2011/10/29 #WS_Actions 「Earth JAPAN〜地球に生きる僕たちが、”今”日本のためにできること〜」前半部
この事実千葉県人として衝撃。。。“@bercosmo: 千葉県の7つの公的病院てお産をやっているところは一つもない。本当に公益性の高い公的医療は提供されてはいない。 #WS_Actions”
2011-10-29 12:44:57黒田千代吉氏の講演
まもなく午後の部が開演いたします。午後の最初のテーマは「戦争体験の語り継ぎ」。戦争体験者である黒田千代吉様によるご講演と、来場者によるパネルディスカッションが行われます。 #WS_Actions
2011-10-29 13:02:29黒田氏。大正十三年生まれ。87才。大正生まれの多くの男性は、戦争を体験し、戦死した。黒田氏も第一線の師団の補充要因として 中国揚子江に着任。 #WS_Actions
2011-10-29 13:09:18黒田氏。150日の長い期間で、3000キロの長い道のりをあるかされた。途中で食べ物も尽き、中国の民家に泥棒にはいることもあった。ほぼ栄養失調状態。歩きながら死んで行く人々。そういった人達をまたいでいった。助ければ自分が死んでしまう。 #WS_Actions
2011-10-29 13:11:571200人いた同僚も、最後にのこったのは400人。死んでいった同僚は靖国神社にまつられている。毎年お参りにいく。生きのこった自分は、要請があればどこにでも自分の体験を語るべきだと思っている。 #WS_Actions
2011-10-29 13:13:46黒田氏。出発前夜の話。班長から別れの手紙を書け、と言われた。封筒をわたされた瞬間震えた。戦地に行ったら死ぬかもしれない、という実感が湧いて、心を込めて家族に筆をとった。 #WS_Actions
2011-10-29 13:17:29その日の晩餐は軍隊でみたことないのごちそう。涙がでた。酒・魚・刺身・茶碗蒸し・豚汁。夜がふけるまで別れを惜しんだ。 #WS_Actions
2011-10-29 13:18:18翌朝五時。ラッパが鳴る。銃をもって校庭にでた。コウダ中尉が見守る中、1200人が規律正しくならんだ。そしてコウダ中尉から激励・訓示がとばされた。 #WS_Actions
2011-10-29 13:22:23副官が軍刀を抜き、「この先が東京だ!故郷に向かって別れをつげろ、泣いていいぞ!」と檄をとばした。少年兵はそれに感動し、しばらくのあいだ沈黙がひろがった。 #WS_Actions
2011-10-29 13:23:29そしてどこからともなく「お母さん!!!さようなら!!!」という挨拶が、続くようになった。黒田氏もそれに合わせて、何回も何回も別れをつげた。昨日の酒宴、今朝の別れ。それをのりこえて心が晴れ晴れとした。そして出立した。 #WS_Actions
2011-10-29 13:24:50敵軍の中、寒い日、暑い日、150日間、行軍をつづけるのが私たちにとっての戦争だった。重い軍備を持ちながら、地元農民から徴収をしながら、行軍をつづけた。 #WS_Actions
2011-10-29 13:26:31手榴弾をふたつ持たされていた。一つは自爆用。もう一つが攻撃用。だがそれを川になげて魚をとった。 蛇がでたときは全員でむらがって仕留め、みなですこしずつ分けた。 #WS_Actions
2011-10-29 13:28:15ヘビ、ザリガニ、木のねっこ、雑草。なんでも食べた。最近は、食べ物の扱いが祖末すぎる。賞味期限は食べれば分かる。すこしすぎて即すてる、というのは本当にもったいない。 #WS_Actions
2011-10-29 13:29:49水は沸騰させるのが大事。戦時中は、死体がういているようなところの水でも、沸騰させて飲んだ。飲めた。 #WS_Actions
2011-10-29 13:31:22昼間の行軍では、敵軍の飛行機から機銃掃射をうけた。ズタズタになりながら悲鳴をあげて死ぬ人をこの目でみた。本当に恐ろしい体験、試練をうけてきた。 #WS_Actions
2011-10-29 13:32:36