生後3ヶ月の頃から出ていた乳児湿疹が治らずセカンドオピニオンを求め皮膚科に行ったら卵アレルギーが発覚した話
愛息子、生後3ヶ月の頃から乳児湿疹が出て最寄りの小児科医になかなか引かないね…と言われながら6ヶ月の頃まで受診。セカンドオピニオンにと皮膚科行ったら息子の肌を見た看護師さんに「卵っぽいね」と言われ血液検査。振り切れるくらいの数値が出てアレルギー発覚。離乳食前。私の授乳から行ってた。
2019-02-26 18:57:03そこから私も卵、乳を絶つ食生活の開始。母乳から子の体に栄養が行ってるのだ、とこんなにもまざまざと痛感した経験は無い。私が卵乳断絶生活をしたらスーッと皮膚は落ち着いた。そこから母子での二人三脚開始。家から洋食が消えた。大好きなカフェオレも作らなくなった。和食、うどんが主の生活。
2019-02-26 19:00:10買い物に行っても手に取るもの全ての原材料を見る癖がついたのは息子のおかげ。それまで知らなかったけどかなりの物に卵や乳が入ってる。加工食品はほとんど全滅。冷蔵庫がカラカラになった。私は授乳もしながらで10kg痩せた。「栄養は他からも取れるから」という医者の言葉を信じとにかく必死だった。
2019-02-26 19:04:47ママ友の誘いもなんとなく行かなくなった。ランチにも気を遣う。おうちでのランチでも相手に気を遣わせる。子供のおやつにも気を遣わせる。何人かそんな所も打ち明けられる友達とは気分転換にと誘われたら出向いたけど、それでも、なんとなく外に出なくなった。家が一番安心だった。卵と乳が無い場所。
2019-02-26 19:09:43息子を守る事に必死だった。自分が好きなものを食べられない事は何でも無かった。無ければ無いでどうにでもなる。アレルギーの勉強もした。息子よりもっと大変な環境の子供がたくさんいる事も知った。小麦、大豆が食べられたから麺類やパンも選べば食べられた。初めてドーナツを食べた時、私は泣いた。
2019-02-26 19:13:24入園の時は、とにかく食事やおやつにきちんと配慮してくれる事が第一条件だった。その他は二の次。それでも、とてもいい近場の園に出会えたのは幸運だった。下の子も生まれ、入園させない事も私もしんどかった。年少から通った。安全に元気に通園出来た事は本当に支えられた。義務教育、不安だった。
2019-02-26 19:18:45入学説明会で息子のアレルギーについて伝えると後日呼び出され栄養士の先生と話す機会を頂いた。不安を全て話した。数値は下がってきてたが、アレルギー。出来れば他の子と同じ給食を食べさせたかった。一つ一つの献立に何が何%含まれているかがわかる資料を毎月渡してくれる事になり、感謝しかない。
2019-02-26 19:24:12アナフィラキシーショックの恐れもあり緊急の薬も持って登校してる。ここまで飲んだ事は一度だけ。お友達がこぼした牛乳が手にかかった。本人が不安がり飲んだ。先生も息子だけを見てはいられない、給食の時間は自分の机ではなく一番前の隣に誰もいない席で孤立して食べていた。想像しては泣けてきた。
2019-02-26 19:29:35今3年生。相変わらずオムレツや卵焼きの日は代替のおかずを持参。牛乳は飲まず持参したお茶。有り難い事に卵も乳も数値は落ち着いてきてるけど今度は数値ではなく「本人の恐怖」との闘い。これが難しい。全く食べたがらないし怖がる気持ちも理解できるから親も無理強いは出来ない。長々と失礼しました
2019-02-26 19:33:08ふと呟いた事が伸びて驚いております…有難うございます。もう少し夫の名誉の為にも追記を… 当時は勿論夫も家では卵も乳も食べてなかったし不満を言う事も一度も無かった。だから頑張れたところは大きいと思う。私だけなら心折れてた。外食はいつもうどん屋だった。天ぷらは食べられないけど。
2019-02-26 22:37:59でも不思議と除去生活をやめたいが為に息子への授乳を早めに終えたいと思った事も一度も無かった。除去後息子の肌がみるみる変わった時、生まれた後も息子と一心同体なんだとさえ思えた。今も皮膚疾患や喘息は多少あるけど付き合っていく。アレルギーは排除するのではなく共存していくものかなと。完!
2019-02-26 22:45:30あぁぁ、言葉って難しい。すべてのアレルギーっ子の状況を理解したわけではないので語弊が生まれると怖いのですが、私はそう捉えて向き合っています、という事です。。
2019-02-26 23:12:15@_mother_life_ フォロー外から失礼します。素朴な疑問なのですが、母乳からミルクへの変更はご検討されなかったのでしょうか。ミルクの中の卵成分の有無などは存じ上げないのですが。
2019-02-27 22:11:10@marimo_mental 完母に私がこだわりはなかったので、それまでにも夫に任せたい時などのためにミルクにトライした事がありましたが息子が受け付けず。その上アレルギーがわかったのは既に7〜8ヶ月。知恵もつき母乳へのこだわりも強く、ミルクの再トライもしましたがやはり無理で、腹をくくり母の除去生活開始でした。
2019-02-28 00:11:13@marimo_mental ちなみに補足ですが、乳アレルギーの子も飲めるミルクでトライしました。探した覚えがあります。やはり味が全然違うのか拒否され断念しました。
2019-02-28 00:25:13一連のツイート見て泣きそう。卵大好きな私にも卵の数値がものすごい時期があったし、大人になって食べられるようになったものもだめなものもできた。月見そばを食べて呼吸困難になったり、カレー食べて救急搬送されたり、今は良くなってるかもだけど記憶は消えないので「恐怖との戦い」がよくわかる。
2019-02-28 13:28:24@gudemama2018 FF外から失礼します。ツイートに足を留めて頂き有難うございます。ぐでままさんのツイートを拝見し、息子も親の私が食事の管理をしている時期を経て自分で食事を取捨選択するようになってからが、また別の闘いなのかもしれないなと思いました。読んで頂き有難うございました。息子を見守って行きます☺️
2019-02-28 13:39:10@jimcy_jimcy はじめまして☺️ 毎日のお弁当、本当に頭が下がります。元気にご卒業できるのもそのご苦労の賜物ですね。おめでとうございます✨
2019-02-27 00:02:58