横須賀鎮守府は、海辺の小さな街と国道を隔てたところにある。"横須賀"と言うのは呪術的見地から施設につけられた名前で、現地の地名とはなんの関わりもなかった。
2019-08-09 20:37:21鎮守府は打ち捨てられた潜水艦基地を再利用したもので、緩やかな弧を描く湾部に、壊すに壊せない潜水艦ブンカーが異様な存在感を放っていた。
2019-08-09 20:37:22首都圏近郊にあるにも関わらず陸の孤島のような土地で、あらゆる点で帝都と正反対だった。街には活気がなく、住宅のほとんどは吹けば飛びそうなあばら家だ。それ以外にあるのは、たぶん潜水艦基地があったときに建てられた浴場と旅館、それと併設した食事処の方が売り上げのいい小さな賭場くらいだ。
2019-08-09 20:37:22鎮守府も街と似たようなものだった。予算は要点を絞って活用されていて、基地施設の大半は打ち捨てられたときのままだった。視線避けと防犯のために外壁がぐるりと巡らされていて、ここの警備は往年のごとくしっかりしていた。壁の外には国道が通っていて、市街地とを隔てている。
2019-08-09 20:38:32始めて鎮守府の門を通ったとき、私は怪談の世界に迷い混んだかと思った。基地の外側に位置する建物はそのほとんどが使われておらず、廃墟が建ち並んでいた。時折活きてる建物が混じっていて、廃墟の中に最新のレーダーアンテナが生えているといった感じの、一種独特の世界を構築している。
2019-08-09 20:38:34探険しがいのある世界だったが、人気のなさは逢瀬にも最適だったようで、時折その声が聞こえた。当時から海軍士官と艦娘の恋愛はありふれていた。食堂や体育館、衛生科などの使っている建物は、ペンキを塗り直して新しく見せていた。庁舎は潜水艦隊のものを流用していて、講堂もこの中にあった。
2019-08-09 20:38:35唯一新しいのがブンカーの中身で、ここは"ボックス"と呼ばれる艤装係留装置を据え付ける為に、大規模な改装が施されていた。ブンカーは6つのブロックに別れている。うち4つが係留用、残りが建造と整備用に割り当てられていた。
2019-08-09 20:39:19これは潜水艦隊時代の名残で、施設の性質を考えると全てを建造・整備ブロックにするのが望ましかった。だがそれにはブロックを乾ドックにする工事が必要で、莫大な予算と工数がかかる。結局もとから乾ドックとして作られていた2つのブロックを流用することで、満足する他になかった。
2019-08-09 20:39:19係留用ブロックには一個戦隊分、6基のボックスが据え付けられた。それが4ブロックあるので、四個戦隊24隻が同時に係留できる。係留用とは言え簡単な整備は出来るので、訓練に対応するにはそれで十分事足りた。
2019-08-09 20:39:51建造用ブロックと整備用ブロックは更に大掛かりな作業をするので、作業空間確保のためにボックスの数を減らし、各4基のボックスが据え付けられた。
2019-08-09 20:41:03整備用ブロックは中、大破に対応する重整備を想定していて、こちらは当面、事故時の修理や、大掛かりな調整作業の為に使われることになっていた。
2019-08-09 20:41:03建造用ブロックは新規の艤装建造の為のブロックで、部品加工や迅速な組み付けの為に機材の配置や動線にかなりの工夫がなされていた。
2019-08-09 20:41:46ここに建造や整備の為の資材庫も増設され、ブンカーは基礎こそ流用したものの新築同然になっていた。これらの施設が動き出せば、艦娘を次々建造し、動かすことができただろう。
2019-08-09 20:41:47だが肝心の、全てを始めるための建造資材がなかった。倉庫は空っぽ同然で、第一ブロックがなんとか1期生の整備をしている程度だった。
2019-08-09 20:41:47この頃海軍は艦娘候補生の数を増やしていたが、肝心の艤装は存在しなかった。私たち軍人からの志願者にとって、これは空手形と大差なかった。物がないのだ。明日全ての計画が白紙になって、静かに退役させられても不思議ではなかった。
2019-08-09 20:42:11同期の軍人組は3名。〈室長〉が話す間、私たちはやや後方から他人事のような態度で〈大井〉を眺めていた。艦娘への道すら反故にされるのではないかという不安と、艦娘という得体の知れないシステムへの無意識の自己防衛が、私たちに距離を取らせていた。
2019-08-09 20:42:26〈足柄〉が隣に立っていた。彼女は軍人組で、女性隊員の世界は狭いから顔は知っていたが、付き合いはなかった。彼女は私が電子戦機材をいじっている間、総監部に勤めていた。
2019-08-09 20:43:06身長は〈足柄〉の方がいくらか高い。起伏に富み、程よく引き締まった身体は同姓の私にも魅力的に見えた。目には意思の炎が宿っている。野心とは微妙に違う、戦いを望む瞳だ。
2019-08-09 20:43:07私たちにとって、志願したかは重要だった。望んで来たと、押し付けられたのではないと、無能ではないと示したかった。 「ええ、非戦闘部隊への配属を避けたかったの」 私は答えた。 「〈足柄〉は?」 「同じよ。ここに来れば戦えると思ったの」
2019-08-09 20:44:56ニュアンスの違いを感じたが、ともあれ彼女の意見には共感できた。私は艦と海に魅せられて、彼女は戦いそのものに。理由は違うが、目指すところは同じ。そして志願者だ。 「よろしくね」 「こちらこそ」 私たちは握手し、抱擁しあった。
2019-08-09 20:45:15もうひとり軍人組に〈山城〉という女性がいたが、彼女は左遷組だった。だが彼女は決して無能ではなかった。それどころか3期生の中でも、特に優れた素養を持った艦娘のひとりだった。
2019-08-09 20:45:34〈山城〉は海軍省の高官との不倫疑惑によって艦娘課程へ飛ばされてきた。だがこれは疑惑どまりで、どころか入校時には無実が証明されていた。後に〈中尉〉に聞いたところによると、彼女に問題はなく、たまたま配置のせいでパワーゲームに巻き込まれたらしい。
2019-08-09 20:46:04不幸な女だった。愛し合った恋人がいたが、作られた証拠は二人の信頼を破壊するのに十分な威力があった。彼女は無実を証明する前に不貞を疑われ、関係を解消されていた。
2019-08-09 20:46:04彼女は3期生で唯一の戦艦娘だった。なにも始まる前から、最強の艦娘になることが決まっていた。…たぶんそれは〈足柄〉なら、喜んだに違いない立場だった。
2019-08-09 20:46:22