べつにどんどんこういうのが世の中に出ていけばいいと思うけど、「インタフェース」「インタラクション」それ自体をコンテンツ化するのは危険だと思う。そしてそれがハードをつくらないとできないような発想になってしまったらもっと危険。
2011-06-08 02:32:10べつに人は新しいインタフェースや新しいインタラクションの体験をしたいわけじゃなくて、慣れたインタフェースや慣れたインタラクションで新しい体験をしたかったりもするでしょう。
2011-06-08 02:36:48たしかに「体験」を変える簡単な方法はインタフェースを変えることではあるから、特にゲームにおいてはインタフェースの重要性は変わらないと思うんだけど、ハードウェアレベルで作法を変えちゃったり、複数持たなきゃいけないかいけないとかは、そのユーザになることがつらくなる
2011-06-08 02:46:03「そのユーザへのなりやすさ」みたいなのが今の時代重要だと個人的には思っている。これまで「使いやすさ」って言ってきたのは「使っている最中の使いやすさ」であることが多い。だから「時間の使いやすさ」とか一つの要素として主張してるわけです。
2011-06-08 02:55:01@drinami なんていうかWiiとかKinectとかのほうがファミコンのコントローラーより身体性があるとか思う人多いんでしょうけど、現状のセンサでは体の動かしと画面内の動きの関係が一致しないことが多くなっているように見えて、スポーツに近いようにみえるようで全然違う気がします。
2011-06-08 02:59:21Wiiみたいなコントローラーは身体性云々より、社会的な場の形成という視点のほうが面白い。つまり、他人の動作がヴィジブルで、動きも違う、それをみることで楽しめる。そこに発生するコミュニケーション。それがWiiの楽しさ。
2011-06-08 03:07:32ユーザになる以前のユーザを僕は「プレ・ユーザ」と呼んでいて、そういうプレユーザーインタフェースみたいなのは大好きな領域。それはもちろん、所有以前、所有後の両方にあるけど、買ってからもたとえば常時ONのシステムはプレユーザビリティが高い、そういう感覚。だから眺めるとか言ったりしてた
2011-06-08 03:12:506月30日のトークでプレユーザーについてはは話そうかと思う。http://www.hcdnet.org/event/hcd-net-salon/7_hcd-net_hcd.php
2011-06-08 03:14:19べつに道具などは常時使っているわけじゃない。だから買うとそのシステムは家のどこからに置かれる。むしろその時間のほうが使っているときよりよっぽど長い。だからその置かれ方が重要で、そのときのシステムの立ち振る舞いがプレユーザインタフェース。
2011-06-08 03:17:06任天堂はWiiを発表したとき、リモコンの形にしたのはプレユーザを意識したから。リビングで片付けられない、いやがらない形を探した。
2011-06-08 03:25:07Wiiは更新情報があると筐体のドライブ入り口を光らせてお知らせ、などそれもプレユーザからユーザの流れをちゃんと設計しようとして好感がもてた。
2011-06-08 03:26:52そんなプレユーザを意識したシステムの設計は持続しなければならない。持続としての振る舞いが重要になる。だから「ものづくり」じゃない。情報の持続をつくる。それが振る舞う。行為を許容し、プレユーザからユーザになる。ものと考えない、情報の持続。
2011-06-08 03:32:35だから僕のWebドメインはpersistent.orgなんですよ。2003年にこれぞ、目指すべき世界と思って以来。
2011-06-08 03:33:51授業ではGoFAIならぬGoFUI(good Old Fashioned user interface)として人間・界面・コンピュータ という図をやや批判的に説明してます。
2011-06-08 03:40:14なるほど、この図式の批判感覚は賛成です。“@rkmt: 授業ではGoFAIならぬGoFUI(good Old Fashioned user interface)として人間・界面・コンピュータ という図をやや批判的に説明してます。”
2011-06-08 03:48:28WISSをつくるときにもインタフェースではなくinteraction (Interactive systems)にしようという話だったのです。
2011-06-08 03:49:13梅棹忠夫が30年以上前に議論しているように、自然・人間・装置の系(システム)として考えるべき。interfaceは2者の界面なのでsystem的発想に乏しい。
2011-06-08 03:51:30ただ、僕の場合はじゃあ、それで何なのかは→人間はそもそも環境内の存在だから、対話とかそんなことじゃなくて、呼吸レベルで環境と常時インタラクトしていて、キャッチボールのようなインタラクションモデルじゃなくて、たとえるなら綱引きといったほうがよくて、やりとりじゃなくて相即している存在
2011-06-08 03:52:26僕は完全にGibsonから派生してインタラクションについて考えていることがわかる、ささやかなつぶやきでした。
2011-06-08 03:57:41あとは深澤直人さんとかの影響も多大。この文章インタフェースという言葉を批判しているけど、デザイン=インタフェースと言っているw http://www.ntticc.or.jp/Archive/2001/NewSchool/design_j.html
2011-06-08 03:59:02ただこれは自分の研究対象が遷移しているだけなので、人間工学やユーザビリティを軽んじているわけでは決して無いのです。念のため。
2011-06-08 04:01:03(注:ここでの「装置」は機械だけでなく広義の人工物を意味し技術から社会制度も含みます)RT @rkmt: 梅棹忠夫が30年以上前に議論しているように、自然・人間・装置の系(システム)として考えるべき。interfaceは2者の界面なのでsystem的発想に乏しい。
2011-06-08 06:53:53