鉄筋4階建てのビル。25mを超える津波でぶっ倒れて「大津波の時には鉄筋造りのビルに避難しろ」という常識を覆した http://yfrog.com/gzdr83j
2011-06-01 19:28:35あまりウロウロとしていても仕方がないので、「女川さいがいFM」のある、女川第二小学校を目指す。途中にあった、スーパーおんまえや。現在は移動販売しているが、店舗3階にはまだ車が乗ってた http://yfrog.com/h36qyaj
2011-06-01 19:33:30唯一残っていた大きな漁船。GoogleMAPでは石巻線の車両も転がっているが、もう撤去されていた http://t.co/x7yODNt
2011-06-01 19:36:57女川二小に到着。車を止めて黒井さんと合流。水場などを案内してもらいつつ、さいがいFMの腕章を発行していただき、FMボランティアへの炊き出し(というか料理)の準備を進める。このやりとりの中で、被災者、行政、ボランティアの間に、微妙な齟齬、というか咬み合わない部分があることを感じた
2011-06-01 19:44:47例えば、女川町へ知人の支援に行くとする。知人は避難所で生活をしているとすると、支援に行った人はボランティアセンターを通さないと寝る場所が無い。通しても、飛び込みでは寝る場所も無いだろう。テントも避難所近辺では建てられない。個人レベルでの支援が行えないのが現状だと思った
2011-06-01 19:48:32そんなこんなで、炊き出しの準備も終わり、ラジオの放送も終わった所で食事会。ここでは被災者の赤裸々な話を聞けて、女川町まで来て本当に良かったと痛感。津波で家を流された自慢や、あの時、どうやって避難をしたのか、流される前の家の写真をGoogleのストリートビューで確認しながら食事する
2011-06-01 19:57:02ストリートビューには津波で流される前の街の様子が残っており、これは保存すべきという話が出たので、Googleの方には是非検討していただきたく思います。
2011-06-01 20:01:11話の中で特に印象的だったのが、皆さん総じて明るいという事。同席していた高政の若旦那からは、何としても女川を復興させるという気合が伝わってきて、こっちが引いてしまうほど。若い人は熱意があるが、女川町は人口の半分が年金暮らしの為、避難所でもお金が入ってくる老人が多く、(続く
2011-06-01 20:05:50復興に目が行きにくい、という問題点も考えさせられた。行政、被災者が一体となり、復興を目指すべきなのに、行政が住人とぜんぜん違う方向を向いているという大きな問題も解決していかなければ駄目だろう
2011-06-01 20:09:07で、当の本題であった「メイド炊き出し」的なことは出来るのか?という点は出来ると思います。避難所という非日常が日常になってしまっている今、そこに非日常を持ち込む事は、良い気分転換になるのでは?というご意見を頂いたので嬉しかったです
2011-06-01 20:11:32ただし、時期や方法は要件等課題であり、行政を絡めた炊き出しよりも、商工会などと足並みを合わせて、雇用も含めて地域経済を回す方向が今後につながるのではないかと。そろそろ長くなったので、この辺にしておきます
2011-06-01 20:13:11個人的な結論としては、被災地に行く、行かないは別として、一人ひとりが被災地に出来ることをしていくのが重要だと思います。1円の募金でも、行うことが重要です。まだまだ復興には時間がかかるので、無理せずに長期的に支援出来れば最高でしょう
2011-06-01 20:15:14ちょっと補足。津波の話などは引いたというよりも、びっくりしたという表現が適切ですね。笑いながら「家流されちゃいましたー」というのは、被災地に行くと皆受ける洗礼らしいです。もちろんそういう気持ちの切り替えが出来ていない方も沢山いらっしゃいますが
2011-06-01 20:40:39