『文藝』秋季号メモ

『文藝』秋季号メモです
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長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(チョ・ナムジュ「家出」)71歳になる父親が家出をした。母は帰ってこない父親への心配が爆発し、2人の兄と「私」を呼び戻す。久しぶりに集まる家族の対話から浮かび上がる、韓国の「家」のあり方。そして、結婚して変わった2人の兄に驚く「私」。父の不在が見せる家族の本質。

2019-07-07 13:40:40
長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(西加奈子「韓国人の女の子」)ある日本人の女性と、在日朝鮮人の男性の話だ。二人は在日韓国人の友人を通じて出会った。物語では、当然ながら、在日朝鮮人と在日韓国人を区別している。日本人の女性と在日韓国人の男性は、暴力的な事件をきっかけに、恋人同士となった。

2019-07-12 22:12:25
長瀬海 @LongSea

しかし、日本人の女性と在日朝鮮人の男性は信頼こそし合ってはいるものの、決定的なことになると分かり合えない。在日朝鮮人であるから抱えてしまう怒り。女性だけにしかわからない怒り。物語はこの怒りが、火花を散らすように、ぶつかり合う音を鳴らす。そして二人はある打開策を見い出す。

2019-07-12 22:17:02
長瀬海 @LongSea

本作は今号の『文藝』の特集にふさわしい批評性を帯びている。「在日」というふた文字が歴史によって負わされたもの。女性が生まれながらにして抱えている困難。この二つを交錯させることで、わかってもらえないことに、どう立ち向かうかを描き出す。

2019-07-12 22:24:06
長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(イ・ラン「あなたの可能性を見せてください」)「私」はかつて父親に「パンツベラ」と名づけられるほどブラジャーを嫌悪し、また胸が性的な視線見られることに疑問をもっていた。男性の群れの一員となるべく彼らと性交渉をした。「私」は女性と称したくない。ではなんなのか。

2019-07-08 11:57:36
長瀬海 @LongSea

物語には「中性」という言葉が出てくる。しかしそれは使われ方によっては、周囲から、否定的に嘲笑される。しかし「私」は小さい時から「中性」として生きてみることを密かに決意していた。そのことは正しかったのか、否か。この作品はとても短い。けれど、すごく複雑。最後の一文をどう受け止めるか。

2019-07-08 12:04:57
長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(小山田浩子「卵男」)「私」はガイド役の「先生」に連れられて、韓国の生活市場を訪れる。そこには、これまで見たことがないような、韓国の素朴な光景があった。決して大げさでない、観光客への見世物でもない、韓国の人々が暮らしのために必要として作り上げた光景だ。

2019-07-16 01:40:02
長瀬海 @LongSea

そこをキョロキョロしていると、卵らしきものを積み重ねて運ぶ男性と遭遇した。これは一体ーー? 不思議に思って、「先生」に聞くも、「先生」も見たことがないらしく、なんのことだかわかりませんという仕草だった。翌年、「私」は再び韓国を訪れる。奇しくも、そこで、同じ卵男に出会う。

2019-07-16 01:43:46
長瀬海 @LongSea

それは、異文化のなかで「他者」であり続ける「私」だからこそ、奇妙に思える光景であり、文化のなかに溶け込んでいる現地の人には奇異に映らない、だから、聞いてもわからないのだ。物語は「他者」としての眼をもった「私」を主軸に置くことで、いわば文化の異化作用を描いている。

2019-07-16 01:52:01
長瀬海 @LongSea

ぼくも去年、韓国を訪れたとき、ガイドブックも持たず路地裏に迷い込んだためなんの店かわからないまま昼食をとった。言葉が通じないので、冷麺ならあるだろうと思いジェスチャーで注文した。次々と現地の人が入ってくるので人気のある店なのだろうが、出てきた冷麺はなんとも言えない簡素な味だった。

2019-07-16 01:56:01
長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(パク・ソルメ「水泳する人」)言葉のベルトコンベアーに乗って、目的地もわからず運ばれていくような体験をさせられる作品だ。一応、設定は、ホ・ウンという女性が冬眠に入り、その冬眠を「ガイド」する「私」の近未来(らしい)物語なのだが、その設定にこだわる必要はない。

2019-07-09 19:00:17
長瀬海 @LongSea

ホ・ウンの冬眠の「ガイド」をしていると思ったら、ANAの航空機のなかにいて、かと思ったら南浦洞のカフェにでコーヒーを飲んでいて、気づいたら「先生」なる人物に会いにいっている。では、ただの実験小説かというと、そうでもなく女性の妊娠について語り始める。

2019-07-09 19:06:00
長瀬海 @LongSea

日本の小説でいうと、木下古栗と村田沙耶香と高山羽根子をブレンドしたような味わいがある。多様な読み方ができそうな小説だ。

2019-07-09 19:07:32
長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(星野智幸「モミチョアヨ」)韓国に三ヶ月滞在することになった、星野炎が韓国の男女の関係性を見聞し、その文化に馴染んでいくさまが描かれている。完全な男尊女卑の社会だった韓国は、ここ数年でがらりと変わった。韓国のドラマに見られるように、男は女性にやたらとしかられる。

2019-07-19 11:57:35
長瀬海 @LongSea

もちろん、それは女尊男卑になったことを意味しない、小説もそのようには描かれていない。ただ、小説は、そのような社会で男性がいまだホモソーシャルな関係性を持ち、それがどれほど危ういものかを描いてみせる。具体的には、星野炎が参加したホームレスサッカーのチームに、それは現れている。

2019-07-19 12:01:07
長瀬海 @LongSea

遊び程度かと思って参加したそれは、実にハードなものだった。互いが互いの肉体を讃え合うもので、それはどうやら韓国の社会全体にいまだ健在しているようだ。そのことを短い期間に内面化してしまう星野炎。それを叱り飛ばす、パートナーの女性。韓国社会のイマを外から見た目でその実態が描かれる。

2019-07-19 12:05:46
長瀬海 @LongSea

まさにこの小説は皮肉を込めた「ヒョンニム、モミチョアヨ!」だ。個人的にはずっと浦和レッズのレプリカユニフォームを着ている星野炎が、それを脱ぎ捨てる場面に心を揺さぶられた。

2019-07-19 12:08:48
長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(高山羽根子「名前を忘れた人のこと」)小説は、名前も顔も思い出せないけど、何か「私」にとって重要なことを示唆してくれた「彼」をめぐるものだ。「彼」は顔のようなものを作るアーティストだった。それ以上のことは覚えていない。しかし、韓国へ旅行をしたときに、ふと、思う。

2019-07-19 15:49:49
長瀬海 @LongSea

もしかすると、「彼」は韓国籍だったかもしれない。というのも、民族博物館に並べられた仮面と、彼の作る作品がどこか似ているような気がしたからだ。規模の大きな、自分自身の力では抗えない運命と、きわめて個人的な思想をどうにかして擦り合わせて表現しようとしていたのではないか。

2019-07-19 15:49:50
長瀬海 @LongSea

「私」は、思う。なぜ、あのとき、深くそのことについて聞けなかったのか、それは(日本人)としての自分が加害者である可能性があったからだ。歴史の奥深くで、なんらかの形で、加害ー被害の関係性をもっていたのではないか、と考える。

2019-07-19 15:49:50
長瀬海 @LongSea

物語は、どうやっても抗えない運命を、どうやって私的なものとして捉え返すのか、そのことを主題としているように思う。記憶のなかで完全に忘却されずに残っている理由は、自己のなかでそのことがうまく処理できていないからだ。他国に対する加害者意識を、今、持つこと。その意味を作者は考えている。

2019-07-19 15:49:50
長瀬海 @LongSea

物語はそこから、神と地球人の戦いになるのだが、しかし、視点人物である「私」からすると、全てがコメディのように見えてしまう。世界にとっての全き他者、あるいは異物、あるいは親族、として表象される神は、地球を姦淫する。「私」はそれを見て笑い転げる。どこまでも図抜けて明るい新たな終末論。

2019-07-15 02:59:11
長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(パク・ミンギュ「デウス・エクス・マキナ」)究極的に楽観的な「私」が、世界を取り巻くカタストロフィを前に、踊り狂うような物語だ。ある日、神がこの地球に訪れる、世界はか急遽、あらゆる外交的な困難を乗り越えて、結びつき、「臨時世界単一政府」を結成する。

2019-07-15 02:52:41
長瀬海 @LongSea

『文藝』秋季号メモ(深緑野分「ゲンちゃんのこと」)この物語は、ジェンダー的な差異が現れはじめ、そのことにどうしようもない感情を抱く中学三年生の「私」と、一年前に転入してきて、割と荒くれ者として有名だったゲンちゃんの、極小の空間に生じた「違い」をめぐるものだ。

2019-07-21 18:33:55
長瀬海 @LongSea

「私」は喧嘩っ早い性格の持ち主だったがこの頃になると、男子に腕力で立ち向かうことができなくなった。そのことに失意を抱きつつ、学校生活を送る。ゲンちゃんとは文化祭の準備を通じて仲良くなる。彼の家庭に友人とともに招かれた時「私」は鈍感なことにそこにある「違い」の意味がわからなかった。

2019-07-21 18:38:29