マーメイド・フロム・ブラックウォーター #2
「重点……治安が守りたい」フィンフィンフィン、うるさい飛行音を撒き散らしながら、マッポのマグロツェッペリンが灰色の空を横切って行く。カキオははるか上空のそれを一瞥し、汚濁した川のほとりをヨタヨタと歩く。
2011-06-12 13:21:22パトロールといっても、よほどの事が起こらない限り、マグロツェッペリンが地上のトラブルに介入する事はない。カキオが住むジャンクヤードはなおさらの事。白昼の強盗が行われていようと、上空のマグロツェッペリンは知らぬ存ぜぬといったところなのだ。所詮それは形ばかりのパフォーマンスである。
2011-06-12 13:27:21やがてカキオの目の前に廃棄基板の山と、錆まみれのプレハブ小屋が現れる。川のほとりでは小屋の主がドラム缶に火を起こし、昼食の準備をしているところだった。「ドーモ、カキオさん」主はバイオコンビーフの鍋から顔をあげた。「ド、ドーモ。ダイジョブ?」「へへへ、大丈夫だぜ、よかったな」
2011-06-12 13:49:59主は折りたたみ椅子から立ち上がると、プレハブ小屋の中から小さな紙袋を取ってきた。「タイミングよかったよカキオ=サン。マッポのロボのスクラップなんて、めったに払い下げられないんだから。へへへ」「ア、アリガト……」カキオは素子と引き換えにその小さな袋を受け取った。
2011-06-12 14:03:42汚染された川はタマゴめいた臭気を泡立てる。時折その水面をバイオトビウオがジャンプしながら遡って行く。淡水、それも汚染された水に適応したトビウオだ。カキオはしっかり袋を掴み、家路を急いだ。途中、川のほとりの砂利に座り込む人々と何度もすれ違う。彼らは橋の下やダンボールで寝泊りする。
2011-06-12 14:16:33カキオには家がある。バイク鍛冶屋という生業が彼を助けている。義に厚い兄と、彼自身の非凡な電子関係取り扱いのセンスが、ともすれば現実に適合できず容易にドロップアウト・コースに乗ってしまう彼の身を助けている。彼自身の意識はそこまで物事を考えたり、思い悩んだりするようには出来ていない。
2011-06-12 14:35:37家路についたカキオは素早く自室に走り込み、後ろ手にカギをかける。彼を待つのは目を閉じて「眠り」続けるオイランドロイドだ。すでに損傷していた左半身は修復を済ませた。もとの皮膚と色の違うカーボンだが、カキオは問題を感じなかった。綺麗だ。
2011-06-12 15:07:16買ってきたIC基板をコメカミ付近のしかるべき部分に挿し込み、UNIXパソコンとケーブル接続。小型モニターが映し出す文字列。カキオは熱狂的な目線をオイランドロイドの「寝顔」に注ぎながら、ノー・ルックでキーボードを高速タイピングする。タツジン!
2011-06-12 15:22:08「電子キーをお願いございます」ややおかしな合成音声が自作UNIXパソコンから発せられる。ここからが肝心なところだ。カキオは緊張で震える手で512倍速フロッピーディスクを手に取り、スロット・インする。このディスクには無断でコピーした電子キーが入っている……アイアンオトメのものが。
2011-06-12 15:37:24無断で複製した電子キーではあるが、元のデータをおかしくしたわけでもないし、バイクとオイランドロイドでは用途もまるで違う、だから客に迷惑がかかる事も無い。だから大丈夫、ダイジョブなのだ。「き、きた?きた……?」カキオはモニターに表示された待ち時間ゲージを注視する……。
2011-06-12 15:48:13「お疲れさまございます」UNIXが告げ、イヨォー、という通知音が鳴った。ブルルッ!部屋の隅に座るオイランドロイドがにわかに痙攣した。「アイエッ!?」カキオの心臓は早鐘のように鳴った。成し遂げたのか?オイランドロイドの瞼が震え、唇がすぼまる。そして呟いた。「ハローワールド……」
2011-06-12 16:13:21「カ……カワイイヤッター……!」カキオは小さく呟いた。感情のこもらぬ声であるが、カキオの見開かれた目は血走り、歓喜に震えている。「ドーモ……カキオです、き、き君は、エト……エット……」「ドーモ、エトコです、カキオ=サン」オイランドロイドは笑顔を作った。
2011-06-12 16:20:17「ちち、ちがう、エトは……エット……」「ドーモ、エトコです。名前は最初に認識した後は変えられないです」オイランドロイドは意外にもはっきりとした声で告げた。「アイエエエ!」「カキオ=サン、ありがとうございます。これからよろしくお願いします」「こ……これから!」カキオは涙を流した。
2011-06-12 16:24:35キューンという稼働音を発し、オイランドロイドは狭い室内で立ち上がった。肘先が積み上げられたカセットテープ類に引っかかり、雪崩を起こす。「カキオ=サン、ドーゾ。激しく前後するドスエ?」エトコはカキオに手を伸ばそうとした。「しし、しない!しない!」カキオは後ずさった。「コワイ!」
2011-06-12 16:35:02カキオはエトコの意味不明な言葉が含む性的なニュアンスに仰天した。川に流されてきたオイランドロイドの残骸を復元する彼を突き動かしたのは、不思議な啓示めいた衝動であった。それは壁に貼ったたくさんのハニワ型ロケットにも似た憧れだった。彼はその後の事まで考えなかったのだ。
2011-06-12 16:49:58カキオのいびつで幼児じみた精神は、このオイランドロイドを実際扱いかねていた。カキオは思案した。「エ……エート、服だ……」「服ですね」エトコが繰り返した。「ウウ……ウウアア……」カキオはぎこちなくドアを開け、ガレージに出た。そして壁にかかった耐汚染ツナギを手に取った。
2011-06-12 18:32:38カキオは振り返り「アイエーエエエエ!」悲鳴をあげる。エトコは彼の後ろをそのままついてきていたのだ。部屋から出してしまった!「着、きて早く着て……」「これを着るんですね」エトコはツナギを受け取って素早く着た。「そう、ダイジョブ、そう……」カキオはガレージと外とへ忙しく目をやった。
2011-06-12 18:39:29もうすぐ兄がイオン銭湯から帰ってくる時間だ。あの足の踏み場のない部屋に、このオイランドロイドを閉じ込めておくわけにもいかない。どうする?「い、行こう、行こう」カキオは咄嗟に言い、ガレージを出た。「はい行きます」エトコは屈託なく返事をして彼について来る。どこかへ行こう。どこかへ。
2011-06-12 18:43:27オカンノン通りは24時間常に酔客や接待サラリマン、オイラン等でごった返す繁華街であったが、今この時ばかりは押し殺した沈黙が支配し、呑気に行き来する者も無い。「御観音」のアーチ状ネオン、「実際安い」「カメダ」「ヤンナルネ」といった看板の輝きだけが普段と変わらない眩しさだ。
2011-06-12 19:37:45住人は店舗のシャッターをしっかり閉め、ブラインドを下ろした窓から息を潜めて通りの様子を伺う。これから恐ろしい事が始まるのは間違いが無いからだ。
2011-06-12 19:39:31「御観音」アーチを挟み、通りの内外で二つのヤクザクランが対峙していた。アーチの内側に立つ列は「ヤバレカバレクラン」の旗をタケダ・シンゲンめいて掲げている。一方、外側から彼らを睨むの者らの旗は「シルバーナガレボシクラン」。
2011-06-12 19:46:07風体はどちらも似たようなものだ。それぞれ、数人のグレーターヤクザは背中にクラン守護神の刺繍の入った白いラメ・スーツを着、彼らを守るように立つレッサーヤクザ達は危険なスパイク・ブルゾンやPVCトラックスーツを着ている。手に手に持つのはハンマーや電磁ジュッテ、ドス等だ。コワイ!
2011-06-12 20:00:44「ザッケンナコラー!」シルバーナガレボシクランのレッサーヤクザが威嚇の叫び声を上げる。「スッゾオラー!」「ナンオラー!」「チェラッコラー!」ヤバレカバレクランのレッサーヤクザも負けずに叫び返す。ナムアミダブツ!まさに一触即発のエマージェント緊張!
2011-06-12 20:13:27