連合解散後、いったん陳留に攻勢をかけてみたがダメだった。194年の暮に再結成した連合で、寿春奪還に動くところ。やはり河北の諸勢力が結束すると強い。黄巾の兵数が一気に6万ほど減少。 pic.twitter.com/HZ6DGRampO
2021-07-10 07:09:36劉焉が死去して劉瑁が継いだり、ローマ交易でカタパルトを入手したりしながら195年も過ぎていく。この年は法正や魏延などが登場。公孫瓚軍の南下で手薄になった江夏を攻めていく。 pic.twitter.com/B0RyBBhLvM
2021-07-10 07:16:13漢中方面は白水関に兵3~4万と周瑜がいて攻めあぐねている。いっぽう、山越軍(2度目)が建業に向かったため、公孫瓚軍が渡河に成功。こちらも蒙衝が出せるようになったのでなんとか漢水を渡りたい。 pic.twitter.com/McMQOIDgYq
2021-07-10 07:16:15バグかな? と思ったのはこちら。公孫瓚軍との同盟が残り1ヶ月なのに、連合が解散した時点で「領内に公孫瓚軍の部隊残存」で忠誠が下がった。もちろん他方面で士燮領や劉瑁領に何か居たのかもしれないが。1ヶ月後に同盟も切れ、汝南から襄陽を攻めていた軍勢が全滅。 pic.twitter.com/FUqCzJqBe3
2021-07-10 07:29:58やはりこれは不具合に思えるな。連合期間残り1ヶ月あるのに、同盟が切れたタイミングで連合内の他勢力の領土に部隊が残存したことで忠誠度低下が発生。 ご検討下さい。 @sangokushi_kt twitter.com/Tamejirou/stat…
2021-07-10 13:02:49あっこれ引用元の表現が逆だ。「連合期間がまだあるのに、同盟が切れた時点で忠誠低下が発生」が正しい。これが仕様なら、連合相手と短い同盟を組むのはリスク。連合終了後まで有効なように、同盟を延長しておくべき。
2021-07-12 19:44:48経緯が煩雑…… 1. 公孫瓚軍が攻める廬江へ、柴桑から援軍が出る。柴桑の残兵6000以下 2. 江夏から牽制2部隊出る 手薄と判断したか、江陵などから黄巾出撃 3. 黄巾と公孫瓚軍が漢水で遭遇戦 4. 同盟切れにより包囲占領スポットが発生 5. 柴桑へは陳宮の投石部隊を増援して攻略成功 pic.twitter.com/cYpwB1TW6T
2021-07-10 07:29:596. 新野から襄陽へは5万規模の2度めの大攻勢で攻略成功。 明けて197年の情勢。廬江は陥落したが黄巾も建業へ逆襲。漢中に兵7万が溜まったのでいよいよ攻勢に出たい。士燮軍が全力で許昌を攻めているので乗じたい。 といったところ。 つづく pic.twitter.com/04pY1rODxe
2021-07-10 07:30:01まとめを更新しました。「三國志14WPK 188年 黄天・国替 董卓」 togetter.com/li/1741805
2021-07-10 07:31:03黄巾にかぎらず、CPUは成人・登場したばかりの武将を忠誠を上げずに前線に放り出しがちなので、捕まえると割と登用できる。太史慈が朱桓を一騎打ちで撃破・捕縛。 董卓プレイの続きをやっていきます。 pic.twitter.com/NvoXH0emuq
2021-07-10 19:34:47江陵の攻略・柴桑の防衛戦では包囲戦術が有効。2枚めは江陵から出撃した敵軍が兵站切れを起こす珍しいパターン。 pic.twitter.com/BNDLWg96SX
2021-07-10 19:34:49197年7月、白水関をゴリ押しで攻略。先に陽平関から武都に占領部隊を出して守将の周瑜を釣りだしておき、約6万の軍勢を布陣させた上でカタパルト投石を突っ込ませた。 pic.twitter.com/cYeIXTPTGo
2021-07-10 19:34:50剣閣攻略後、梓潼付近で馬超対曹操の一騎打ち。父の仇!(死んでない) 負傷していたのもあって一撃落馬。 pic.twitter.com/8QedKILKsy
2021-07-10 19:34:52明けて198年、司馬懿が登場するが、洛陽の北部に出る扱いなのを忘れていて士燮軍に獲られる、ガッカリである。虎牢関には5万の兵を籠めてあり、東進の機会を窺う。 pic.twitter.com/ACgMgIjiAL
2021-07-10 19:34:54陳留攻略軍を興したところ、劉瑁(同盟)と公孫瓚(敵対)が乗じてきた。3方面から攻められた士燮軍は成すすべなく陥落。さらに、手薄になった豫州へ新野から反撃していく。 pic.twitter.com/C3WDY3uoNX
2021-07-10 19:43:15汝南攻略後、許昌の東は譙と宋に部隊を向かわせ大包囲をキメる。17都市目をとって兵数でもトップになり、もはや連合の標的にされる日も近い。 つづく pic.twitter.com/CONwYss0Zs
2021-07-10 19:43:17董卓プレイは199年ころの情勢。許昌を落とした董卓軍は寿春の西に布陣し、各方面からの公孫瓚の援軍をことごとく撃破。廬江や小沛へも軍勢を差し向けていく。爵位が上がったため配下からの呼び名が董太師になった。しかし毎回鄒氏が出てくるな。旦那と末永く添い遂げてくれ。 pic.twitter.com/oQ8MmhBepv
2021-07-11 18:42:27布陣中、華雄が一騎打ちを仕掛けたところ典韋の護衛にやられてしまった。また、廬江攻撃軍は張飛一人に撃退される始末。なかなかうまくは行かない。 pic.twitter.com/u4ZYLynq0d
2021-07-11 18:47:48やや遡って199年6月。河北では士燮軍が攻勢に出ている。陳留を失陥したとは言え国力は強盛で、このあと南皮を攻略していた。やはり士燮は立地に恵まれないだけで、英雄の器であると実感。 pic.twitter.com/EXSpT406mI
2021-07-11 18:53:38200年1月。華雄には固有の寿命台詞があるらしい。猛将系の共通セリフだったかな? 華雄は普通にプレイしているとイベントで死んでしまうので、珍しい。 pic.twitter.com/72pYPcnEYz
2021-07-11 18:47:49董卓軍は廬江で包囲占領を起こし、ここで公孫瓚を捕斬。 pic.twitter.com/A23USTlr8l
2021-07-11 18:53:45益州方面では成都から出撃した部隊と合わせて2都市まとめての包囲占領を起こし、荊州への打通に成功。 pic.twitter.com/APkkbTqcLH
2021-07-11 18:53:48成都で3都市分の収入があるため、召募を入れての月ごとの募兵数は5000を超えるようになった。 pic.twitter.com/D0uEPUzk0R
2021-07-11 18:59:34200年4月の情勢。まずは南中~荊南と制圧してしまいたい。公孫続軍は弱体だが、15万の兵を擁する劉瑁軍の動きを警戒して東進を差し控えているところ。 つづく pic.twitter.com/El34MUjH8g
2021-07-11 18:59:36