明治18年12月付、翌年2月付の書簡。榎本は流石、東京農大創設者だけあって、どこに行っても物産に関心が高く、しょっちゅう田中に書簡を送っていた模様。→

2012-11-20 19:07:35
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

新規科研の方針を確かめるため、今日も田中芳男関係資料と格闘。政府統計の殆ど無い、幕末・明治初期の農林水産鉱業情報をカバーできる資料群を片っ端から翻刻していくことにした。第一次産業情報を追跡することで、当時の植生や生態系に関する情報も得られると期待できる。特に東北地方に注目したい。

2013-04-18 12:16:51
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今、進めつつある科研の柱は2つあり、1つは震災関係史料の収集や保存。これはフィールドワーク主体。もう1つが、幕末近代初期の国内産業・技術の位相を知るための田中芳男関係史料の分析。先にも述べたとおり、近代の大災害を受ける直前の東北の環境をも知る手がかりがあるかもしれないという見込。

2013-04-18 13:51:08
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

何にせよ、プロジェクトの成否は、こちらが面白い面白いとだけ言っても、人様から見向きもされなければどうしようもない。これから翻刻しようとする田中芳男関係史料もまさにそうで、その面白さ、ブッ飛び具合を誰もが分かる形で示さないとダメだろうなあ。サンプル史料を早々に公開しないと。。。

2013-04-18 15:05:46
1 ・・ 19 次へ