もへもへ「エロ本やAVみて性犯罪する奴は確実に存在する。だが規制すべきではない」

何を言っているか、ではなく、誰が言っているか、で物事を判断する人間は全体主義の傾向があるので注意した方が良いです(左右の思想に関わらず)。
15
もへもへ @gerogeroR

@oregairu1998 関係がないとは思わない。ただエロ漫画に限らず人は性的志向は持っててそれを抑えて生きてるわけだしなぁ。車好きなら一度は暴走してぶっ飛ばしたいって欲望はあるだろうし。でも普通はやらない。エロ漫画で性的志向を目覚めさせて犯罪侵す奴もいるとは思う。ただ普通はやらない。

2017-04-18 23:38:59
もへもへ @gerogeroR

@oregairu1998 大量の原因の中の一つでしかなくなぜ漫画「だけ」をでかでか表示するのか?っていう疑問はよくわかるしフェアではないよね。ただまったく原因じゃないって主張するのは逆効果だとは思う。 まぁでも個人的には性的志向を漫画で解消できるやつと実際やっちゃうやつなら前者のほうが多いんじゃないかと

2017-04-18 23:42:21
もへもへ @gerogeroR

ぶっちゃけた話、ロリ物のエロ漫画があることによって、「児童に犯罪を犯す」連中と「すっきりその漫画みてオナニーしてすっきりして児童襲わずに済んだ」って人との数の差なんて後者のほうが多いかもしれんのだよ?

2022-01-09 16:14:29
もへもへ @gerogeroR

なんどもなんども言うけど「この表現に悪影響がある」と証明されたとしても「表現の自由を認めたほうが世の中はその悪影響を凌ぐメリットがある」ってのが表現の自由の根幹の考えなんで、この表現のせいで〇〇を軽視するとか、感化されて女性に対して・・・とかいうのは間違い。

2020-08-04 21:49:26
もへもへ @gerogeroR

共産主義思想はまっさきに否定で規制されるべきだし、アメリカで吹き荒れてるBLM活動だって殺人や略奪がおきているから悪影響は確実にでてるんで規制すべきってことになる エロ漫画の影響で性犯罪したから「エロ漫画を規制しろ」 BLM活動で略奪や殺人がおきたから「BLM活動を規制しろ」って同じだよ?

2020-08-04 21:49:26
もへもへ @gerogeroR

あとこれだけは言っておく。実際に「影響されて実害が確認される表現や出版物」ですら規制してはならないのだ。これは民主主義、自由主義において当然のことなのである。理解できない人がいるみたいだが。実害が多々あっても規制はできるだけしてはならない。

2022-12-24 01:07:31
もへもへ @gerogeroR

なぜ反ワクチンの本がちゃんと本屋にあるのか。 広告すら掲載できるのか。 その「思想」に影響を受けたと犯人が証言して「殺人」までおこした「共産主義」の本が規制されないのか? 影響を受けた馬鹿がでることより、言論表現の自由が侵された場合のほうがデメリットが大きいと信じているからだ。

2022-12-24 01:10:27

関連情報

リンク Wikipedia リバタリアニズム リバタリアニズム(英: libertarianism)は、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する、自由主義上の政治思想・政治哲学の立場である。経済的な自由を重視する新自由主義と似ているが、リバタリアニズムでは個人的な自由をも重んじる。他者の身体や正当に所有された物質的、私的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であると主張する。リバタリアニズムを主張する者はリバタリアンと呼ばれる。日本語では完全自由主義、自由人主義、自由至上主義、自由意志主義などの訳語がある。 なお、哲学、神学、形而 180 users 217


表現の自由に関するスタンスに限定されるが、もへもへ氏的な思想はこれに該当するように見える。

リンク Wikipedia レッセフェール レッセフェール(仏: laissez-faire)とは、フランス語で「なすに任せよ」の意。経済学で頻繁に用いられており、その場合は「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。自由放任主義(じゆうほうにんしゅぎ)と一般には訳される。 レッセフェール(自由放任主義)の語を最初に用いたのはフランスの重農主義者である。この用語は重商主義に反対する立場からの「スローガン」として用いられた。これを古典派経済学(古典学派)の祖であるイギリス(スコットランド)のアダム・スミスが主著『諸国民の 30 users 18
リンク Wikipedia ファシズム ファシズム(伊: fascismo, 英: fascism, 独: Faschismus)または結束主義(けっそくしゅぎ)とは、イタリアのベニート・ムッソリーニと彼が率いた国家ファシスト党が提唱した思想やイデオロギー・政治運動、および1922年から1943年までの政権時に行った実践や体制の総称である。 広義にはドイツのナチズムなど、独裁的な権力、反抗の弾圧と産業と商取引の制御のような類似の思想・運動・体制も含めて「ファシズム」と呼ばれる場合も多いが、その範囲は多数の議論がある(詳細は用語、定義等を参照)。 63 users 228


一般的に「表現の自由戦士」と揶揄されるグループはこれに該当しているように見える。ファシズムの定義は広範なので一概にこうだと断言はできないけれど、「悪影響があると証明されたのなら規制されても仕方がない」といった国家による表現規制を肯定する発言があったり、影響力のあるもへもへ氏のような人物に対しては彼らの多くが噛みつかず、一方で社会的に弱い立場にある女性が主導するフェミニズムに対して憎悪を向けることからも分かるように、権威主義的で個人崇拝傾向があり極めて男権的な思考をする点はファシズム的であるように思える。

リンク Wikipedia 権威主義 権威主義(けんいしゅぎ、英語: Authoritarianism、ドイツ語: Autotarismus)とは、権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする個人や社会組織の態度を指す。政治学においては、権力を元首または政治組織が独占して統治を行う政治思想や政治体制のことである。 全体主義よりも穏健な体制、あるいは非民主主義の総称として独裁政治・専制政治・神権政治を含めた用語として使用されている。権威主義的な統治の下では、国や地域における政治権力が一人または複数の指導者に集中しており 21 users 83
リンク Wikipedia 権威主義的パーソナリティ 権威主義的パーソナリティ(けんいしゅぎてきパーソナリティ、ドイツ語: Autoritäre Persönlichkeit, 英語: Authoritarian personality)は、社会的性格の一つである。社会的性格とはドイツのエーリヒ・フロムにより提示された概念で、「一つの集団の構成員の大部分が持っているパーソナリティ構造の中核であり、その集団に共通な基本的経験と生活様式の結果として形成されたもの」と定義される。この社会的性格の中でも特に、硬直化した思考により強者や権威を無批判に受け入れ、少数派を 47 users 284
自由からの逃走 新版

エーリッヒ・フロム,日高 六郎

リンク Wikipedia 自由権 自由権(じゆうけん)は、基本的人権の一つであり、原則として国家から制約も強制もされず、自由に物事を考え、行動できる権利である。 自由とは、自己のあり方を、自己の責任において決しうることをいう。自己決定に委ねられるものには、何をなすかについてだけでなく、ある行為をなすか否かについての決定まで含まれる。 ただし、その積極的効果については、社会規範としての法が保障する自由は、無制約な決定の可能性を認めるものではない。例えば初期のフランス憲法は「自由」の定義とともにその限界を示していた。 憲法による自由の保障は、 14 users 63
リンク Wikipedia 表現の自由 表現の自由(ひょうげんのじゆう)とは、すべての見解を検閲されたり規制されたりすることもなく表明する権利。外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表したりする自由。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。 内心における精神活動がいくら自由でもそれを外部に表明する自由がなければほとんど意味をなさないから、表現の自由はいわゆる精神的自由権の中心的地位を占めるとされる。 表現の自由の貴重さはミルトン、ヴォルテール、ミルなどによって説かれてきた。表現
リンク Wikipedia 公共の福祉 公共の福祉(こうきょうのふくし)とは、日本国憲法第12条・第13条・第22条・第29条に規定された人権の制約原理である。 キケロはその著作『法について』(De Legibus)において "Salus populi suprema lex est."(人民の健康が最高の法たるべし)と唱えた。公共の健康は統治の主要な論点であった。「健康」の内実がどのようなものであれ、あらゆる政治思想家がこの格言を政治哲学の主要な眼目としてきた。 この用語は、日本国憲法 で用いられている。 なお、日本国憲法のGHQ草案において 37 users 85
リンク Wikipedia 寛容のパラドックス 寛容のパラドックス(かんようのパラドックス、英: paradox of tolerance)とは、カール・ポパーが1945年に発表したパラドックスである。このパラドックスは、「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」と述べる。 ポパーは、「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という一見矛盾した結論に達した。なお、ポパーは不寛容な哲学の発言を禁止するべきではなく、合理的な議論で打ち返すべきであり、拳 40 users 306
自由論 (岩波文庫)

ミル,J.S.,正司, 関口

リンク Wikipedia 開かれた社会とその敵 『開かれた社会とその敵』(ひらかれたしゃかいとそのてき、The open society and its enemies)は、第二次世界大戦中にカール・ポパーによって著され、広く読まれることになった2巻本である。合衆国では版元が見つからず、1945年にロンドンのルートリッジ出版社から最初に出版された。 本作は、近代図書館理事会により、20世紀におけるベスト100ノンフィクションのひとつに選定された。 ポパーが戦争の間、2つの大洋をこえてニュージーランドという学問的辺境で著述していたころ、哲学や社会科学の真 9 users 20