- JunNakagawaWork
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青春時代の不安・憤怒を言い表す ことば として「疾風怒濤」がありますが、もう死語になったのかしら。私が学生の頃は、「学生運動」が下火になってきた頃ですが、それでも大学は騒然としていて「ロックアウト」が日常茶飯事にあって講義は休講が多かった。
2019-07-08 21:06:50私は、いわゆる「ノンポリ」でしたが、「ノンポリ」の学生たちができることといったら、下宿で一人で書物を読むか、恋人がいれば恋人と同棲して恋愛をたのしんでいるか、いずれにしても学生たちの多くは、騒然とした学生生活のなかで「自分探し」をやっていた時代でした。
2019-07-08 21:07:10自分自身の力を証明する仕事も持っていない、書物だけで社会・人生を知った気になった、それでいて いかに生きればいいかを思いあぐねて、遠距離恋愛という不安定な恋愛中の貧乏青年(私)が、どのような心持ちでいたかは簡単に想像がつくでしょう──「疾風怒濤」の状態であり、確信など微塵もない。
2019-07-08 21:08:03「今時の青年は、云々」というような口はばったいことは言うまい。青年には未来があるというだけで幸せでしょう。そして、青年が未来を考えるとき、仕事の経験が少ないので怖いもの知らずで 少々 傲慢にもなるし、いっぽうで、若いゆえに未熟で やることが ぎこちなく拙いので不安にもなるでしょう。
2019-07-08 21:08:29しかし、魂のこもった青春は、そう易々と崩れはしない、と思う。自分の信じた道を歩き続ける気力を貫けばいい。なにごとにも聞き分けの良い優等生的な青年を私は嫌いです。
2019-07-08 21:08:48私は、思い出のなかに生きたくはない。老年になれば、今までの人生を振り返って自分史を綴る人たちもいるそうですが、私にはできない、、、。私は、そういう人たちを貶すつもりは毛頭ないのですが、恥を重ねてきた自らの足跡を記して どうなるのか?
2019-07-15 13:49:45当人に過去を美化するつもりがなくても、過去の行為には それを構成する、そしてそれに影響を与えた種々様々な変数(構成条件や環境条件)が多くて、現時点から振り返ってみれば、それら変数のほとんどは昇華されて、思い出の印象としての結晶作用が起こって、思い出を美化してしまう。
2019-07-15 13:50:19美化するつもりがなくても、「今の自分の眼から観た」再編成という結末に終わるのではないか? 過去の自分の行為は正確に再現できやしない。私のことで言えば、過去を「今の私」から観て、悔恨(あるいは、恥)しか感じない。
2019-07-15 13:50:37終焉(死)を迎えない限り、そこに至る途上は、現時点での自分の状態(喜怒哀楽の状態)によって、いかようにでも評することができる。終焉を迎えてはじめて すべてが照らされるのではないか?
2019-07-15 13:50:51