- soysource651
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というか、物語音楽"である/でない"と宣言するのに無理があるというか、凡そ全ての音楽は聞く人によって物語性を見出してしまえるので、ある特定の物語を想起させるように誘導できる音楽、というのが適切なのではないかという気がしています。
2020-06-10 20:03:04でも、それには多分ですけれども、何らかのイメージ、特に言葉の助けが必要なのではないかと思います。というのは、そうでなければ物語性の見出し方、解釈は人それぞれ異なってしまうし、全く違うイメージが読みだされてしまうこともありうるからです。
2020-06-10 20:04:21例えばバッハのインベンション第一番は高音を走っていく男の子、低音をそれを見守る父親とイメージすると だんだん仲睦まじい親子の交流が描かれているような気がしてきますし、 踊り場がいくつもあるライトブルーの階段をえっちらおっちら登る太りがちな小男の曲なのかもしれません。
2020-06-10 20:06:03「空飛ぶ巫女の不思議な毎日」は私には、盛り上がっていくところが空を飛ぶ巫女のイメージ(日中)で、落ち着いたところが地に足をつけて佇む巫女のイメージ(日没)で、トランペットが強いフレーズは妖怪との遭遇で、つまりこれは巫女の一日で、それが繰り返されるから「毎日」なのです(幻覚です)
2020-06-10 20:09:45仮にこの曲を蓬莱人形、あるいは東方Projectの一切を知らない人に聞かせたとしたら、 その共通イメージを引き出すことは難しいと思いますし、 これは落石を表現している曲だとか言いだすかもしれず、工場でジュースが作られるまでの一連の流れを示した曲だとか言いだすかもしれないわけです。
2020-06-10 20:12:51その中で「物語音楽」を名乗るためには、特定の音楽に特定の解釈の道筋を用意し特定の物語を理解させる総合的な試みが行われるべきなのでは、と思います。 そしてそれは音楽のみでなしうることではなく、テキストや視覚イメージ、コンテクストの助けを借りる必要があるのでは、と考えられます。
2020-06-10 20:18:12つまるところ、物語と音楽というのは、その解釈は聞くものの文化的背景に左右されるのであって、逆に言えば、ある種の文化的背景を持つものにとって、物語性を持たない音楽などないのではない、つまり、物語は凡そどんな音楽にも見出し得、だとすれば凡そ全ての音楽が物語音楽であるとも考えられます。
2020-06-10 20:16:38しかし少なくとも東方を知っている人の間でこの曲がそう解釈されないのは(空飛ぶ巫女の不思議な毎日は落石の曲になりますか?)テキストや設定、キャライメージなどの共有されているコンテクストが楽曲の表現する物語の根底のイメージをもたせ、特定の解釈の流れを用意しているからと考えられます。
2020-06-10 20:15:16