#kodomomitai(4)

#kodomomitai なのでした。
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yanoz @yanoz

#kodomomitai で続けるんだけど、件の『BT No.873』も読んでみて、やっぱ「「コドモ身体」ということ」 http://is.gd/aZ0RK を精読すべきだね。「子供オツム」「マチョ(の幼児性)」という言葉の位置を繊細に分節すべきだと思った。それは宿題にする。

2010-04-04 12:39:12
yanoz @yanoz

#kodomomitai 「「コドモ身体」ということ」(以下「コドモと」と略称)では「子供はまっすぐに歩かない・・・・」といってコドモの性格付けがなされていて、ここに全てが根拠付けられているんだけど、子供ってもっといろんなことするよねJK。まっすぐ歩かないって表象になぜこだわる?

2010-04-04 12:47:00
yanoz @yanoz

#kodomomitai 「言うまでもなく、子どもたちというのは例外なくスキゾ・キッズだ。すぐに気が散る、よそ見をする、より道をする」(『N想』p.70)これは佐々木敦が引用してる浅田彰『逃走論』の一節だけど、桜井圭介の「コドモと」は、この変奏になってるんじゃない?

2010-04-04 12:51:00
yanoz @yanoz

ちなみに浅田彰が80年代日本の消費社会をどう総括したかについては、『ニッポンの思想』(p.95)を参照。 #kodomomitai スキゾキッズ的にやたら子どもっぽさを持ち上げた風潮への反動が「大人計画」って劇団名の由来と聞いた。

2010-04-18 19:08:47
yanoz @yanoz

「明るいオブセッション」http://is.gd/by0KQ これ、コドモ身体論にダイレクトにつながりますね。「ちゃんと明るく「せっぱ詰まっている」」→「ダメさを加速していかなくちゃならない段階」http://is.gd/by0Pk #kodomomitai

2010-04-18 20:25:32
yanoz @yanoz

作家性をどのように評価し、肯定するのか、という問題なんだけど、結局、「大文字の主体ではない」と言いながらも、批評家桜井圭介は、オブセッションとか切羽詰るとか、近代的な作家概念の装置を使って、作家の固有性を肯定しているのだと思う。 #kodomomitai

2010-04-18 20:33:18
yanoz @yanoz

コドモ身体/ダメ身体論がぴったりあてはまるのは、ボクデス(小浜正寛)だけで、あとはあれこれ理屈をつけてあてはめようとしてるだけじゃないのかって思うんですけどね。ていうか、ひとつのシーンのようにでっちあげようとして失敗しただけっていうかね。 #kodomomitai

2010-04-18 20:43:00
yanoz @yanoz

あのへんの評論で桜井圭介が何を肯定したかったのかって、わかりにくい。そこをちゃんとすくうには、ニューアカ系ジャーゴンで煙に巻いてる話と独特な図式とのずれ具合ってのをもっと繊細に分節しながら高度に文脈拘束的な文章を慎重に解釈しなくちゃいけないんだろう。 #kodomomitai

2010-04-18 21:00:12
yanoz @yanoz

そこを乱暴に言ってしまうと、舞台作家の評価というものが、状況についてのイメージと、舞台上の身体イメージとを短絡する仕方で語られていて、その短絡に、芸術の理念や時代分析の仕方における、十分分節されていないあれこれが見出せるのだろうと思う。 #kodomomitai

2010-04-18 21:07:38
yanoz @yanoz

たとえば「ボクデスのパフォーマンスの「目も当てられないほどのダメさ」のポイントは、ネタ(コンセプト)のしょーもなさじゃなくて、もはやそういうしょーもないネタをやるしかない状態に置かれた「身体」の所在なさのほうにある」http://is.gd/by0Pk #kodomomitai

2010-04-18 21:13:50
yanoz @yanoz

「この意味なく「困り果てる」身体、何か意見を言わなきゃいけないのに言うべきことがないから「あー、エー、」とかシドロモドロになって仕方なくダジャレを発する身体は、9.11以降のこの場所の新状況と関係してるんじゃないかな」http://is.gd/by0Pk #kodomomitai

2010-04-18 21:34:35
yanoz @yanoz

小浜正寛もただ所在ないだけでは舞台には立てないでしょ。舞台に立つまでは、劇場を押さえたりとか、観客が席に着くのを待ったりするでしょ。わざわざ舞台の上で所在なくできるとしたら、そこには、何かの作為が必ずあるでしょ。それをすっとばして論じちゃうのが桜井圭介。 #kodomomitai

2010-04-18 21:25:20
yanoz @yanoz

「この場所」って桜井圭介のキーワードですね。正確にどの場所のことか存じ上げませんが、それは、かくも希薄なリアルのフラットな東京という桜井圭介ワンダーランドなんじゃないでしょうかね。どうも、私が知っている東京や私が知っている日本とはずれてるみたいなんで。 #kodomomitai

2010-04-18 21:45:09
yanoz @yanoz

なんで、半ば単純化された紋切り型で出来ている桜井圭介的状況論の中で語られるダンサーとか作家たちの物語っていうのは、実際の状況の中での作家たちのモチベーションの置き場所だとか、それぞれが行使している技術だとかを正確に語っていないことが多いだろうと思う。 #kodomomitai

2010-04-18 21:55:57
yanoz @yanoz

コドモ身体とか、大雑把な図式でいろんな作家をくくっても、不正確にならざるをえないわけで、もっと微細な文脈を解きほぐして語るべきだろうし。桜井圭介のダンス批評が限られた説得力しか持たなかった理由は、そのあたりにあるだろうというのが私の解釈というわけです。 #kodomomitai

2010-04-18 22:04:46
yanoz @yanoz

#kodomomitai をきっかけに考えたことは、機会があれば別に記事にしようかと思いますが(ていうか注釈するなら長文必要だったし)、子どもをモデルにすることについていくつか考えたことを書いて、このシリーズのつぶやきを中断しよう。

2010-04-18 22:12:24
yanoz @yanoz

子どもが既存の秩序に収まりきらないところを、いろいろな秩序に出会おうとしている状況として捉えなおすこともできる。そういう角度から、作家それぞれの営為に見出せる新鮮さを、さまざまな出会いの形として、考えてみることもできる。 #kodomomitai

2010-04-18 22:43:34
yanoz @yanoz

子どもは、技術の習得に夢中になることだってある。駅の名前を暗記するのに夢中になったりもする。体系的な技術から外れること、意図的なコントロールの不全さを子どもっぽさになぞらえなくても良い。 #kodomomitai

2010-04-18 22:23:44
yanoz @yanoz

子どもや遊びを生成や変容のモデルとして考えるなら、特定の基準との対抗図式で考えるよりももっと自由な見方ができるはずじゃないかと思う。そういう仕方で、コドモ身体論を読み替えたり、その積極性を考え直すことはできるのかもしれないけどね。 #kodomomitai

2010-04-18 22:56:55
yanoz @yanoz

なんて終わるときれいすぎるので、『日本辺境論』はコドモ身体論の理屈のありかたにぴったり当てはまるよね、と思ったってメモ書きしておいて中断する #kodomomitai

2010-04-18 23:03:41