- toshi3636_1
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日本の表現空間を見ていて謎のひとつは、「普通の人」という幻想の重しがあることだろう。テレビ番組のフォーマットでも、実質的なことを言う人以外に、スタジオ内に「普通の人代表」(と製作者が思っている人)を置くことが多い。
2022-04-03 07:21:28例えば、池上彰さんが解説する番組でも、前にタレントや芸能人が「普通の人」(と製作者が思っている)代表としていて、ぼくから見ると意味のない(無駄な)リアクションをしていることが多い。ああいうのがテレビには不可欠という信仰があるようだ。
2022-04-03 07:22:21漫才も、エンタツ・アチャコがアメリカのfool (日本で言うぼけ)とstraight(日本で言うツッコミ)からなるフォーマットを見て構想されたとも言われ、その後アメリカはstraightという世間の常識の重しがない方向に進化したが、日本ではその形式が残っている。
2022-04-03 07:23:32なにか、実質的なことを言う人が、時事解説であれ、漫才であれいて、それに対して、スタジオ内のタレントとか、ツッコミとか、幻想としての「普通のひと」の重しをつけないと表現として成立しないという信仰のようなものが日本の表現空間にはある。
2022-04-03 07:24:27「普通の人」幻想によって、レベル設定が落ちる。池上彰さんの番組だって、「普通の人」代表としてタレントがスタジオにいる必要はなく、むしろ池上さんと専門家や研究者が、火花を散らすバトルを横から見る劇場効果の方がよほど放送文化に資するはずだ。
2022-04-03 07:25:39BBCのハードトークは、司会者によるゲストへの容赦ないインタビューが売りだが、そこには幻想としての「普通の人」などいない。そんな重しがあると、レベルが落ちる。日本のテレビは普通の人幻想によってレベルが落ちたまま。結果として日本の民度が墜落する。テレビは国益に反する行為をしている。
2022-04-03 07:27:02以上、連続ツイート2759回「日本の表現空間を支配する不可解な普通の人幻想」をテーマに6つのツイートをお届けしました。
2022-04-03 07:27:37