【TIGER & BUNNY】今更だけど鏑木・T・虎徹のTってなんやねんの巻<いつになったらリラックマコラボ来るんだ編>

駿河屋アキバホビー館のタイバニコーナー、とうとう無くなっちゃったんってー、なーんてな。 今日、どうなったか見に行こうと思ったけど、ちょい野暮用優先で帰宅カウンタック。 タイバニのさぁ、主人公のタイガーさんの本名、鏑木・T・虎徹のTは何のマジナイだ? 続きを読む
3
🐾🐯青葉|クリスマスはChristmasであってXmasではない⛪️🐰💕 @TB1min100pwr

自分にご褒美〜とかロクでもない事をすると、すぐに突き放されます。 可愛いけど〜〜可愛いけど〜… デカピン、通算5個目やぞ? ※続けてやっちゃダメ絶対!← pic.twitter.com/ItpmkxJEjd

2019-05-17 12:58:18
拡大
拡大
Keithius @ksurvell

Delilah giving me some side-eye this morning: “do you have treats? No? Then leave me alone.” #bunny #houserabbit #bunniesofinstagram bit.ly/2Qdjj8T pic.twitter.com/3IvwsueLUV

2019-05-22 20:51:10
拡大
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

喫茶店で隣に座ってた老婦人から話しかけられ、興味深い話をたくさん聞かせてもらったから帰ったらまとめてメモる。戦争の体験談だそうで。色々と生々しい。

2018-11-14 17:36:38
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

①すごい長いんですけど私ひとりの脳に収めておくのは勿体無いのでツイートしておきます。最初は「この店の照明はやたら眩しいね、何ワットの電球なのかね?」と老婦人から私に話しかけてくれて、そこからお孫さんの話、若い頃の話、戦争の話になっていったものです。内容が内容なので番号振っとこう。

2018-11-14 20:21:23
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

②老婦人の話。福岡で生まれ、父が台湾の台北で○○職員(よく聞き取れなかった)をやっていたので、家族で当時日本の植民地だった台北にうつった。 台北は植民地で、日本人は威張り散らしていたが、現地の人は優しかった。現場にいた身としては、今の台湾が日本に優しくしてくれてるのが奇跡のよう。

2018-11-14 20:22:22
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

③日本人は昔から立場の弱い人に辛く当たる民族だから、立場が逆だったら日本人は今も台湾を恨んでいるのではないか。東京は酷かったと聞いていたが、植民地だからか台北はそこまで酷くなかったように思う。米軍は、いずれ台湾は我が物になるからと、あまり痛めつけるつもりはなかったのかもしれない。

2018-11-14 20:24:21
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

④ただ、普通に爆弾は降ってきたし、母親はそれで死んだ。空襲が始まるとトンネル(防空壕のことらしい)は人でいっぱいになって、大人も子供もおしくらまんじゅうだった。逃げ遅れて焼け死んだ人間のにおいは忘れられない。実際は家とか色々一緒に燃えてるから人間だけのにおいじゃないんだろうけど。

2018-11-14 20:24:57
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑤身元の判別もつかないようなむごい遺体が山程できるから、みんなで協力しながら遺体を火葬場に運び、火葬場フル稼働で休む間もなく遺体を燃した。(不謹慎ながら、焼死体でも火葬場で焼くんですか?と質問)多分ね。焼死体は大体部分的に中途半端に焼けてるから、骨壷に収めるためにもちゃんと焼く。

2018-11-14 20:26:26
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑥でもあまりに火葬場が追いつかないときは、身元不明の遺体などを腐ってウジが沸く前に大人たちが濁った川に遺体を流していたのは何度か見た。だからみんな家族が見当たらなくなったら遺体の山からなんとか早く家族を見つけようと必死だった。汚い川に流されちゃうからね。

2018-11-14 20:27:14
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑦台湾では女学校を受験して受かった。校内のところどころに「撃ちてし止まん勝つまでは」「鬼畜米兵撃滅せよ」という貼り紙がしてあった。 ある日、女学校の朝礼で先生にいきなり名指しで壇上に立てと言われ、殴られるのかしら、何かしたかしらと怯えながら上がったら、ツギハギだらけのボロの服を

2018-11-14 20:28:28
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑧「国難をよく理解してものを大切にしている、立派だ、みな見習え」と褒められた。貧しさのせいだから好きでボロを着てないけど、褒められるのは嬉しかった。裕福できれいな洋服の子は居心地悪そうに教室のすみにいて、自分の服もわざと破って接いでくれと母親に頼んだらしい。苦労は美徳だった。

2018-11-14 20:30:14
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑨女子でも「男に産まれていたら戦争に行きたかった、女でも行けないか、国のために散りたい」と考える子は多かったし、私もいっときは本気でそう思っていた。近所に女学校ではない日本人学校があって、同じ年頃の男子とお話することもあった。女相手にも戦争への意欲や熱意を語ってくれる男子もいれば

2018-11-14 20:31:32
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑩明るい将来を夢見ているのか「戦争なんかに行きたくない」と言う男子もいた。が、そういう気弱な男は学年が上がるにつれ、いなくなった。戦争万歳の教育に染められたのもあるだろうが、死にたくないと言える雰囲気ではなくなっていた。心のうちでは戦争に行きたくない男子も多かったはずだ。

2018-11-14 20:32:16
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑪戦争を嫌がる男子の語る将来の夢は、やたら医者が多かったように思う。なんでかは私にはよく分からない。 少年航空隊に志願する男の子を学校総出で駅で見送るとき、皆が笑顔で万歳三唱しながら日の丸の旗を振っているのに、母親や大人の女が泣いているのを見て「みっともない」と本気で思っていた。

2018-11-14 20:32:45
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑫そのとき私は10歳かそこらだったんだけど、親心がまだ分からないとかじゃなくて、そう思うように教育されていた。もし今、息子や孫が同じことになったら、みっともないと言われようが、私はあのときの母親のように泣き崩れると思う。

2018-11-14 20:33:41
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑬敵の軍艦1隻を沈めるためには3機くらい特攻が必要だったんだけど、片道ぶんしか燃料を積んでない飛行機で、未来ある若者が人間爆弾となって突っ込んでくるのを、アメリカが恐れおののいた、と新聞で言っていた。でもあれは恐れてたんじゃなくて呆れてたんじゃないか。

2018-11-14 20:34:37
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑭軍人も国民なのに、国民が死にゆくのを悲観するどころか万歳三唱、同胞の死の瞬間を見届けても微動だにしない日本人と、慌てふためくアメリカ。当時は「日本軍は神軍なのだ!」と誇らしかったけど、今なら分かる。あれは病気だよ。 ああいうののせいか、実は今でも万歳三唱がちょっと苦手。

2018-11-14 20:35:48
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑮ある日、南方へ出征する直前の山本五十六が女学校へ講演に来た。「父が56歳の時の子だから五十六です」という自己紹介が面白くて、よく覚えている。講堂では、私達学生や講演を聞きに来た大人たち、国民を鼓舞することを話していて、どのお偉いさんも新聞と同じことしか言わないなと退屈に思ったが、

2018-11-14 20:37:15
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑯そのあと職員室の近くで「日本が優勢だとお国は言うが、実際の日本の戦況はかなり危うい」というようなことを先生たちと話していたのをはっきりと聞いた。多分だけど、彼は司令長官でありながら戦争に反対だったんだと思う。山本五十六が南のほうで特攻で立派に散ったと新聞で知ったとき、

2018-11-14 20:38:03
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑰司令長官の身でありながら南の島の前線で死んだのは、戦争をよく思ってなかったのが上に知れたから危険な場所に送られたのか?と友人たちと勘繰った。今思えば、こんな危ない相談をしていた友人の1人でもこんな会話があったと先生や軍人にちくりをしていたら、私はどうにかなっていたかもしれない。

2018-11-14 20:38:26
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑱終戦の日のことはよく覚えている。これは若い人みんなに言ってるんだけど、昔の8月15日は今ほど暑くはなかったよ。間違いない。 玉音放送は今でも頭から離れない。あれを聞いた瞬間は「日本が負けたなんて嘘だ!」と家族や友達とわんわん泣いた。

2018-11-14 20:39:04
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑲でも、一晩明けて冷静になると、これだけ国民が辛い生活してるんだから苦戦してたに決まってるし、五十六のお話も思い出されるし、そもそもなんで勝てると思ったの?と一気に夢から醒める思いだった。ロシアや中国に勝って調子づいてたとしか思えなかったけど、口が避けても言える空気ではなかった。

2018-11-14 20:40:30
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

⑳東条英機の自殺未遂の新聞記事をよく覚えている。死刑の決まった裁判にかけるのは辱めるようで可哀想に思った。玉音放送の後に切腹や特攻をした人がいたことも当時ニュースになった。せっかく生きのびたのだからわざわざ死ぬことないけど、戦時中の私なら「みっともなく生きるより」と考えただろう。

2018-11-14 20:43:33
💙💛ピルキュリアス❄ @pillxpill

㉑終戦後の暮らしは苦労しかなかった。私は長女なんだけど、両親は戦争で死んだから、16歳そこらで妹弟を3人抱えることになった。1番下の弟は3歳だか4歳だか。年の割には泣かなくておとなしくていい子だった。可哀想に、幼い心が壊れていたのかもしれない。今では普通のじじいだけど。

2018-11-14 20:45:05
1 ・・ 6 次へ