茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第2593回「甘ったるさのかけらもない私小説としての『吾輩は猫である』」

4
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート2593回をお届けします。文章は即興で書いています。本日は、感想です。

2021-10-16 07:29:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

夏目漱石の小説家としてのデビュー作、『吾輩は猫である』はいろいろな意味で興味深い作品である。まず、「猫」がかわいい。漱石の小説は深刻なテーマを扱っているが、この作品で漱石と猫のイメージが出来て、「かわいい」「親しみやすい」漱石のイメージが確立して良いかたちでバランスがとれた。

2021-10-16 07:31:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

『吾輩は猫である』の猫は、苦沙弥先生や迷亭などの行動を観察して記述するが、猫がそういうことを考えるはずがないから、結局漱石自身が猫のかたちを借りて自分の人生、生活を自己批評していることになる。その視線がときに厳しく、容赦ないのが魅力である。

2021-10-16 07:32:34
茂木健一郎 @kenichiromogi

もちろん、『吾輩は猫である』では、猫自身の描写も出てくるけれども、それは漱石が飼っている猫を観察して見出したしぐさだったり、習性だったりする。結局、すべては漱石が観察、洞察した結果であって、それを、「猫」にたくして書いている自己批評文なのである。

2021-10-16 07:33:37
茂木健一郎 @kenichiromogi

漱石の創造者としてのすぐれた資質は、自己批評において甘いところや自己陶酔的なところがないことで、『吾輩は猫である』を自分の生活に取材した私小説として見ると、これほど容赦のない、客観的な、そしてユーモアに満ちた作品な珍しい。大抵の私小説は甘ったるくなってしまうのが世の習いだ。

2021-10-16 07:35:15
茂木健一郎 @kenichiromogi

『吾輩は猫である』では、苦沙弥先生や迷亭、寒月君の雑談が描かれていて、その愉楽も作品の魅力である。結局、人生の意味は一つのストーリーラインや感慨には回収できない。複雑で広がりのある人生という事象を、甘ったるくない私小説として書いたのが、デビュー作となった漱石はやはり只者ではない。

2021-10-16 07:36:42
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート2593回「甘ったるさのかけらもない私小説としての『吾輩は猫である』」をテーマに5つのツイートをお届けしました。

2021-10-16 07:37:27