まとめ:司馬遼太郎が愛した大阪の風景 ~司馬文学の原点を探して~ (ひとり歩き編)

地下鉄・谷町九丁目駅~生玉神社~齢延寺~銀山寺~源聖寺坂~萬福寺~松屋町筋~日本橋公園(御蔵跡図書館跡)
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@na_hi

昨日 @kuribou_smile さんが行かれた大阪あそ歩のコース。日本橋はよく行く場所だが、その少し脇にあるこの界隈は盲点だった。ちょっと見てこようかなと思ってるところw QT 司馬遼太郎が愛した大阪の風景 ~司馬文学の原点を探して~ http://t.co/NbKSdwHx

2011-10-19 13:33:39
@na_hi

「夕陽ヶ丘からみる夕陽は美しい。私は学校に通っていたころ、このあたりが好きでよく歩いた。ある日、朱色-あまりにもあざやかな朱であるために天体とはおもえない太陽が、大気のなかを漂うようにして沈んでゆくのを見て、息をわすれるような思いがした」司馬さんが評した言葉。見たいぜひ現地でw

2011-10-19 13:39:53
@na_hi

新撰組といえば、京都の壬生寺が聖地みたいなものだ。15年間で3回ほど行ってるが、いつも変わらず歴女の多さや、「来ましたノート」の充実振りやイラストの華やかさに目を奪われる。この大阪での彼らの宿舎だった萬福寺は、実はまだ行ってなかった。密かな聖地だったりして。ってことで見てくるw

2011-10-19 13:52:57
@na_hi

ということで、やってきました谷町9丁目http://t.co/LSQ60mXx http://t.co/iJwDbcFg

2011-10-19 15:00:18
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生國魂神社

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区にある神社である。式内社で、旧社格は官幣大社。難波大社(なにわのおおやしろ)ともいう。地元では「いくたまさん(生玉さん)」と呼ばれる。

(以上、wikiより)

@na_hi

水戸藩士、川崎孫四郎と笠間藩士、島男也自刃の所の碑。桜田門外の変に呼応し、大阪挙兵をはかるが幕史に捕らわれる。川崎はこの地で、島は江戸佐久間獄で死んだ。 http://t.co/wu2xrO72 http://t.co/qSgaadk9 http://t.co/I9Kneqyz

2011-10-19 15:21:40
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@na_hi

さながら、社のデパート状態の境内。いろんな社が勧請されている http://t.co/k4Jtwnt2 http://t.co/b12ixyyb http://t.co/wcH2QErq

2011-10-19 15:29:13
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齢延寺

もともとは元和9年(1620)僧義春によって曹洞宗の寺として真田山に開創され、1623年にいまの場所、減聖寺坂を上がってすぐ左手のところへ移転。志摩国領主稲葉家の菩提寺でもあった。江戸時代は「齢延寺の彼岸桜」と呼ばれた桜の名所で、いまも大樹古墓の多い風格のある寺として知られる。境内には、幕末に私塾・泊園書院を興して活躍した儒者の藤澤東咳・南岳父子や、画家の鍋井克之、名刀鍛冶師の左行秀の墓がある。また、御方洪庵、斉藤方策と並ぶなにわの3名医のひとり・原老柳ゆかりの老柳観音には、病気平癒を願って訪れる参拝者が多い。

(以上、OSAKS-INFOより)

@na_hi

齢延寺。司馬さんが参禅に通った場所。市内とは思えない、なかなかの眺望。 http://t.co/D46sLpam http://t.co/CNwqgWSo http://t.co/0CRwABk0 http://t.co/YO0m4LTj

2011-10-19 15:41:50
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銀山寺

開山は京都黒谷紫雲山金戒光明寺第24世三蓮社縁譽上人休岸大和尚。
当寺は、天正19年(1591)に豊臣秀吉の城下町建設の一環である寺町建設の中で現在地に創建され、当時の寺号は大福寺といったが、後に太閤秀吉の命により寶樹山銀山寺と改称された。
その後寛永8年(1631)に本堂・大方丈・庫裡・表門・裏門が中興され、元禄14年(1701)には鐘楼・梵鐘・観音堂が建立された。これらの建物のうち、小方丈は大正初年に修築、また第二次世界大戦で供出された梵鐘は、昭和55年(1980)に再興され、大方丈は昭和61年(1986)に檀信徒の協力によって修築された。
平成5年(1993)には観音堂を宝樹堂と改名し改築し、平成12年(2000)には阪神淡路大震災を何とか切り抜けた本堂を耐震工事により、阪神淡路大震災級の地震にも耐えられるように改修する。
本尊は恵心僧都源信作の木造阿弥陀如来坐像。

(以上、公式サイトより)

@na_hi

源聖寺坂。かなりの急坂で、上町台地から松屋町筋にくだる。 http://t.co/8ipCmZnW http://t.co/82zK059s http://t.co/DJffXu7M

2011-10-19 15:48:23
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萬福寺(万福寺)

天王寺区の生玉町から下寺町界隈は歴史ある寺社が多く点在することから、寺町と呼ばれる。松屋町筋沿いに建つ萬福寺は、文禄3年(1594)、前田利家の弟の前田次郎兵衛利信と僧開導によって開創され、阿弥陀如来を本尊として祀る。文久3年(1863)~慶応3年(1867)、新撰組の大坂駐屯地とされ、大坂相撲力士との乱闘、町奉行与力内山彦次郎暗殺などの事件はその間に起こった。当時、本堂裏にあった納屋は牢として使われ、慶応1年(1865)、漢詩人・藤井藍田を拷問の上、絶命させた場所である。その他、多くの志士が牢内に捕らえられていたという。現在、境内には四季の風情が楽しめる美しい庭園が広がり、芭蕉句碑がたたずむ。

(以上、OSAKA-INFOより)

@na_hi

萬福寺。新撰組の大阪出張場所。付近の料亭は彼らの踏み倒しに泣いた(苦笑)新撰組血風録見返したくなった http://t.co/lvkywFfY http://t.co/CynwcNqW http://t.co/SINFcaZN http://t.co/73uo7Xg4

2011-10-19 15:54:35
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@na_hi

松屋町筋を抜けると、そこは日本橋でんでんタウン。昔は古本屋街があったらしい。いまは小汚いオタクの兄ちゃんやメイドしか歩いてないよな(苦笑) http://t.co/obAic5Hr http://t.co/GkzGD9AH

2011-10-19 16:00:58
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