- simasyodes
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そろそろいつかとは思っていた。
嘉風引退 右膝回復せず…年寄「中村」襲名 真っ向勝負貫いた土俵人生に幕 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190912-… 遂にこの日が来たか、とりあえずお疲れ様でした。特に交流はないが、私も同じ舞台にいた同世代の引退は残念である。(続)
2019-09-12 19:15:47あなたの相撲は取り口はけして「うまい」とか身体が「デカイ」とかではなかった。ただ、ひたすら「愚直」に「真っ直ぐ」だった。だからケガも多かった。私らの世代(S55~S58)は「豊作」だった。プロ入りして関取なっただけでも普天王、豊真将、嗟牙司、里山、琴奨菊と枚挙に遑がない(続)
2019-09-12 19:26:12また、アマチュア相撲界では「モンゴル元年(99年ぐらいから、モンゴルより来日、日本の高大経由で角界入りするのが定着する)」であり、後の朝青龍、朝赤龍、亡くなった時天空が台頭、まさに「戦国時代」の模様を呈してきた。(続)
2019-09-12 19:36:54全国大会があれば、「常勝」の存在はなく毎回チャンピオンが変わり各員が死闘を繰り広げていた。嘉風もその真っ只中におり、普通に強かったが周りが「異常に強かった」ので少し「埋没」気味であった。(続)
2019-09-12 19:44:29どのような気持ちだったかはわからないが、少なくとも相撲の取り口から「かなり努力(小賢しい内容ではなかったから)」したのだけはわかる。大学から「芽が出た」02年遂にアマチュア横綱になり、角界へ(続)
2019-09-12 19:52:01そして今まで「あの世代」でほぼ最後まで現役に残った力士は(しかも関取の地位は長く守って)、結局は若き日に「埋没」してた嘉風だった。「努力」を少し斜めに構え「才能」が頭をもたげる風潮はある。(続)
2019-09-12 19:58:02しかし人間「腐らずコツコツやる」のもけして無駄とは一概に言えないのを、嘉風が示してくれたんじゃないかと思ってる。ありがとう嘉風、そしていい弟子を育ててください。本当に今日までお疲れ様でした。(了) あなたと同じ空間にいた一人として
2019-09-12 20:00:57