- sandletter1
- 652
- 3
- 0
- 0
日本文芸家協会編
1・ 舟橋聖一は戦後、菊池寛死後の文藝春秋社の役員を前に「菊池寛のあとはぼくがひきうけた」と大見得を切って失笑されます。とはいえ菊池寛とは馬主仲間であったため、自分も彼と同格ぐらいに思い、川端康成なんかはてんで格下あつかいでした。
2022-05-10 02:51:472・ そして、菊池寛が残した10万円(当時)の金を使って日本文芸家協会を作り、講談社に事務室を設け、石川達三・丹羽文雄・富田常雄らと一緒に理事になります。
2022-05-10 02:52:163・そしてその際には「ぼくが理事長でないと嫌だ」と小児ヒステリイ(丹羽文雄による記述)を起こして床に寝転んで手足ばたばたしてダダをこねたので、しょうがないので彼を理事長にすることにしました。
2022-05-10 02:52:394・ 富田常雄は舟橋聖一の弟子ぐらいの格で、石川達三の小説はたいしたことないと舟橋聖一は思っていたので、丹羽文雄はあきらめました。
2022-05-10 02:53:035・ その後4期理事長を務めた舟橋聖一は、日本ペンクラブの代表として国際ペンクラブ大会に行くことになった石川達三を夫婦ともに築地の料亭で接待し、これで次の理事長の座も自分のものだと思っていたところを、なんと石川達三が立候補して理事会で彼が理事長に選ばれました。
2022-05-10 02:53:256・ その事情について、船山馨ら身内の説明に納得いかなかった舟橋聖一は、丹羽文雄の家に行って「どういうことだ」と聞いたら「君が理事長だから日本文芸家協会には入らないという文士が3人いる」と説明され、夕食を丹羽文雄の家で食べて帰りました。
2022-05-10 02:53:487・ そのことを生涯の屈辱と思っていた舟橋聖一は、「ぼくは丹羽文雄の家には2回行ったが、彼はぼくの家には1回しか来ていない」と、ことあるごとに言及しました(もう1回行った事情は不明)。
2022-05-10 02:54:068・ どうも舟橋は、誰かの家に行くとその人間より格下になるという意識があったらしいんですね。ちなみに彼が主催している「伽羅の会」には水上勉も呼ばれて1度だけ参加して弟子扱い。
2022-05-10 02:54:209・ なお舟橋が「丹羽文雄は1回だけ来た」というのは、何かのお祝いごとで丹羽文雄ではなくその妻が行っただけのことで、そのときには妻を前にして勝手に一人夕食を食べていたそうです。
2022-05-10 02:54:5910・ その後舟橋聖一は、築地の料亭の請求書を見て、当時秘書的なことをしていた今井潤を「この額は高すぎるから負けさせろ」という交渉の使いに出し、料亭も呆れながら、舟橋さんならしょうがないから、ということで半額にしました。 書きなおされた請求書を見て、舟橋聖一はひとこと、 「お手柄」
2022-05-10 02:55:24税金編
11・ 全盛期の舟橋聖一は作家の所得では日本一で、作家における必要経費の必要性を強くあちこちにアピールしながら、当時はまだザルだった印税収入その他の稼ぎをごまかしてやりたい放題でした。
2022-05-10 02:56:0512・ 時の大蔵大臣・池田勇人に会って、必要経費の陳情をすることができるようになったのはいいのですけれども、その日の舟橋聖一の服は着流しに雪駄に白足袋というちょっと粋すぎる格好で、面談が終わったあと憤慨して「大臣はぼくの白足袋の話しかしてくれなかった!」と、秘書の今井潤に語り、
2022-05-10 02:56:5913・後日それを「悪名」という短編にしました。 池田勇人はその件に関して新聞記者に「そういえばそんな人にあった気がする」と一言。 またある年の納税の時期になって、国税局の直税部長から「ちょっと話したいことがあるので一度来て欲しい」という電話があり、
2022-05-10 02:57:4114・舟橋聖一を担当しているS税理士はトンズラして連絡が取れなかったので(板挟みになることを避けたらしい)、しぶしぶ舟橋は税務署に今井潤と一緒に行きました。 別室を用意されて、部長その他、彼にとって見知らぬ顔も数人いました。
2022-05-10 02:58:1115・ 実は税務署の直税部長と舟橋聖一は、旧制高校の先輩・後輩の間柄で、大相撲の初場所では舟橋は枡席を用意して、部長と署員を招待し、その後一席を設けていました。
2022-05-10 02:58:4016・ 見知らぬ顔の人間は新設された国税調査官の面々で、部長は舟橋聖一に、所得額と申告額の差がありすぎるので、このままでは認められない、と説明しました。 舟橋は手をぶるぶるさせて怒りながら、 「君たちには毎年相撲を見せ、高いてんぷらを食べさせているじゃないか」
2022-05-10 02:59:0817・ と、いきなりあれは賄賂だった、みたいなことを話しはじめました。 部長は立ち上がり、 「そうですか。それではしばらくお待ちください」 と言って出て行き、しばらくすると茶色い封筒を持って机の上におきました。 「舟橋さん、これはあの時の割勘です」
2022-05-10 02:59:3418・ さすがに舟橋聖一もその金は受け取らず、黙って出ていきましたが、税金の追加徴収にはすぐには応ぜず、熱海に隠れてて、今井潤の弁護士の説得で、やはりしぶしぶ払いました。
2022-05-10 02:59:48