宮城、福島、気仙沼の日本酒3蔵元が語る~大震災、津波、風評被害……発生時といまの現地状況、そして未来に日本酒を残すための挑戦
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2011-07-21 14:07:32気仙沼市の被害状況をスライドで説明されてます。水揚げ量第七位を誇る気仙沼市。鰹の水揚げは日本一位、フカヒレも一位で日本の七割、世界の半分の生産量。産業施設がほとんどやられた
2011-07-21 14:12:10有形文化財に指定されていた本社ビルも津波で流れてきた船にやられた。国の役人にこのまま残せと言われたが、かかる費用はどうするのか聞いたらそちらで持てと言われた。現在、財団などと組んで検討中
2011-07-21 14:15:49酒瓶やラベルも流された。売上の八割が地元だった。そのうちの八割が小売店やホテルだったが、みな被災してしまった。売り先が無くなった
2011-07-21 14:17:563.11当日、高台にある酒蔵に逃げた。社員も皆無事、車で過ごした。翌日、仕込み中の酒やタンクの酒を確認したら全部無事。もろみも残っていたのですぐに仕事にとりかかった。2週間あればインフラが復活すると思っていたが待てど暮らせど復活しない
2011-07-21 14:22:393月20日頃、発電機を借りることができた。これで酒を搾っていいか葛藤。しかし発電機借入れに関わってくれた人すべてが、気仙沼のために搾ってくれと言ってくれた
2011-07-21 14:25:24とにかくゼロベースで行こうと考えた。千変万化する状況に対応する意味で朝令暮改。情報は常に張りだし社員で共有。社員1人1人仕事の有無や状況が違うので、日給制にした。解雇はしなかった。社員18人中6人が家屋全壊、4人が親類を亡くした。
2011-07-21 14:32:15地震で蔵の地面にヒビが入った。停電は4日間だったので、もろみは大丈夫だったが麹は駄目だった。二本松市で一番の老舗旅館は温泉に多大な被害を受け、廃業してしまった。観光業は今なんの打つ手もない
2011-07-21 14:40:58福島の中通りの梅が出荷規制になり、梅酒仕込みは断念した。これからは麦の収穫。うちで作る焼酎は福島の農家の麦を使うので、どうしようかという問題がある。線量が基準値以下でも…
2011-07-21 14:55:38売りに出ていた空き工場を土地ごと購入した。今設備投資するのはとても不安だった。しかしだましだまし投資していくよりはいい。機密性がとても高い工場だったのでここなら安全なお酒を作れると思った
2011-07-21 15:00:09酒蔵間の優劣は天変地異や制度の変化がなければ差が出ない。ピンチはチャンスととらえて腹をくくってやることにした。五年後、私は生きているかわからないが覚悟を決めてやっていく
2011-07-21 15:02:46一ノ蔵は昭和48年に小さな蔵が4つ集まって企業合同として創業した。4つの蔵で順番に社長をやっている。父親には、「能力なくても四人で順繰りやれよ」と言われた(笑)競争にならず仲良くできるからこれは重要なこと
2011-07-21 15:08:13沿岸の市だが津波被害は少なかった。電気は3.19に復旧。水は井戸水を使用しているので無事。井戸水の成分にも幸い変化が無かった。しかしまだ沿岸部の取引先10店舗と連絡がとれず、89店舗が事業を再開できない
2011-07-21 15:13:313.22の段階で瓶詰め・出荷ができた。これには自分も驚いた。ボイラーが1つ無事、井戸水が無事、電気復旧が早かった、震度6強と予測される宮城県沖地震に備えていたからだ。
2011-07-21 15:18:40災害が起きたときにどこから復旧させるか、どの商品を優先して復旧させるかは考えていた。東京向けの瓶詰め・出荷(純米酒と本醸造の辛口)を優先させた。来れる社員でラインと水の流れをチェックした。酒造業としての供給責任を感じた
2011-07-21 15:23:55方向性としては、東北の酒も飲んで欲しいが地元の酒もちゃんと飲んで欲しいと思っている。今は西側のお酒があまり飲まれていない。というよりは日本酒があまり飲まれなくなっている。食の多様化によるものだ。日本酒消費量は米の消費量に比例している
2011-07-21 15:33:42捨ててはいけないナショナリズムもある。それは食だ。食への愛に国への愛もあると思う。日本を笑顔にするために日本酒を皆さんに飲んで頂ければと思う
2011-07-21 15:37:06