Tokyo_umareさんの米軍「バターン死の行進」を英語で反論

反日勢力がすぐに出してくる日本軍の悪行の一つ、「バターン死の行進」。そこにはすぐに現場から逃げ出したマッカーサー達の話は一切考慮されていない。折角なのでバターン死の行進とは一体何だったのか?日本語の解説文URLもつけてみました。
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Tokyo_umare🇯🇵 BLACK @tokyo_umare

@MatthewMcCrac18 @MiyakoOjiDono @Fuheng_H @hyun_lam @8_AAji @mung_ying @Jinx85537329 @SABUROSAKAI3 @normalstandard @societyheadlin @Rudy1994CHN @tillingfolk @Socialist_life Lieutenant General Homma was reportedly dressed in Informal military uniform and shot dead. (I have an episode with my proud wife, but I won't write it here.)

2020-08-19 14:41:02
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2020-08-19 14:41:26
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2020-08-19 14:42:07

笹幸恵『「バターン死の行進」女一人で踏破』

DEATH MARCHと呼ばれるバターン(パターン半島)死の行進。反日勢力が日本軍の捕虜虐待といってすぐに引き合いにい出してくるお話。

全行程は正確には102km。四日間で歩いたとすると、一日約25km。

アスリートではない若い女性が「風邪気味でも歩けた」距離。訓練をした屈強なアメリカ人兵士が歩くだけで死ぬというのは大袈裟すぎやしないだろうか?

「女ひとり玉砕の島を行く」笹幸恵

●マッカーサーは「オレンジ計画」通りに行動する、と宣言している。つまり、主力部隊をバターン半島に撤退させ、難攻不落のコレヒドールに立てこもる。当然、食糧が大きな問題になるはずだが、どうも米軍にはその用意がなかったようである。
…「死の行進」の前提になった飢えは、米軍の戦略の間違いにあるのではないのか。

●そうした流れの中で、日本軍は4月9日にバターン半島を完全攻略、米極東軍司令官ウェーンライト中将は無条件降伏を申し出てくる。マッカーサーは戦局不利と見た3月中旬、コレヒドールから魚雷艇を利用してミンダナオ島へ逃げてしまった。さらにそこから飛行機でオーストラリアへ逃走している。
“I shall return”という有名な言葉を残しているが、ともかくも将軍が真っ先に逃げ出してしまったのである。フィリピンのケソン大統領も一緒に逃げている。

●そのあといわゆる「バターン死の行進」になる。半島の南端にあるマリベレスから後方のサンフェルナンドまでの112キロを米比軍の捕虜に歩かせたら、2千人以上の死者が出たという出来事である。

●しかし考えてみるに、前年12月のマニラ陥落から4月11日の降伏までの間に、長い期間がある。この間、米比軍は食糧不足にあえいでいたのだから、わずか100キロ余り行進させられただけで倒れてしまったのは、基本的にはコレヒドールの要塞に立てこもるという「オレンジ計画」にのっとった作戦の失敗、というべきではないだろうか。アメリカ軍が食糧不足で体力を失っていたのだから。

●また、飢えとマラリアで苦しんでいる傷病兵を歩かせたために2千3百余人の兵が死んだ、ということになっているが、その最大の原因は、日本軍・米比軍ともに死闘を演じて体力を消耗しきっていた直後のためだと思う。
     《西尾幹二 「GHQ焚書図書開封2」》

バターン死の行進