キングオブコント2011からみるお笑いの動物化
キングオブコント2011では『鬼ヶ島』と『2700』のコントが印象に残った。
因果関係のない行動が連続するコントが目に付く。行動のそれぞれが独立して完結してる。次が予想できないのでついていけないことが起きる。それはコントに入り込むには致命的なんだけど。「理解させない笑い」を意識しているんだろう。
2011-09-23 21:50:37ここでは、あるあるネタのような共感ベースによる笑いの放棄、ストーリーをみせる笑いの放棄が選択されている。
言うなれば、「アナーキーな笑い」や「奇想天外な笑い」と形容されよう。
もう、物語を提示して観客に意図を読みこませることで、何かを表現するということに限界が来ているようにすら思っちゃう。まぁテレビにおける表現も行き着くとこまできたのかな。
2011-09-23 22:03:05ここでは即時的、瞬発的な反応を狙ったネタ作りがなされている。
この傾向はネタのレッドカーペット化つまり、ショートショート形式なネタが大勢を占めた時期にも見られた。それは漫才の領域でのこと。キャッチ(同じポーズや滑稽な動き、例えばオリラジ)を挟んでショートネタを連続して漫才にするというように。それがコントまで及んできたのが興味深い。
2011-09-23 22:00:45はじめから「物語」のおもしろさで勝負しようとしていない。ネタをそれ自体独立して笑わせようとする。つまり、変な動きだったり変な声だったり。これが「中学生ノリ」につながる。断絶したネタの連続についていくには、ストーリーをおうのではなく…
2011-09-23 21:55:25…余計なことを考えず、「笑える要素」として受け入れていくことが必要になる。それが松本の言う「おじいちゃんおばあちゃん置いてきぼり」を指す。言い換えればモダンのお笑いからポストモダンの笑いへ移り変わっているのですよ(?)
2011-09-23 21:57:05つまりは、ストーリー展開や文脈に依存した台詞回しに対して、観客は笑うという構造(=モダンの笑い)から、それ自体が独立して笑える要素(=データベース)に対して、観客は即時的に反応して笑う構造(=ポストモダンの笑い)へと移行してきているといえる。
これはつまり、(テレビにおける)笑いが動物化しているといえるのではないか。
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